留三郎が風呂からあがると着信を知らせるランプが光っていて、湯で温まった体が冷えるような思いがした。

青白く点滅するランプが怖いと思った。
たかがランプ。たかが着信。なんてことはない。
なのに脳裏を過ぎるのは久しぶりに顔を突き合わせた幼馴染たちだった。目と鼻の先に住んでいるのにそれぞれ高校が違うものだから、三人顔を揃えたのは卒業以来だったのに、久々の再会とは思えないくらい重く張り詰めた空気に眩暈さえ覚えたのはつい数時間前の出来事だ。
あれから連絡のない仙蔵を心配したけれど、知らせがないのはいい証拠かと風呂に入ったのは三十分程前の事だった。



携帯を開いて恐る恐る着歴を確認する。
もし仙蔵だったらどうする?どうしようもないくらい取り乱して泣いていたら、なんて言葉をかけたらいい?
仙蔵をあそこまで取り乱させた原因を持ち込んだのも、焚きつけたのも紛れもなく留三郎だった。だから申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
どうか仙蔵じゃありませんように!

祈りをこめて液晶を覗き込めばそこには別の名前が浮かんでいた。
よかった、部活の先輩だ。多分連絡網か何かだろうと、発信ボタンを押す。
簡単に繋がった電話はやっぱり連絡網で、明日の朝錬は中止だと告げられた。

携帯を放り投げてベットに転がる。仙蔵の事も気になるが、申し訳ない。ぼうっとした脳裏に蘇るのは栗色の彼女の方だった。
文次郎と彼女は知り合いみたいだから、文次郎に聞けば彼女に繋がる何かを得られるかもしれない。けれど、文次郎なんかに頼るのは釈然としなかった。それに、と数時間前のやり取りを振り返る。
文次郎が昔から仙蔵を大切に思ってきた事はよく知っている。それを口に出さないから拗れに拗れて本日とんでもない事態に陥ったのだ。
神に誓って言うが、仙蔵とはただの幼馴染だ。恋愛感情なんてこれっぽっちもないし、仙蔵だってそう思っていることは留三郎だって承知している。だから躊躇いなく胸を貸す事ができたし、腕をまわす事だってできた。いうなれば、妹みたいなものなのだ。なのにあのときの文次郎の目!敵を見るような目で睨みつけて、終いには殴りかかってきそうな勢いだった。別に怖いとは感じないが、変な勘違いをされたみたいで相談ごとなど到底できる雰囲気ではない。

それに、もう一つの可能性も捨てきれない。栗色の彼女が文次郎を好きかもしれない、と言うことだ。
文次郎が彼女に好意を寄せてるとは思えなかった。でも、逆は有り得る。考えて背中に嫌な汗をかいた。
それでも想い描くのは彼女の笑顔ばかりで。

「もう一度会いてぇなぁ…」

どうしようもない独り言は床に落ちて消えた。





いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
けたたましい音を立てて存在を主張する携帯に、留三郎は文字通り飛び起きた。突然の事に名前を確認することなく通話ボタンを押す。

「…もしもし」

まだ覚醒していない脳と体ははっきりしなくて声もうまく出なかった。目を擦りながら相手の返答を待っていると「俺なんだが」と幼馴染の声が聞こえてきて驚きを隠せなかった。仙蔵ではなく文次郎だ。まさか本当に何かあったんだろうかと、本気で心配になった。途端に霞がかっていた思考が一気に醒める。

「どうした?」

できるだけ相手を刺激しないようにと、一定のトーンで喋る。電話口の相手は、ああとかううとか、声にならない声を上げている。
…メチャクチャ怪しい。

「おい、仙蔵に何かしたのか?まさか押し倒したりしてねーよな?」

帰宅後に部屋の窓から並んで仙蔵の家に入る二人を確認している。
沸点ギリギリのところにいたこの男の事だ、まさか仙蔵の意思なんてお構い無しに強引に事に及んだのではとつい疑ってしまう。

