|
その後の部活動には全然身が入らなかった。
普段なら袴姿になって防具をつけてしまえば、目の前にいる相手と稽古しか考えることはない。面金越しに見る風景は、いつだって真剣勝負だった。そうやって何年も打ち込んできたのに、今日は素振りをしてても、打ち込みをしても、地稽古をしても、一向に集中できなかった。
こんなのは初めてだ。
思うのは善法寺の事ばかり。直接本人に言われたわけじゃないけれど、「会いたい」と言う気持ちが自分からの一方通行じゃないことに、浮遊した思考を立て直す事なんて出来なかった。他でもない今日、会いたいといわれたら否が応にも期待してしまう。期待するなと言う方が無理だ。
部活終了時刻になれば、学年ごとに整列、正座をして神棚に向かって一礼。ありがとうございました、と言ってしまえば本日の稽古は終わりだった。
なんとなく見た自分の竹刀のささくれが気になって、でも早く帰りたくて、試合でもないのになんとなく竹刀袋にそれをおさめた。
手入れは家ですればいい。
布製の竹刀袋は持ち手なんて存在しない、実にシンプルな作りのものだった。練習用の竹刀は試合で使う物よりも長めの物を好んで使っていて、その傾向は中学時代とさして変わりは無い。ただ規定サイズが高校の方が大きいので、中学時代の練習用はそのまま試合用へと変わった。今もっているのは練習用だ。長くなった分だけ重くなった竹刀を片手で持って器用に自転車を漕いでいく。
仙蔵に一方的に告げられた内容を反芻する。
『部活が終わり次第、家に来い』
それは、彼女が仙蔵の家にいるってことだ。目と鼻の先に在る仙蔵の家までの道のりは普段の下校風景となんら変わらないはずなのに、今日はまるで違って映るのだから不思議だった。
早く、早く会いたい。
気持ちは逸るばかりだ。
自転車だけを庭先に突っ込むと、荷物を置くのも着替えるのも忘れて仙蔵の家のチャイムを押していた。
扉から顔を覗かせた仙蔵は、人の顔を見るなり盛大に顔を顰めた。
「臭い」
確かに防具特有のにおいは心地の良いものではないけれど仕方ないじゃないか。
こちとらついさっきまで竹刀振ってたんだからな!
「仙蔵だって防具つけりゃ同じじゃねぇか」
部活はやっていなくても、休日に道場で稽古を積んでる仙蔵だって似たようなものだと思う。
なんといっても防具なんてそうそう洗えるものじゃない。というか洗ったことなんて無い。陰干しや汚れをふき取ることはあっても、丸々洗濯なんて出来ない。先輩の中には面金から外せるタイプのものを使用していて偶に洗ったりしているみたいだけれど、留三郎が使っているものも仙蔵が使っているものもそんな事は出来なかった。ただでさえ一式云十万もする代物なのに、下手に洗って失敗したらそれこそ取り返しがつかない。
嫌味をこめて言ってやったのに、仙蔵は余裕の笑みだった。
「私はきちんとシャワーを浴びるから、そんな異臭はしない。防具だってクリーニングくらい出すしな」
ブルジョワめ…!
