長次の怪我は、全身打撲と、数針も縫う顔の怪我だった。
母親から聞かされたときは、どんなものなのか、ちゃんと理解していなかったと思う。それを実感したのは、初めてお見舞いに行った日だった。


病室のベッドで本を読む長次の顔を食い尽くすような大きさのガーゼに、息をのむ。腕にもいくつか包帯とガーゼがあって、幼心にも責任と言う言葉が重くのしかかった。

顔は、女の命。そんな言葉、教えてもらったことなんて一度もなかったけれど、直感でそう思った。とんでもない傷を、一生残る大きな枷を、長次に架してしまったんだと。

足裏の裂傷と、左手の骨折程度だった自分に、申し訳なさで逃げ出したくなる。
これなら、自分の腕が一本二本、折れた方がずっとましだった。足が折れてもよかった。腕が裂けてもよかった。いや、わたしが、わたしの顔が、傷つけばよかった。男の子?なんて間違われる、女の子らしさの欠片もない自分のほうが怪我をしたらよかったんだ。おとなしくて、百合みたいに凛としてて、竹取物語のお姫様みたいな長次が、傷つくことなかったんだ。

悔しくて、悲しくて、目頭が痛くなる。そんなこっちの気持ちの揺れを知ってか知らずか、長次の場違いな「すまなかった。」が部屋に響く。

「……私が、森に連れてったから。私のせいで、小平太、怪我したから」

長次の言葉に、いよいよ耐えれなくなる。ぐずぐずとした黒いものが競りあがってきて、一気に弾けた。堰を切ったように溢れ出した涙が、ぱたぱたと、白い床に小さな水溜りを作る。

「ちょうじが謝ることなんてない!わたしが悪いんだ!」

一言零したら、もう止まらなかった。
後から後から、後悔の波がやってくる。わたしのせいで、わたしのせいで、わたしのせいで。ちょうじ、わるくないのに。言ってもしょうがない後悔で、心の中が大洪水を起こしているようだった。
ぼろぼろと泣き出す自分に、長次は慌てて「……そんなことない。」と言った。

そんなことない。
そんなわけないだろう!

「あるよ!わたしが全部わるい!わたしが欲しいなんて言わなきゃ、こんなことにならなかった!ちょうじの、……ちょうじのかお、きれいだったのに、わたしが、わたしのせいで……」

そこから先は言葉にならなかった。涙が言葉全部を飲み込んで、言葉にならない声しか出てこない。ぼろぼろ泣きながら、何度も何度もごめんなさいを繰り返した。長次はそれを、黙って聞いていた。

どのくらいそうやっていたのか。気がつけば、長次が目の前に立っていた。起き上がって、大丈夫なのか。そう思うのに、怖くて長次がみれない。両手にこぶしを作って、これ以上零さないように、目頭に力を入れる。雨の日の窓みたいに滲む床ばかりを見つめる。

「……こへいたが、」

長次の声に、肩が強張る。
なにを言われるんだろう。
怖くてたまらなくて、長次の顔を見れないまま、ぎゅっと唇を噛む。

「小平太が悪いって、すまなかったって、そう思ってるなら、責任を取ってくれたら、いい」

一瞬、長次がなにを言っているのか、わからなかった。
反射で顔を上げると、まっすぐにこちらを見る長次の双眸とぶつかる。怒っているのとはまた違う、真剣な瞳。その突き刺すような視線に、心臓がどんどんと早くなる。

「せ、きにん、って」

声が震える。責任という言葉が、頭をぐるぐると駆け回る。その意味は、はっきりとはわからない。けれど、とんでもなく重いものだと言うことだけは伝わる。思い知らされる。まっすぐすぎる長次の視線に。
戸惑う小平太に杭を打ち込むように、長次が決定打を振り下ろす。

「だから、責任とって、結婚してくれれば、いい」

きっぱりとそう告げる長次に、小平太は頷くことも、首を振ることもできなかった。






ガタンガタン、と、テンポよく電車が揺れる。
車窓から吹き上げる風が、少し冷たくなった。目的地まであとちょっとなんだと思い知らされ、このまま終点から折り返して戻ってしまいたい衝動に駆られる。