『ばっ、馬鹿たれ!そんなことしとらん!』
「ああ、それ聞いて安心した。幼馴染が強姦魔とかシャレになんねーからな」

軽口を叩けば、中学時代と同じような口調で返ってくる。機嫌も戻っているらしい。
よかった、どうやら変な事にはなっていないみたいだ。

「お前が電話とか珍しいな」

腐れ縁の文次郎とは、正直仲が良いとは言いがたい。こうして電話が来たのも最初に番号交換して以来だ。
やっぱりなんかあっただろう、と強い口調で言うと、意外にも相手は押し黙ってしまった。沈黙だけが走っていっそ切ってしまおうかと思ったが、通話料は相手持ちなのを思い出してそのままにした。
たっぷり時間を置いてから文次郎が口を開いた。

『…実は、正式に婚約する事にしたんだ』
「………は?」
『それで、留三郎にはちゃんと言っておこうと仙蔵と話をして…』

婚約?婚約って言ったか?仙蔵と?
…って、してたんじゃねーのかよ!?

「まてまて、順を追ってちゃんと説明しろ」

意味がわからなくて軽く混乱した。少なくとも揉めていた原因は善法寺と多分俺のはずだった。それをどうしてこうしたら「正式に婚約」という高校生とは思えない結論に至るのか、留三郎にはさっぱり意味がわからなかった。

そのあとの文次郎の話で大体の経緯はわかった。
許婚とは名ばかりの口約束だった事。一年前に仙蔵を突き放した事。そして好きだと告白した事。
過去も現在も洗い浚い聞きだして、留三郎は思った。

「婚約も良いけど、まずは恋人じゃねーのかよ」

将来を誓い合うのは勝手だ。留三郎には関係ない。けれど、踏むべき段階をあまりにも逸脱している気がして、思わず声を荒げてしまった。
恋愛なんて留三郎だってした事はないが、まずはそこからだと思う。きちんと順序を踏んでお付き合いを進め、社会的な地位が確立してから、婚約、結婚。それが当たり前だと思ったのに、幼馴染二人には通用しないらしい。

『仙蔵もそうしたいと言うから』

家族にも話を通したと、のうのうと言ってのける男に眩暈さえ覚える。
そうか、だから仙蔵から連絡がなかったのか。まぁなんだか奇妙な感じはするが、仙蔵が幸せならならそれでいい。
心からおめでとうと告げると電話の先で感謝された。


そこでふと思う。
これはチャンスではないかと。
数時間前に出会った紙切れの女こと、善法寺のことを知っているのは、いま電波を利用して会話しているこの男だけだ。文次郎に聞けば情報を貰えるかもしれない。都合のいいことに機嫌も大変良い。
あのさぁ、と歯切れの悪い声が上がって自分でもビックリした。

「善法寺って、知ってる?」
『ああ?お前まで善法寺の事を聞くのか?それならもう仙蔵に説明した』

例の地図の話もしたんだなぁと、二人の修羅場を想像して身震いが起こった。
怖い、怖すぎる。
文次郎は、その話はしたくねぇとぼやいているが、こっちだって切羽詰ってるんだ。痴話喧嘩に巻き込まれたのだから、代償として情報提供くらいしていただきたい。

「仙蔵は関係ない。俺が聞きたいんだ」
『何故だ?』
「それは……」

そこから先は、ここぞとばかりに事の経緯を根掘り葉掘り聞かれたのであまり思い出したくない。




文次郎の話でわかった事は、彼女が同級生でクラスメイトでメチャクチャもてると言う三点だけだった。
そりゃあもてますよね。可愛いし優しいし可愛いし。

『悪いな、挨拶する程度なんだよ』

そう言う文次郎の声色は少しも申し訳なさそうではなくて実に腹立たしかった。頼みの綱だったのにちっとも状況を打破できそうもなくて、泣きたい気持ちになる。恥を忍んで全て話したのに、これはあんまりだろう。
これなら自宅の場所を知っている自分の方がよっぽど彼女に近い気がする。

『あ、あとな。本命いるみたいだぞ』

本屋に行ったのも、それ用の本を買うためだったらしい。
嬉々とした声色で文次郎が語ってくれた。

…本当にこんな情報、要らなかった。
抱き始めた恋心に、文次郎の一言は本当にきつかった。




解熱剤をください
(効かないと思うけど、)






****************
2010/9/20




title:確かに恋だった



back