部屋の端と端に一組づつ敷いた布団の中で長次は息を潜めていた。片割れの布団は敷いた時そのままで、変わらず平らな影を落としている。
持ち主はまだ戻ってきていない。
常日頃から隣の組の会計委員長とつるんでいる彼は、今日も二人で深夜の鍛錬に出掛けたようだ。

息を吐いた。

布団と布団の距離は遠い。これが二人の距離なんだと思うと長次はすごく虚しい気分になった。



声変わりする前から同じ学び舎、同じ寝間で寝食を共にした小平太に淡い恋心を抱いたのはいつからだっただろうか。そんなことも思い出せなくなるくらいこの想いは日常化し、隣で屈託なく笑う友は長次の記憶に新たな小平太をどんどん上塗りしていった。

(すきだ、すきだ、すきだ)

溢れ出す想いをとめる術など知らない。型にはまった教科書や図書室にある本を覗いても、そんなことはちっとも書いてないのだ。
戦術ならわかるのに、と溜息を零す。

彼は友だ。
彼は男だ。
自分も彼も、忍びを志している。
色に溺れるな。欲に塗れるな。

当たり前の現実を何度も繰り返して、想いが知られないように、いい友を演じれるように、と自分で自分に呪文をかける。
布団の距離もその一部だ。

あまりくっつけて寝るのは長次としては精神衛生上大変よろしくない。夜中に目を覚ました日、目の前で無邪気な寝顔を見せる小平太には心底焦った。小平太は盛大に布団を蹴り上げて寝間着からは肩が露になっていた。薄く開いた唇の動きひとつとっても妙に艶めいてるように思えて、胸も跳ねたがそれ以上に熱を持った下半身がやばかった。もちろんそのまま寝れる訳もなく厠のお世話になり、自室に戻ると自分の布団を部屋の壁ギリギリのところまで引きずった。次の日の朝、小平太が「なんで布団離れてんの?」と小首を傾げてきたが、寝ているお前に欲情した、などとは当然いえるわけもなく。寝相が悪いからだ、と感情を必死に押し殺して言葉を捻りだした。
あれから長次と小平太の布団は一定距離を守っている。

あの時ついた嘘を小平太はいまだに信じてるようで、偶にだが、昨日は大丈夫だった?と聞かれることがある。その度に長次はすまないと心の中で謝罪を繰り返した。
そうでもしなければ、暴発して彼を無理やり――――…と、嫌な想像をして体温が下がる思いをした。
それは、それだけはあってはならない。
長次はゆっくり目を閉じると、一回二回と深呼吸を繰り返す。

あらぬ妄想を一瞬でもした自分に心底げんなりした。

「長次、いるか?」

開けられた襖の先には小平太が立っていた。後ろから差す月明りで、小平太の表情は伺えない。しかし纏う空気が平素のそれと違い、長次は顔を顰めた。

「酒を飲んだのか」
「ああ、仙蔵と二人でな」

それが証拠でもあるかのように、小平太は寝間着姿だった。

忍者には三禁がある。
酒もそのひとつだが、溺れるほど飲まなければ止められることもない。高学年になればなるほど、任務の合間にと酒を嗜むことは度々あった。特に小平太は酒を良く好んでいたと思う。そんなに酒がすきか、と問いた事があったが、彼から返ってきた答えは意外にも、あの雰囲気が好きなんだ、というものだった。そういえば酒の席では飲むよりもはしゃいで喋っていたような気がする。酒の入った碗にはほとんど手をつけていなかった。

「ちょっと話したいことがあるんだ」
「明日じゃ駄目か?」
「今じゃなきゃ駄目だ」

小平太に強く言われると、正直長次は弱い。どうしたものかと視線を彷徨わせていると、こちらを真っ直ぐと射貫く双眸にぶち当たった。
いつもよりも深酒をしたのか。染まった頬と潤む眼に先ほどの良からぬ妄想が蘇ってきた。
ああ、まずいな。そんなに見ないでくれ。

「長次、長次」

相当飲んできたんだろうか。舌足らずな、鼻にかかったような甘い声で何度となく名前を呼ぶ。
声色がまるで恋仲同士のそれのようで、変な錯覚を覚える。やめて欲しいと思う自分が居るのに、その空気が心地よくてもっとと欲してる自分も居る。ひどい矛盾だ。

「話し、とは」

なんだ、と言葉を繋げたとき、小平太の目は見れなかった。
長次は馬鹿みたいに布団だけを見つめている。小平太はずっと長次を見据えている。視線が痛かった。

「長次は私が嫌いか」
「…違う」
「じゃあ好きか」

答えられなかった。
小平太の問いに邪な気持ちなんて欠片もないんだろう。純粋に友としてどうなのかと聞いてくるその気持ちは痛いほどわかっていた。

離した布団と同じくらい、最近の二人は友としても離れていた。何の自覚もなく傍らに彼を置いていたあの頃と、今の自分は違いすぎる。小平太だって間抜けではない。この気持ちが露見してはならないと、食堂での席は対角線上になるようにしていたし、鍛錬も何かと理由を付け一人で行っていた。寝るときも時間をずらすように常にタイミングを計っていた。
それとなく距離をとっていたのは紛れもない事実だ。

「じゃあ嫌いなのか」

小平太の双眸から雫が伝った。

心が痛かった。

小平太にこんなことを言わせている自分に、心底腹も立った。けれど、好きの二文字はとても遠かった。

「そんなわけ、ない」

これが今は精一杯だった。





震えた声
(せいいっぱいの虚勢)





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2010/9/5





title:確かに恋だった



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