部屋に唯一あったカラーペン、赤いそれでカレンダーの14に大きく丸をつける。
2月14日、勝負の日だ。

自慢じゃないけど、バレンタインにチョコを貰ったことは数え切れないくらいあった。
それは既製品の板チョコやチロルだったり、ちょっといかにもといった有名所の生チョコだったり、手作りだったり。毎年手ぶらで行くのに、帰りには鞄にぎゅうぎゅうお菓子を詰めて、それはそれで幸せだった。
だけど、今年は違う。
小平太は生まれて初めて、本命チョコを送ることになった。


長次と小平太がうっかり体の関係を持ってしまったのは昨日の事だった。
恋人同士でもなければ、告白めいたものもなく、甘い言葉を交わしたわけでもない。なんとなくでしてしまった。長次の事が好きだったから、近くに感じたかったから、その場の雰囲気に飲まれてしまった。軽率だなとは思ったけれど、それはそれで後悔はしていない。
けれど翌日告白されて話は変わった。
長次が好きだと言ったのは本心かもしれないし、精一杯の誠意だったかもしれない。前者か後者か。気持ちが揺れ動いて、その場で結論なんて出せなかった。
だからつい猶予期間を設けてしまった。


「…なんでそんな回りくどい事するかなぁ」

そのまま学校をサボってしまった小平太を心配して、伊作がわざわざ自宅に来てくれた。
夜のおやつと称してテーブルに広げたのはチョコチップスコーンとメロンパンとポテチとポッキーとココアだ。スコーンを手に取るとバリッと袋を破って不機嫌丸出しの顔でそれに噛み付いてる。甘ったるいものばっかりで胃はおかしくならないのか、と如何でもいい事を考えて考えてしまった。
伊作の言う「回りくどい事」は、予告したバレンタインの告白だ。

「そうか?」
「そうだよ」
「だって昨日の今日で、好きです付き合ってください、とか、ちょっとなぁ」

なんか変な同情買ってるみたいで、と笑うと伊作は困ったような泣きそうな顔をしていた。
伊作の手はスコーンからポッキーへと移っている。夜にこんなに食べて、特に運動らしい運動もしていないのに、太る気配を見せないのだから本当にすごいと思う。体の作りが違うんだろうか。

「それで、チョコ受け取ってもらえたら、付き合うの?」
「どうかなぁ」
「なにそれ!」

バレンタインまで、まだ一週間以上もある。
長次だって冷静になって考えれば気持ちが変わるかもしれない。あの告白は一時の気も迷いだって思うかもしれない。
長次がもてるかもてないか、そんな事はわからないけれど、中学時代の小平太のように所謂友チョコを貰うかもしれない。でも、もし本当に好きなら、想ってくれているなら、受け取って欲しくない。それが本命じゃなかったとしても。友チョコでも、義理でもだ。

「長次が他に一個でも貰ってたら、付き合わない」

これは小平太の、ちょっとした願いだった。




散々悩んで作ったのは、トリュフだった。
伊作に借りた本と睨めっこしながら、一番失敗がなさそうで材料も少なくてすむものを選んだつもりだったのに、出来上がったそれは明らかに不恰好で。
(だって料理なんてしたことない)
試しに食べた一つは美味しくもなければ不味くもなくて、すごく微妙だった。




14日の学校は全体的に浮き足立っていた。
朝錬に行くとバレー部の子に、教室に入るとクラスの女子に「友チョコ」と称したお菓子を渡された。例年通りなら喜んで受け取るけれど、今年は丁寧に断った。
あげるのも貰うのも、長次だけにする。そう決めたからだ。

「だから、伊作のももらえない」

そう告げるとあからさまにガッカリされて、少し心が痛んだ。
今年の伊作は何故だか手作りしたそれを学校に持ち込んでいた。チョコチップケーキだ。伊作の作るお菓子が美味しいのは知ってるし、すごくすごく魅力的だったけれど、断腸の思いで断った。
すごく食べたい。食べたいけれど!
心の声が顔に出ていたのか伊作に、明日もってくるね、と言われてつい頷いてしまった。
…明日なら問題ないよな?

