まさか、こいつに欲情する日が来るとは。
捕食者を捕まえた獣の瞳で文次郎自身を銜える小平太を、どこか他人事のように感じながら、そんなことを思う。

だって相手は小平太だ。威勢の良さと頑丈さばかりがウリの、体力無尽蔵の野獣のような男だ。すくすく育った体は重厚で、女のような柔さなど当然ない。腕も、肩も、胸も、どこもかしこも逞しく雄々しいし、そんな男くさい体に情欲を掻き立てられるような性癖など、当然持ち合わせてはいない。だって俺が性的対象は、女なんだから。
まあ、ぷっくりした頬っぺただとか、まん丸い眼は、それなりに可愛いとは思う。ころころと様変わりする表情だって面白い。けれど、それと色気はまた別問題だ。間違っても性欲を掻き立てられるような点はない、はずだった。

真夏の灼熱にやられたのか、はたまた連日連夜の委員会活動で欲求が限界に達していたのか、どちらにしても、どうかしていた、としか思えない。

学園の外れにある倉庫という名の廃屋に連れ込まれた文次郎は、決して自分は悪くない、という姿勢のまま、己の下肢に蹲る男のたっぷりとした髪をひと撫でした。




なぜこんなことになったのか。
きっかけは小平太が大層執心していた一枚の春画、そして事件は、待てど暮らせど一向に提出される気配のない体育委員会の予算案を強制回収に出向いたときに起こった。


「おい! いい加減体育の予算案出しやがれ!」
まさか出来てねぇとは言わせねぇぞ。と、牙剥き出しでろ組長屋の戸を蹴破ってやる。反動で勢いよく外れた戸が、豪快に音を立てて床に倒れる。それを器用に避けてみせた小平太が熱心に眺めていたのが、男と女がくんずほぐれつしている、いわゆる春画だった。

おいおいおい、真昼間っからなにしてんだ。てめぇは。
同じ男だし、見たい気持ちはそりゃあ痛いほどわかる。わかるけれども、時と場合を考えろ。襖を隔てた外では下級生たちが元気に飛び回っているし、そんな彼らの突然の来訪、なんてのも日常茶飯事だろうが。
「てめぇのとこの一年坊主が来たら、どうするつもりだ」
おもいっきり眉をひそめて、苦い顔を向ける。が、肝心の小平太には、こちらの苦言などまったく届いていないらしい。会話は一方通行のまま、返事など一切返ってこなかった。かわりに、犬猫のように首根っこを掴まれる。

「文次郎! これ、すごいぞ! 見てみろ!」

そうして、強制的に鑑賞会に突入するはめになってしまったのだ。




小平太の言うとおり、その春画は、なんというか、確かにすごかった。
「どうだ、ここ一番の掘り出し物だろう?」と小平太が目を輝かせるだけのことはある。たかが絵だとわかっていても、恐ろしいほどに欲を掻き立てられてしまった。

どれだけ三禁を掲げていようと、人間なんだから、溜まるものは当然溜まる。
ここ数日間、徹夜で算盤をはじき続け、深夜の鍛錬もご無沙汰で、すっかり欲求不満だったせいもあったと思う。むくむくと湧き上がりはじめた欲に抗えず、ついうっかり「……やりてぇ。」と本音が零れてしまった。
別に、小平太とどうこうしたいという意味ではなかった。久しぶりに色街で娼妓でも買おうか。そういう意味合いで小平太に、「お前も、そう思わねえ?」と振っただけの話だ。決して他意はなかった、と文次郎は心中で両手を上げ、身の潔白を主張する。
けれど、小平太は別の意味で取ったらしい。「そうだな。」と、まあまあこちらの期待通りの返事をしてくれた後、何故かすくっと立ち上がると、「よし、場所を変えよう!」と、文次郎の腕を取って、そのまま外へと駆け出してしまった。

