向かい合って寝転がったまま、動けなかった。

これがもし、全く見ず知らずの相手だったら、さっさと謝ってこの場から立ち去っていたのかもしれない。酷い、冷たい。どんな風に罵られようとも、もうこの相手にかまうまいと腕を振り払って扉の向こうへ行っていただろう。けれど、悲しいがな、目の前にいる相手は幼い頃からよく知っている友人で幼馴染だ。同じ土地で育ってきた、それこそ、いい面も嫌な面もよく知っている気心知れた相手だった。よりにもよって、としか言えない。後ろ向きな言葉しか浮かばなくて、本気でもう駄目だと思った。

小平太はタオルケットを口元まで引き寄せていて、目のやり場に困るという事はないけれど、それでも居た堪れなさに視線を逸らしたくなる。タオルケットの下が生まれたままの姿だと思うとなおさらだった。

「頭痛とか大丈夫か?」

いきなり倒れるからビックリした、と目をパチパチとはためかす小平太は、学生時代と変わらない無邪気さを孕んでいて、心の底から申し訳ない気持ちになる。倒れた事も申し訳ないが、それ以上に、この状況に、ごめんなさい。何も覚えてなくて、ごめんなさい。本当にすみませんでした。
叱られた子供のような表情に、小平太が「ばかだなぁ」と笑う。不意に伸ばされた手が優しく髪を撫でて、子供だとばかり思っていた小平太が、自分よりもよっぽど大人だったと感じた。

「…いまいち、わからないんだが」

状況がつかめなくて、でも下手なことも言えなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、わかりません、と全力で訴えかける。「ぐでんぐでんだったもんなぁ」と小平太が笑った。

「どっから、教えて欲しい?」

どこからって。どこもなにも、何ひとつ覚えてないんだから、指定のしようがない。
最優先で知りたい項目としては、どうして裸で寝てるのかだったけれど、知りたいけど考えたくない項目だったりするので、「飲み比べのあとから」と、あえてそこを後回しにするように聞いた。最終的に聞くことになるんだから、いっそバッサリ聞いたほうがよさそうなのに、それでもそこを避けてしまうんだから情けない。
「どこまで覚えてる?」と場にそぐわない可愛い上目遣いで聞かれ、「飲み比べしたあたり」と答えた。不意打ちのそれに、現金にも少し体があつくなる。男なんて情けないもので、恋愛感情抜きでもそこに体を差し出されれば、嫌でも反応してしまう。幼馴染相手に、なに考えてるんだ。サルか、俺は。らしくないセルフつっこみを入れつつ、最近忙しくて抜いてなかったせいかもしれないと言い訳がましいことを考えていた。

「熱燗六本目いったところで、寝ちゃったんだよ」

寝落ちたのは伊作と自分だけで、とりあえず転がして放っておいたけれど、開きの時間になっても意識を取り戻さなかったため、家が近所という理由から小平太が面倒を見るということで落ち着いたらしい。文次郎も留三郎も、電車で一時間はかかる場所に住んでいるから、当然といえば当然の処置だろう。それでも男連中に面倒見て欲しかったと思わずにはいられない。なんといってもこの状況だ。
当初はきちんと家まで送るつもりだったと言う。けれど、何度問いかけても住所はおろか言葉一つ発しない男に、めんどくさい、と自宅に連れ帰ったのだと小平太は幼い子供のように笑った。

笑い話じゃないだろう。例え幼馴染だろうと、付き合ってもいない男を部屋に引き込むんじゃない。
常ならそう怒って、ついでにげんこつの一つでもお見舞いしてやれたのに、いま現在のこちらの立場は完全なる間男。怒られる謂われはあれど、怒る権利は全くない。いや、小平太に特定の相手がいるかどうかなんて、知らないけれど。

「だって、長次だったしさ。すっごい酔ってたし、なんかあるとか思わないじゃん」
「そういう問題じゃない」
「まぁね、こうなっちゃったし」

さらりといわれた部分は聞き逃さなかった。なっちゃった、って。それはつまり、やっぱり、そういうことなのか。

「……その、昨日は、」

どうにも聞きにくくて、視線をあちこちに泳がせる。それでも、見て見ぬ振りをしてなかった事にするなんて出来なくて、死刑宣告を待つ罪人のような気持ちで小平太の言葉を待った。小平太は至極あっさりと「うん」と首を縦に動かした。