一回が万単位のそれをしていると言ってのける幼馴染に眩暈を覚えた。生きてる次元が違う気がする。
「早く上がれ。伊作がお待ちかねだ」
その言葉に、思わず肩の力が入ったけれど、動揺を悟られたくなくてなるべく平静を装った。
促されて靴を脱ぐと、リビングにいた仙蔵の母親に「お邪魔します」とお辞儀をした。二階まで続く階段が酷く長いものに感じられる。
会いたい一心で深く考えずにここまで来てしまった。
自分が彼女に寄せるものは確実に恋心で、今期待しているのもそういうものだけれど、善法寺はそんな気更々ないのかもしれない。邪な気持ちなんて一切無くて、単純にお礼か何かのつもりで会いたいと言ってきたのかもしれない。
そう。だって、彼女には本命がいるじゃないか。
何時ぞやの文次郎との電話を思い出して、夢見がちにふわふわした思考は一気に現実に戻った。体温が一度、下がった気がする。
あの日の電話で、文次郎は確かにそう言った。本命がいるらしい、と。それは彼女と出会う数時間前に文次郎が得た情報で、当然その相手は自分ではないのは明らかだった。
あの子は可愛い。
幼馴染の仙蔵だって綺麗だけれど、あれは棘のある薔薇のように高貴で尖っている。それとはまた別の種類の可愛らしさを彼女は持っていると思った。例えば、百合のように清楚で可憐で。そんな子を男が放っておくわけ無い。共学校の彼女の周りにはいくらだって男がいるんだから。
たった十数段の階段をのぼる間に、逆上せ上がった気持ちはすっかり覚めてしまった。
ブラウンの木製の扉を引けば部屋の真ん中、カーペットの上にぺたりと座る亜麻栗色の彼女がいた。
最初に会った時と変わらない制服姿の善法寺だけれど、室内の空調が良く聞いてるせいかコートもマフラーもブレザーだって羽織ってはいない。それは初めて見る姿でグレーのダボっとしたカーディガンがすごく愛くるしかった。
ドアノブを握ったまま動けないでいると、仙蔵に思い切り背中を蹴られた。
痛い、と抗議したけれど、あいつはそ知らぬ顔でベットのそばに置いてあった鞄を持つと。
「隣行ってくるから、後は適当にやってくれ」
それだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。
隣、と言うのは文次郎の家の事だろう。ここ最近、二人が互いの家を行き来してるのは何となく知っていたから、そんな事は直ぐに察しがついた。
あいつらはいい、親公認なんだから。だけどこっちは話が別だ。ろくに会った事もなければ、会話らしい会話だって殆どした事がない関係で、更に言えば留三郎は彼女が好きだった。自制心に自信はあれども、若い男女が密室に二人きりとかどうなんだ。
なんとなく扉を閉じるのは申し訳ない気がして、開けっ放しにしたままで善法寺から距離を取った場所、部屋の隅に胡坐をかいた。離れて座ったのはわざとで、うっかり欲情に負けてしまわないようにと自分への牽制が半分、もう半分は仙蔵に「臭い」と言われたからだ。仙蔵ならまだしも彼女にまで同じ台詞を浴びせられた日にはきっと立ち直れない。確かに臭い、わかってる、自覚はある。けれど、意外と男心は傷つきやすいのだ。
「暖かいの、逃げちゃうね」
善法寺は徐に立ち上がると開いていた戸をご丁寧に閉めてしまった。確かに冷気たっぷりの廊下からは、寒々しい空気が漏れていたけど。
せっかく開けといたのに!