そうして引き摺られるようにして連れてこられたのが、この倉庫である。

最初はまったく意味が分からなかった。どうしてこんな場所に連れてこられたのか、小平太がなにをするつもりなのか、皆目見当もつかなかった。
例の春画は部屋に放置で、目の前の小平太よりもそっちの方が気がかりだったのもある。ご丁寧に、小平太が戸につっかえ棒を施したのも、纏った装束の帯を解き始めたのにも気がつかなかった。

そうして我に返った頃には、衣を脱ぎ捨て臨戦態勢に入った小平太に押し倒されて、すっかりそういう流れになっていたのだ。


「さぁ、まぐわろう!」
色気も素っ気も、ついでに言うと雰囲気もない、真夏の太陽のごとくカラッとした笑顔でそう宣言され、頭が真っ白に染まる。抵抗する暇のないまま、猛獣と化した小平太に噛みつかれ、心臓が縮みあがる。

え、なにこれ。俺、小平太に食われるの? え、まじで?

女の経験はあっても、男とは当然ない。もちろん興味もない。任務として己の体を使うことがある、と一応の知識と覚悟はあるものの、まさか自分に粉をかけられるなんて小指の爪ほども思っていなかっただけに、驚きと未知への恐怖に全身が強張る。
そうか、襲われる側って、こんな気持ちなんだな……。次に買う女はもう少し丁寧に扱ってやろう。と、斜め左方向に現実逃避を図っていると、馬乗りになった小平太が豪快に笑い、前髪のあたりをぐしゃぐしゃと撫ぜてきた。まるで、子ども扱いだ。

「そう心配せんでも、痛いことなどせん。二人で気持ちよくなろう?」

その瞳は、確かな欲の浮かんだ男の目だった。小平太もこんな顏をするのか。すごいすごいと騒ぎ立てていた春画を眺めていた時ですら、おもちゃを見つけた子供のような、一片の性も感じさせない眼差しだったというのに。
ごくりと喉が鳴る。先程とは一変した柔い手つきで、頬をひと撫でされる。宝物に触れるような優しさを帯びた触れ方、甘く欲を孕んだ視線に、耳の後ろがどんどん熱くなっていった。



お互い溜まっていたとか、後学のためにとか、何事も経験だとかなんとか、小平太に言いくるめられたような気がする。けれど、決定打は記憶からすっぽりと抜けてしまっていて、それほどに溶けきった己に苦笑するしかない。

小平太の手によって寛げられた帯はどこに消えたのか。中途半端に脱がされた袴が足のあたりに絡まって、なんとも落ち着かない。それ以上に、小平太の手によって確実に高められている自分自身に、平常心が保てそうもなかった。

平素では豪快に笑い、食べ、しゃべる唇に、舌に、見事なほど翻弄されている。

最初に銜えこまれた時こそ、食いちぎられる! とビビったものの、その口淫は恐ろしいほど巧みなものだった。
軽く食むように根元にくちびるを寄せ、そのまま舌で撫で上げられる。添えられた指先が後を追うように這い上がり、舌先と共に鈴口を刺激する。刺激される。そこに、鍛錬で見せるような荒々しさは全くなかった。大切な宝物を扱うように優しい手つき。慈しむような眼差し。初めて見る表情に、ユリコに打ち抜かれた壁のごとく、ガタガタと理性が崩れ始める。心に火柱が上がる。

赤く熟れた舌が、くびれた部分をぐるりと這う。涎でべとべとになったそこをズズッっと吸い上げられ、腰のあたりからぞわぞわと何かが這い上がった。それを必死にやり過ごす。

どこでそんな性技を身に着けたのか。巧みにこちらを追い詰める小平太に、そんな疑問が浮かび始める。
どこぞで買った商売女との経験から学んだのか。はたまた本番に強いこいつのこと、単に持っていた知識を実践してみせただけなのか。それとも、自分が知らなかっただけで、男相手の経験でもあったのだろうか。最後の可能性だけはあってほしくない。
ただの友人でそれ以上でもそれ以下でもないのに、自分勝手にそんなことを思う自分に気がついて、腹の底が冷えるような気持ちに染まる。なぜ、そんなことを思う? 考える? のぼりつめる体とは真逆に、氷水のごとく冷えていくようだ。そんな気持ちを振り払うように、ぎゅうっと瞼を閉じた。
その間も、小平太の手は止まらない。これ幸いと、ちりちり痛み出した心の芽を摘むように、与えられる快感に身を任せた。