「伊作がお菓子持ってくるの久しぶりだよなぁ」

中学一年の頃に一回あったがそれ以来、伊作はバレンタインにお菓子を持ってこなくなった。持ってこないだけだったから、放課後に自宅に寄って手作りのケーキやらクッキーやらタルトを良く貰っていたけれど。学校で渡せばいいのにと言っても、頑なにそれを拒んでいたはずなのに、何があったんだろう。
不思議に思って尋ねたのに伊作は弱い笑顔を見せて、そんなことより、とさっさと話題を変えてしまった。

「いつ渡すのさ」
「放課後、部活の前に」

長次と小平太はあの公園の日以来、顔を合わせていない。
クラスも離れているし、会おうと思わなければなかなか顔もつき合わすことはなかった。今までだってそんな日は何日もあった。学校には何百人もの生徒がいるんだから、当然といえば当然なのかもしれないけれど、避けられてるのかも、という嫌な予感は拭えない。
会うのが怖い。
小平太だって自意識過剰な馬鹿ではない。人の気持ちが変わる事くらい知っている。あのときの言葉は勢いで、今ではそんなこと過去の物になっているかもしれない。
考えれば考えるほど負のループに陥って、会うのを先延ばしにしたい気持ちになっていた。


それでも時間は限りがあって、本日最後の授業を告げる合図が無常にも響いた。
渡すと本人に言った手前もある。さっさと終わらせてしまおう。

部活用のバックと鞄を引っ提げて2組へと向かった。扉の外から中を伺うが、そこに長次の姿はなくて首を傾げる。帰っちゃったのかとも思ったけれど、下駄箱にはきちんと靴が揃えられていて、もしかしたらと思って2階の図書室へと足を延ばした。
立て付けの古いドアを引いて中を覗き込む。図書室を外から見ることはあっても、中に入ったのは授業以外では初めてだった。静まり返った図書室は人気がなくて実に閉鎖的だった。
そっと体を潜り込ませ、扉を閉める。
身長よりも高い棚の間をすり抜けていった先に、カウンターでなにやら仕事をしている長次がいた。
手には図書の貸し出しカード、カウンターの上には分厚い本が積み上げられている。

「…長次」

こちらに気がついた長次は手にしていた紙の束をバラバラと落としている。大事な備品のはずなのに。そんなものには目もくれないでカウンターを抜けて近づいてきた。
長次を見るのは、久しぶりだった。姿を見れば胸がきゅうっと苦しくなって、やっぱりまだ好きなんだと嫌なくらいに思い知る。
間合いをつめてくる長次の顔を正面から見ることなんか出来なくて、小平太は長次の足元ばかりを馬鹿みたいに見つめた。

「くれないのか」
「私のなんかよりも美味しいチョコ、いっぱい貰ったんじゃないのか?」

だから、いらないだろう?
自嘲気味にそう言えば、思い切り引っ張られてあっけなく長次の胸に収まってしまった。
直ぐ傍で長次の匂いがして、心臓がうるさい。

「…七松から貰えると思って、全部断った」

義理ばっかりだったけど、と回された腕に力がこもる。
今日渡すそれが長次にとって、今年最初で最後のバレンタインチョコだと考え至ると、じんわりと視界が滲んだ。それを悟られたくなくて、口から出るのは可愛げの欠片もない言葉ばかりだった。

「…あんまり美味くないぞ」
「ああ」
「形だって悪いぞ」
「ああ」
「は、初めて作ったんだ」
「それは、男冥利に尽きるな」

長次は待っててくれた。馬鹿みたいに片意地を張って突っぱねて距離を取ったのに、ちゃんと待っててくれた。
それが嬉しくて溢れそうになる涙を堪えて、長次の背中にそっと腕を回した。長次の腕の中が気持ちよくて、頭がぼうっとしてくる。
不意に耳元に息が掛かるのを感じて肩に力が入った。

「好きだ、付き合って欲しい」

公園で言われたときと変わらない声色。首に顔を埋められているから小平太からは表情を伺う事なんて出来ない。けれど、回された腕が僅かに震えてるのを感じて、長次は本気なんだと、今度こそ思った。

「ば、ばか。今日は女から告白する日なんだぞっ」
「それは違うな」

今日は愛の誓いの日なんだ。
そう言ってされたキスは、今まで食べたどのお菓子よりも甘かった。





チョコより甘いキスをして







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2010/9/18




title:確かに恋だった



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