十一年前、病室で会ったのを最後に、長次には会っていない。いや、会えなかったと言うべきか。

自分が長次に架した重みに、会わせる顔がなかった。長次が言った言葉の重みに、耐え切れなかった。
結婚。長次の望みどおり、そうしてやれるなら、いくらだってしてやった。婚姻届を持って、迎えに行ってやったってよかった。できるんだったら、いくらだってしてやった。けれど、申し訳ないことにそれだけはできない。してやりたくても、できない。

「…………なんで、わたしは女なんだ、」

ポツリと呟いた言葉は、電車の音で掻き消されてしまった。



長次と会うとき、小平太はいつだってハーフパンツにTシャツだった。それも男の子が好みそうな、ダークカラーだとか、どこぞのヒーローみたいな、赤だとか青ばかりで、いま思い返しても女の子のおの字もないような格好だった。実際、畑のおじさんに「どこの坊やだい?」なんて声をかけられたこともある。そう。だから、長次が勘違いしてたって、それは長次の非じゃない。
けれど、言えなかった。傷を負った長次に、「わたし、おんなのこだよ。」なんて、そんなこと言えなかった。言ってしまえば今度こそ、長次を地獄の底に突き落とすことになる。落胆、どころでは済まなくなる。
責任の取れない自分は、長次から、この町から逃げることで、現実から目を逸らそうとしてたのだ。そして今も、全力で逃げようとしている。

それが証拠に、本日のファッションはカーキのカーゴパンツに、スニーカー。無地のTシャツ、その上から少し大きめのボーダーのカーディガンである。元から女の子女の子した格好はしないけれど、大好きな原色カラーは控えて、背中まで伸びた髪の毛は頑張ってくくり上げて、帽子の中に押し込めてしまった。人よりちょっとだけ成長しすぎた胸は、サポーターで潰してきた。荷物を詰め込んだ旅行バッグも、女子高生が持つものからは程遠いスポーツバッグで、多分、遠巻きにみれば男に見えないこともないだろう。

あざとい。我ながら、ものすごくあざといと思う。それでも長次の住むこの町に、女の子として訪れるなんて出来なかった。



到着した駅は、幼い頃見た景色、そのままだった。古いコンクリートが所々剥げて、土がむき出しになったホーム。昭和っぽい木造の駅舎。銀色のはさみを持った駅員さんに、硬いボール紙で出来た切符。全部が同じで、懐かしい気持ちに胸がいっぱいになる。

終点に向かう電車を見送ってから、小さな改札を抜けた。ふと顔を上げると、駅の入り口に人が立っているのが見えた。逆光で表情はおろか、顔すらろくに見えていないけれど、いやにでかい男が、こちらを見つめているような気がする。自分だってそこそこ身長があって、クラスの男子のつむじが拝めるほどだけれども、この男はそれよりもっと高いようだった。

もう電車は、もう行ってしまった。振り返って確認した時刻表は、次の電車は五十分後だと教えているし、自分以外にここで降りた乗客はいない。
じゃあ、こいつは、ここでなにをしてるんだろう。不思議で、不審で、なんとなく男のいるほうへ進みたくなかった。スポーツバッグを胸に抱えて立ち止まっていると、男のほうがこちらへ向かってきて、心臓がぎくりと鳴る。

「小平太、」

見ず知らずの男の口から、自分の名前が出る。びっくりして、ぱっと、目を見開く。慌てて顔を上げる。けれど、視界に飛び込んできたのは、やっぱり全然知らない男の顔だった。

「お前、誰だよ」

警戒心剥き出しの猫みたいにして、睨みつける。その様子に男はやれやれと溜息を吐くと、「来るって聞いたから、迎えにきたんだが、ずいぶん、嫌われたもんだな」と零した。

「……私だ。長次だ」

飛び出した言葉に、息が止まるかと思った。

「……うそ、」
「嘘じゃない」
「うっ、ウソだ!わたし、信じないぞ!だって、だって、わたしが知ってる長次は、長次は、」

かわいい女の子だった。家で飼ってる猫と縁側で戯れて、毎朝必ず朝顔に水をあげる。浴衣に身をつつんでいて、自分みたいに泥まみれで遊ぶようなガサツさなんてない。読書が大好きな、おとなしい子だった。間違ってもこんなにガタイのいい、厳つい男とは結びつかない。
そんなわけないと、全力で否定の言葉を並べたてる。けれど、長次だと言った男の顔、両頬には、うっすらと茶色の傷跡があって、それはあの日、病室にいた長次の顔を覆っていたガーゼと全く同じ位置だった。