「……っは、」

思わず漏れた熱い息。存分に欲を孕んだそれに気をよくした小平太が、追い立てる手を更に早める。気持ちいい。けれど、やはりこのまま一方的に追い立てられ、いかされるのは癪に障る。

だらりと床に投げ出したままだった腕を上げ、小平太の腰のあたりを撫でる。今の今までされるがままだった文次郎からの行為に、小平太が、「お?」と顔を上げた隙をついて、一気にひっくり返してやった。

「悪いな。やられたら、倍にして返す主義なんだ。」

ぶっきらぼうに吐き捨てると、反撃とばかりに手を伸ばし、小平太の下帯を乱暴に剥いでやる。そうして、さっきまで散々いいように弄ばれた仕返しとばかりに、小平太の熱を口に含み、存分に舌先で可愛がってやった。
自分がそうされたように、浮き出た血管をなぞる。歯が当たらないように口に含むと、潤み始めた先端を軽く吸ってやった。途端に上がる切なげな声。は、は…っ、と吐き出される、甘い吐息。逃げ場を求めるように宙をかく右手。己の手管に翻弄される小平太は、蜜の味だった。

正直に言うと、男のものを口に含むことには、かなり抵抗があった。そりゃそうだ。自分と同じものがついているのだから。嫌に決まっている。任務やらなにやらで仕方なくならまだしも、なんの利もないのに自分と同じものを口で嬲るなんて。想像しただけでも、身の毛がよだつ。そのくらい嫌悪していたというのに、小平太相手にいざ実践してみれば、不思議なほど不快感はなかった。むしろ、隠すことなく従順に快楽にのまれていく姿が嬉しくてたまらなかった。

小平太の呼吸がどんどん早くなる。途切れ途切れの息遣いに混じる声が、どんどんと余裕がないものに変わる。ぐずぐずに溶けきった表情で、切なげに眉を寄せる小平太が、「も、出る…っ」と限界を訴えた。たまらない、と思った。

あとちょっとで達する。その寸前のところで口を離す。突然の静止に小平太が非難の声を上げたが、それを無視して、すっかり煽られてしまった自分自身と一緒に握りこむと、本能の赴くがままに、手を、腰を動かす。

「……あっ、はぁ、それ…っ、や、ば……っ」
「はっ、……っ」

二人分の先走りが、混じりあう。ぐちゅぐちゅと響く厭らしい水音。熱い息遣いが鼓膜を刺激する。
彷徨う小平太の右手を捕えると、床に縫い付けるように押さえつけ、深く深く、指を絡めていく。小平太の左手が文次郎の背に回り、二人の距離がぐっと近くなった。

「もんじろう、」と、甘ったるく、名を呼ばれる。潤んだ瞳に見つめられ、神経が焼き切れそうになる。そんな顔するな。そんな目で俺を見るな。見つめるな。変な勘違いを起こしそうになるだろう。

耳のすぐそばで震える、その喉ぼとけに噛みつきたい。溢れだした衝動そのままに、小平太の首筋に歯を立てると、背中が大きく仰け反った。

「お前っ、……誰とでも、こんなことしてんのかっ」

それは、純粋な疑問だった。
自分に襲い掛かったように、他の奴らとも同じ行為に耽るのか。こうして体を明け渡すのか。今回いたのがたまたま自分だったから、だから俺とこんなことしているのか。内側から湧きだすどろどろとした感情そのままに、小平太に噛みつく。

その根底には、否定して欲しいという願いがあった。
ちがう、そうじゃない。お前以外と、するわけないだろう。おまえだから、いいんだ。したいんだ。そう言って抱きしめて欲しかった。
けれど、小平太が吐息混じりに零したのは、「お前から誘ったんじゃないか。」という絶望的な言葉だった。

