今日のバイトは、早上がりだった。
金曜の夜、居酒屋にとっては書き入れ時で、宴会の予約もいくつか入っている。こんな日に早くあがるのはさすがに気が引けるなぁと思ったし、同じ調理場の文次郎には、「ふっざけんな!」と胸倉つかまれそうになった。けれど、懐の広い店長が、「いつも無理言ってるし、いいよ」と、シフトを融通してくれたのだ。

「彼女とデートだっけ?」

楽しんできなよ。と送り出してくれる。文句ばっかり言っていた文次郎も、振り向かないまま「喧嘩すんなよ。」と言葉を投げてきて、胸の奥がこそばゆかった。




春の初め、伊作と知り合ってから三ヶ月が経った。

頭数あわせで強制参加させられた合コンは、最初こそ乗り気でなかったものの、テーブルの端で小さくなる伊作を見つけたときには、そんな気持ちはすっかり吹っ飛んでいた。伊作の前の席を陣取って、話を振る。最初のほうこそ警戒心丸出しだった伊作も、時間が経つにつれて笑顔も見せてくれて、お開きになるころには、軽く小突いてくれるくらいに心を開いてくれた。それがうれしくてたまらなかった。二次会でみんながカラオケに夢中になってる隙に、そっと連絡先を渡す。赤外線でやれば一瞬なのはわかっていたけれど、どう切り出していいのかわからず、苦肉の策だった。らしくもなく、緊張で指先が震えていたのに、伊作は気づいただろうか。
受け取った伊作が、「なぁに?」と、二つ折りにしたそれを開く。テーブルに置いてあった紙ナプキンに、番号とメアドを書いたそれを、伊作は受け取ってくれるか。いやな顔されないか。でも、あれだけ盛り上がったんだから、大丈夫だろ!必死に自分を奮い立たせつつ、横目で伊作の様子を伺う。死刑宣告を待つ気分だった。

「俺の、メアド。も一回、会いたいから。できたら、二人で」

一秒が、気が遠くなるほど長く感じる。伊作は一度息を吐いた後、「あとで、メールするね。」と言った。流行のポップスが流れる室内で、本当に小さな、消え入りそうな声だったけれど、伊作の声は確かに俺の耳に届いた。

あの後、本当に伊作からメールが届き、あれよあれよという間に、伊作と俺の距離は縮んでいった。桜の木に若葉が芽吹くころには、友達から恋人へと昇進を果たし、呼び方も「善法寺」から「伊作」へと変わった。恋人同士の階段も文字通り駆け上がることが出来た。夢のようだと今でも思う。

まさか彼女が出来ると思わなかったから、シフトをぎちぎちに詰め込んでいたのが失敗だった。五月の連休はバイト三昧で、遠出どころか近場に遊びに行く時間もろくにとれず、仕事前に一度、食事に言っただけで終わってしまった。「しかたないよ。」と伊作は笑っていたけれど、少し下がった眉尻が寂しそうで、心の奥がちくちくと痛んだ。
夏が本格的に始まれば、また忙しくなる。休みが取りづらくなる。連休の埋め合わせではないけれど、夏になる前に遠出をしようと計画したのだ。店主に無理を言って融通してもらい、土曜に休みをもらった。明日は二人で海に行く。泳ぐには早すぎるけれど、二人で海を見ながら、歩くだけだっていい。はやる気持ちを抑えつつ、いつもとは逆の電車に乗った。

バイト先から、伊作の家までは電車で二駅。明け方近くまで営業の居酒屋でのバイトだから、早くあがれたといっても終電ぎりぎりの時間帯だ。ホームだってまばらだったし、乗り込んだ車内も酔っ払いと仕事帰りのサラリーマンが数人いるだけ。それでも腰を落ち着かせる気分になれず、ドアに背を預けた。
がたがた揺れる電車に身を任せ、家で待つ伊作を想う。

「留三郎のすきなもの、作っておくね」

昨日の電話で、はにかむようにそう言った伊作を思い出し、頬が緩んでくる。口元がだらしなくなったのに気づき、慌てて手のひらで覆った。

つまり、今日を楽しみにしていたのだ。バイトだけれど、仕事が終わって扉を開けば、そこには大好きなあの子が待っている。手料理を振るってくれる。エプロン姿というオプションがつくかはわからないけれど、これって新婚生活そのものだろ!と、ご褒美をもらった子供みたいに足をばたつかせたい衝動を必死に抑えた。

それなのに。
部屋のドアを開いた瞬間、俺のテンションは下降する折れ線グラフのように、ぱきっと折れてまっさかさまに下がっていった。ゼロを超えて、マイナスの域に突入する勢いで。
理由は簡単。扉を開けたそこにいたのが恋焦がれる伊作ではなく、鉄砲水のように跳ね回る幼なじみだったからだ。

「なんで、小平太がいんだよ!」
「いたら悪いのか?」

悪いよ!と力いっぱい叫びたかった。けれど、小平太の後ろに伊作の姿が映って、必死に言葉を喉奥に飲み込む。みっともないとこは、伊作に見せたくない。俺の、せめてものプライドだった。

なんで!どうして小平太がいるんだよ!聞いてねぇぞ!
渦巻く不満にふたをしつつ、伊作を見る。困ったように笑う伊作は、きっと悪気なんてなかったはずだ。というか、なかったと思いたい。あったなんて言われたら、地面にめり込む勢いで凹んで戻れなくなりそうだった。





恋ごころに100のダメージ!








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2011/5/22




title:確かに恋だった



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