でっかいハンマーで殴られたような衝撃が走る。嘘だろう、とてもじゃないけど、信じられない。力の抜けた両手から、バッグが零れ落ちた。

「女なんて、言った覚えは、ない」

失礼な奴だ。と、長次はごちるけれど、一人称は「わたし」だったし、女の子みたいにくりくりしてたし、浴衣姿だったし、なんか可愛かったし、やることなすこといちいち女の子みたいで、勘違いするなというほうが無理な話じゃないか。こっちに非はないだろ!だんだんと腹が立ってくる。長次が女みたいだったのが悪いのに!男だって言わないのが悪いのに!
完全に八つ当たりなのはわかっていたけれど、行き場のない怒りがぐるぐるして、言葉が止まらなかった。

牙をむく小平太とは対照的に、長次は顔色一つ変えない。穏やかな口調のまま、「けど、私はちゃんとわかってたぞ。」と、言葉を綴ると、長次の大きな手のひらが、帽子のつばにかかった。それをすうっと上に引き抜かれて、束ねていた髪が零れ落ちる。

「女なんだから、もっと色気のある格好をしたらどうだ」

そういうのも、らしくていいが。と、付け加えて。

心臓が、とまるかと思った。長次の言葉が、高速サーブみたいに突き刺さって、跳弾する鉄砲玉みたいに何度も跳ね返る。

女。女って、知ってたのか。じゃあ、こいつは知ってて、全部わかってて、わたしに、結婚って。

十一年間抱えていた結婚の文字に蛍光ペンが引かれ、「女の子なんだから、」に結びついた。頭が一瞬で真っ白になって、一気に顔が熱くなる。途端に長次の顔が見れなくなった。どうしていいのか、どんな顔をして、どんな風に喋っていいのか、さっぱりわからない。さっきとはまた違った意味で居場所がない気持ちでいっぱいになって、足元がコンクリで固められたみたいに動けなくなった。

落ちたままのスポーツバッグを、長次が拾う。かがんだ瞬間、痛々しい線が刻まれた頬が横切って、燃え上がりそうだった赤い気持ちが一瞬で青に変わった。溶けるほど熱した鉄に、冷や水をかぶせたような心地が湧き上がる。

「……ごめんなさい、」

なにに対してかは言わなかった。けれど、意味は十二分に伝わったらしい。

「…………顔のことなら、気にしなくていい」

決まり文句のように、長次はそう言うけれど、やっぱりそんなわけにはいかないだろうと思う。顔は自分の看板で、やっぱり大事なものだ。男も女も関係ない。そこに一生残るものを負わせたんだから、それ相応の償いはきちんと受けるべきに決まっている。そんな思いを込めて、「そういうわけにはいかない。」ときっぱり告げると、長次はやれやれと溜息を吐いた。

「そんなに気になるか」

蝉の鳴き声くらいしか聞こえてこない駅舎に、長次の声が響く。覚悟を決めてこくりと頷くと、長次の右手が伸びてきて、ぐっと引き寄せられた。つんのめるようにバランスを失った体は、あっさりと長次の胸におさまってしまって、突然のことにびっくりしすぎて声がまったく出なかった。

「そこまで気にしてるなら、責任とって、嫁にこい」

それはまるで、どこぞのドラマのワンシーンのようだった。
心臓がバクバクして、漏れる息すら震えるような錯覚を覚える。およそ高校生とは思えない、告白と言うよりもプロポーズに近いそれに、十一年前と同じように、世界が止まる音を聞いた気がした。





グラウンド・ゼロ





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2012/6/10



リクエスト内容
にょた・再会・小平太の(性別の)勘違い




リクエスト、ありがとうございました!




title:花涙



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