こっちの気持ちはお構いなしなのか、距離を詰めて座りなおすものだから尚更慌ててしまった。
「急に呼び出しちゃって、ごめんなさい」
「あー…、それは別にいいけど。えっと、会いたいって聞いたんだけどさ」
口に出してしまえば、引っ込んでいたはずの期待が頭を出してくるのだから、もう完全にいかれてる。
会いたい、なんてこんな可愛い子に言われたら、一発で墜落するに決まってる。俺は悪くない。
それでも平静さを装って変な空気にならないように言ったのに、目の前の彼女は頬を染めるものだから、ますます過剰な欲が全身を覆った。
「渡したいものがあります」
そう言って善法寺が差し出したものは白いビニール袋だった。それは近所にあるコンビニのロゴマークが入ったもので、期待した甘いものではない。見た瞬間に血が下がる思いだった。
そっと受け取った袋の中身は、メロンパン、スコーン、ポッキー、ポテチが詰まっていた。それは以前彼女に渡したものそのままで、中身は軽いはずなのにすごく重く感じて、同時に彼女が「会いたい」と言った理由も理解した。
「あの時はありがとうございました」
やっぱりな、という気持ちが先に来た。
ただ単に彼女はお礼が言いたかっただけで、気持ちの方角は留三郎とは全く別だった。ギリギリ軋む気持ちを押さえつけて、笑顔をべったり貼り付ける。
悟られてはいけない。
「こっちこそ、わざわざありがとう」
気の利いた言葉を掛けれればどれだけ良かったか。落胆する自分の気持ちを押し隠すのに必死で、そんなものは全く口から出てこなかった。
ちょっとでも同じ気持ちだったらと切望した自分が居た堪れなかった。
竹刀の手入れを理由に帰ると告げれば、待ってと呼び止められる。その声が、視線の先にいる善法寺の瞳が、妙に揺らいでいるものだから無碍に出来なくて、また同じ場所に腰を落ち着けてしまった。
「まだ、渡したいものがあって…」
そう言って彼女が鞄から出したものは二つ。一つは可愛らしいビニール製の袋に包まれたもの、もう一つはCDケースくらいの大きさの箱だった。袋の方は半透明で中身が見えている。手作りのカップケーキが覗いて思わず心臓が跳ねる。箱の方も綺麗に包装されていたが、既製品のそれとは違っていて、両方手作りなんだなとなんとなく思った。
善法寺は袋の方を差し出して。
「義理チョコです」
刺さった。心に痛く刺さった。
義理、そう義理だ。義理チョコだ。
はっきり言われれば、もう凹むどころの騒ぎじゃなかった。朝までは会えるだけでも嬉しいと思っていたのに、一度期待してしまえば欲望は実に深かった。
それでも貰えるだけ幸せだと自分に必死に言い聞かせて、ありがとう、と差し出されたそれを受け取った。
出してた包みが二つあった事に気がついて、そっちは?と指で示す。
こっちが義理なら、そっちは友チョコか。もう過剰な期待はしたくないと諦め半分でそんなことを思った。
目前の善法寺は真っ赤な顔をしていて。
「…こ、こっちは本命です」
そう言って綺麗な包みを差し出してきた。
どのくらい呆けていたのか。
自分のものとは違う細い指が目の前でちらちら動いて、我に返った。目に映っていたのは善法寺の手だった。
本命ってどういうことだろう。そのまま捉えてしまっていいんだろうか。でもさっき義理チョコと宣言されたそれを受け取ったばかりだ。
縺れた思考では到底情報処理なんてやりきれなかった。わけがわからなくて頭を掻いた。
あーもう!わけわかんねぇ!
「俺、義理チョコ貰ったよな?」
「うん、渡したね」
「それで、本命もくれんの?」
「…どっちかっていうと、こっちを、貰って欲しいかも」
嫌ならいいです、と引っ込められて、思わず箱を掴んでしまった。
「いる!」
ぐっと部屋の温度が高くなった気がした。
善法寺には直接触れてはいない。互いに四角い箱越しに繋がっているだけなのに、双眸の先にいる善法寺の両頬はすっかり染まっているし、自分の体だって妙に熱い。鏡を見なくても彼女と同じくらい赤くなっている事はわかった。
彼女の表情と、さっきの言葉を頭の中で繰り返す。
これは、期待していいんだろうか。
放課後から期待しては打ち崩されてきた。フラグが立つたびに圧し折られて、そのたびに酷く落ち込んだ。けれど、これは、今回は、信じてもいいのかもしれない。期待したって良いのかもしれない。
まだ直接的な言葉は貰っていない。でもこれはきっと男の仕事だ。目は逸らさない。
「俺も、善法寺が好きだ」
箱の中身は手作りのチョコタルトだった。
本気度99%
了
****************
2010/10/7
留伊バレンタインは三段活用でございます。お礼→義理→本命。
留さんが剣道部なのは、私が彼に夢を見ているからです(夢を詰め込みすぎました)
title:確かに恋だった
back
|