目の前が真っ赤に染まり、一瞬で真っ黒に塗りつぶされる。深い深い落とし穴にでも嵌ったような気分だ。

「……っ、じゃあっ、てめぇは誘われたら誰とでもするのかよ!」

耐え切れなかった本音が、音を立てて崩落していく。言うつもりなんてなかった言葉ばかりが飛び出す。

なぜ、こんなにも泣きたくなるんだろう。こんなことを思うんだろう。小平太は友人なのに、仲間なのに。
低学年の子供のような独占欲と嫉妬が心に渦を巻く。その気持ちに名前があったことに気がついていたけれど、見ない振りを決め込んで、首から顎、耳の後ろを舐めあげる。もう、やけくそだった。

なにかを言いかけた小平太の言葉を奪うように、唇を合わせる。小平太との、初めての口吸いだった。
意外なほど柔く、しっとりとした感触を味わうように、何度も何度も角度を変える。小平太の呼気、温度を感じる度、甘い痺れを感じるのに、同じくらい泣きたい気持ちに染まり、吐き出す息がますます苦しくなっていく。

「……まっ、……んっ、…待てっ…て……っ、もん、じ、」

待ったをかけるように小平太が幾度も胸を叩く。合間合間に、切れ切れの言葉を零す。それら全部を無視して、飲み込むように更に深く唇を重ねた。まるで獣だった。

「わたしはっ、……好いてるっ、相手としか、せん…っ!」

その言葉に、しゃぼん玉が弾けたように、はっとする。

いま、なんと言った?

言葉の意味を正しく理解する前に、再び唇が触れ合う。今度は小平太からの口吸いだった。「早くいかせろ。」と色気のない台詞で、けれど、目が眩むような淫猥な様で強請られ、理性の糸が焼き切れるのを感じる。

倉庫に申し訳程度に設置されている窓から見える空は、まだ青かった。表の校庭では、きっと一年生たちが駆け回っている、そんな時分だ。なのに、健康的で清潔な日常から一歩逸れた場所に籠って、厭らしい行為に耽っているなんて。背徳と綯交ぜになった快感が内から外から襲い掛かってくる。触れ合う互いの熱に、吐き出す息の荒さに、眩暈が起こりそうだった。





そうして、すべてを出しきって、欲まみれの情事が終わった頃には、すっかり日暮れだった。

あれから三回ほど、互いの手と口で出し合って、今に至る。くたくたで、指先すら動かすのも億劫だった。
大の字に投げ出した文次郎の腕を枕に、夢の世界へと旅立っている小平太の頬をそっと撫でる。全力で房事に挑み、電池切れで身動き一つとれなくなるところが実に小平太らかった。
先刻まで見せていた色艶は幻だったのか、齢十の頃からよく知る無邪気な寝顔を寄せる小平太に、苦笑してしまう。

ゆっくりと瞼を閉じ、記憶の中の小平太を噛みしめるように反芻する。

こちらの袖を引く仕草。挑発的な笑みと、上目遣い。淫情など知らなそうな無垢な笑顔が、快楽に溶けていく、その過程。突っ張った爪先が、体の芯を揺さぶるたびに、もがくように動き、もっともっと、と絡み付いてくる。熱い気持ちが込み上げてくる。
くったりと眠る小平太を抱き寄せ、剥き出しの肩に顔を埋める。鼻腔を擽るのは、汗と白濁に混じる、いつものお日様の匂いだ。

焼けるような痛みも、叫びだしたいほどの焦燥も、泣きたくなるほどの喜びも、湧き上がる愛しさも、言葉にするならきっとあれしかない。

「…………好きだ、」

次は絶対に真っ直ぐに射抜いて言ってやる。果たし状でも叩きつけるような心持ちで、小平太の子供体温を享受しながら、文次郎は強く強く決心した。







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2013/3/21


ピクシブから転載