男というのは見栄と自尊心の塊だと竹谷は思う。
体裁を繕っては、あたかも「知っています」という顔で、知識をひけらかすのが大好きだ。異論、反論は認めない。おまけに、かっこつけである。
その筆頭が、同級生で長年の友人である鉢屋三郎だった。頭の良い彼は、処世術も長けているから、同年代の男に比べて子供っぽい行動は取らないものの、同じく友人である不破雷蔵の前になると、ころっと態度を変える。その豹変振りは、脱帽ものだった。

甘党の雷蔵が好む酒は、ジュースのような甘ったるいチューハイかカクテルで、辛党の三郎は、もっぱら日本酒だった。三郎曰く、「甘い酒は酒ではない。酒とは金箔を散らしたように輝く色や、鼻を抜けるアルコールの香り、舌の上で踊る風合いを楽しむもの」だ。そんな事を饒舌に語っていたときの三郎は、二十歳そこそこの若造とは思えない口振りだった。
そう、三郎は酒といえば日本酒!という男だ。二人で飲みに行けば、日本酒以外は飲まない。たまにビールや、焼酎、梅酒なんかを勧めるものの、それを口にすることは滅多にない。ともすれば、ジュースに近いカクテルなんて言語道断。……の、はずだった。






「雷蔵、まだ迷ってるのかい?」

メニューを掴んだまま、「こっちにしようかな…ああ、でも、こっちも飲みたい…」と、お決まりの熟考タイムに入ってしまった雷蔵に、三郎が困ったような嬉しそうな、なんとも形容しがたい表情を浮かべていた。雷蔵の視線はメニューからぶれない。三郎を見ないまま、「うん」と短い返事をする。それを目を細めてみる三郎は実に幸せそうだった。二人を纏う空気は、まさに恋人同士のそれだ。実に甘い、甘すぎる。実際二人はお付き合いというものをしている正真正銘の恋人同士なのだからそれを咎める気にはならないけれど、それでも「場所を考えろ!」と思わずにはいれない。だって、ここにいるのは二人だけじゃないんだから!
ちらりと横を見ると同じ事を思っているのか、兵助も居心地の悪そうな表情を浮かべていた。その向こうの勘右衛門は、雷蔵と同じくメニューしか目に入ってないみたいなので放っておく。
そう、ここにいるのは同級生五人なのだ。






「たまにはみんなで飲もうぜ!」

そんな話になったのは、昨日のことだった。言いだしっぺは竹谷で、残り四人も二つ返事でそれにのってきて、ひさしぶりに友人達とわいわい飲めるのを竹谷は楽しみにしていたのだ。それが、蓋を開ければこれだ。
普段は、我関せずといったスタンスで、周囲と一線を引く三郎は、こと雷蔵に関しては、見ているほうが引くくらいにかまいたがる。その豹変振りも脱帽だが、それ以上に驚くのは内容の方だ。

「なら、二つ頼めば良いさ。それで、二人で半分づつ飲めばいい」

優しい声色でやんわりとそれを雷蔵に提案するのは三郎だった。「え、いいの?」と困惑気味に、でも少し嬉しそうに雷蔵が聞いているのが耳に入ってきて、竹谷はなんだか頭が痛くなってきた。
居酒屋にきて、まず頼むものといえば酒だ。そして、雷蔵が迷っているのも当然酒だ。だけど、酒は酒でも雷蔵が飲む酒は、三郎が毛嫌いするそれはそれは甘いお酒なのだ。カクテルなのだ。しかもフルーツの味が幅をきかせるジュースのような酒だ。竹谷と一緒ならば、絶対に飲まない酒だ。なのに、それを飲むという三郎。
お前、あれは酒じゃないっつってたじゃん!
竹谷は叫びだしたい気持ちを押さえ込んで、店員を呼ぶためにベルを力いっぱい押した。「壊れるよ…」と呆れ顔で呟いた兵助の声は届かなかった。






「カクテル飲めるのかよ」

テーブルの向こう側で盛り上がっている雷蔵と勘右衛門の耳に入らないように、こっそりと三郎に耳打ちをする。嫌味の篭った竹谷の言葉に三郎は、「酒を飲んでる気分にはなれん」と涼しい顔で答えた。たしかに、勘右衛門のように酒が回ってはしゃいだり、兵助のように肌が赤らんだりなんて様子は全くない。三郎は、素面と全く変わりがなかった。

「つーか、俺といたら日本酒しか飲まねぇじゃん」
「好きだからな」

甘い酒は苦手だ、と小声でごちる三郎に、じゃあ、なんで飲んでるんだ、と詰め寄れば。

「だって、雷蔵が迷ってたから」

当たり前だろ。と笑う。そして、三郎の言い分はこうだ。

「雷蔵のためなら、苦手なものでもなんでも、やってやるさ」

竹谷は心底呆れた。そして思った。絶対に、こうはなりたくない、と。







信念とは、絶対的に自分の中にあって、覆るべきものではないと思う。それが味覚であっても同じ事で、竹谷の前で「酒といえば日本酒」と豪語し、「カクテルはジュース」と罵った三郎が、雷蔵の前でだけ「おいしい」と言ってカクテルを飲むのは、やっぱり納得いかなかった。納得いかないはずだった。



「エスプレッソ」

当たり前のようにそう注文するのは、竹谷よりも二歳年下の後輩だった。普段から甘味を好まない傾向にある彼は、さも当然のように苦いコーヒーをブラックで飲む。
対する竹谷は、どちらかというと苦いだけのコーヒーが苦手だった。好んで飲むことは少なく、例えばレポートに追い詰められて、徹夜でもしないと間に合わない!という非常に切羽詰った状況で、眠気覚ましがわりに飲む以外に口にする機会はない。そのときでさえ、「これはコーヒーじゃない」と、三郎に呆れられるくらい、ドバドバと牛乳やら砂糖やらを投下する。甘いミルク風味の、コーヒー牛乳にしてしまう。そうでもしないと飲めないのだ。そのくらい竹谷はコーヒーが苦手だった。

「竹谷先輩は、なにを?」
「……ん、ああ、そうだなぁ」

大人びた後輩に促され、メニューを辿る。コーヒー以外にも飲み物があることに竹谷は安堵した。紅茶、百パーセントのジュース、フラペチーノもいいかもしれない。珍しく、ううん、と雷蔵並に迷っていると、トナリの後輩はさっさと飲み物を受け取って、「座って待っています」と、階段を上がっていってしまった。カウンターに設けられたコンディメントバーに立ち寄った形跡もない。今日もあいつはブラックなんだ、となんとなく寂しく、それでいて情けない気持ちになった。
自分の方が二つも年上なのに。もう酒も飲める歳なのに、あいつに飲めるコーヒーが自分には飲めない。それが急激に恥ずかしくもなった。

後輩の前では、かっこいい先輩でいたい。大人でありたい。

そう思った瞬間、口をついて出たのは、後輩と同じ「エスプレッソ」だった。







カクテルとエスプレッソ







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2010/11/5




中途半端。
後輩は孫兵です。


雷蔵の前でかっこつける三郎に呆れるのに、孫兵に対して大人の男を演じようとする竹谷。
気持ちはときに、裏腹なのです。




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