「証拠見せようか」

あっち向いてて、と部屋のすみを指されて、おとなしくそれに従う。背後で動く気配がして、肩が揺れた。ベットが軋む感触と布ずれの音。説明されなくてもわかるのにわざわざ、「裸だからこっち見るなよー」と宣言した小平太を張り倒したい気持ちになる。言うな。想像させるんじゃない。
一分がこれほど長く感じたことはなかった。「もういいよ」とお許しが出たところで、そろそろと小平太を見れば、ぴっちりと服を着こんだ後だった。いかにも部屋着といったくたびれたTシャツと使い古されたジャージに、これほど安心感を覚えるとは思わなかった。

小平太はというと、そのままの格好でゴミ箱を漁っている。
そういえば、証拠がどうとか言ってたような…。
なんだか不穏な気配を感じて、ちょっとだけ浮上した心が、再び沈み込んでいくようだった。そして嫌な予感は、見事に当たった。

「これ」

小平太が抓んで見せたのは、必需品のあいつだ。薄い膜越しに白濁としたものが見えて、血液が一気に下がった。抗いようもない証拠を突きつけられて心底打ちのめされた。
ああ、でもちゃんと避妊したのか。記憶なくてもそこはちゃんとしてたことに、自分で自分を褒めたいと思った。うん、よかった。…じゃなくて!

「……す、すまない、全然覚えてなくて、」
「うん、それさっき聞いた」
「………本当に、なんて詫びていいのか」
「うん」

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。いっそ酷いことをしたと、お前なんか最低だと、罵ってくれたらどれだけ楽だったか。そこまで考えて、どこまでも他力本願で保守的な自分に絶望した。
小平太からは攻めるような言葉は出てこなかった。

記憶がないのも、酔いつぶれていたのも、言い訳にしかならない。どんな状況であれ、男が女を組み敷いたとしたら、悪いのはどう考えても男の方だ。傷つけられたと定義されるのは女の方で、男がこうむる被害なんてすずめの涙ほどしかない。

聞くべきかどうか散々迷って、「…彼氏は?」と控えめに聞いた。自分の知る限りで、小平太に男の影がちらついていた事はない。それは周りが心配するほどで、いっそ伊作と足して二で割ればちょうどいいと思えるくらいだった。それでも、もう二十五だ。幼馴染のひいき目というわけでもないけれど、言動行動に多少問題はあれど、顔は可愛い方だと思う。くったくない性格もあって、そこそこに人気はあったとはずだ。まぁ、少数だったけれど。さすがにこの歳だし、男の一人や二人はいるだろうと予想したけれど、それはあっさり裏切られた。

「いないよ」

ばっさり切られて、でも、だからこそ、部屋にあげたのかと、妙に納得してしまう。
そうだな。男がいたらいくら小平太でも、そんな考えなしの行動はしないだろう。そんな事を暢気に考えてるときだった。

「てか、初めてだった」

滑るように流れた言葉を、うっかり取りこぼすところだった。
ワンテンポ遅れて、「え?」と零れ落ちる。

初めてと、いいましたか?

絶望なんて、なんて可愛いものだろうと思った。そんなものを通り越して、今度は殺されるかと思った。生きた心地がしないとは、まさにこのことか。

男のそれは早く捨てるに限るけれど、女はまた別物だ。男と女では全くその重みは違うし、なによりこの歳まで大事に守ってきたんだから、本当に好きな相手としかやるつもりなかったなんて説明されなくてもわかる。大事に大事にしてきたのに、好きでもなんでもない自分があっさり奪ってしまった。しかも記憶がない。
男からすれば初めての相手になれるのは光栄な事だけれど、それはあくまでも好きな女の話で、今のこれは全く当てはまらない。めんどくさいとは思わないけれど、酷い罪悪感に押しつぶされそうだった。

本気で申し訳なくなって、でもうまい言葉も見つからなくて、「すまない」だけを繰り返した。幼馴染相手に、なにしてるんだ。本当に自分が情けなかった。

「本当に、悪いって思ってる?」
「思ってる…」
「ふぅん」

値踏みするような視線と言葉が痛かった。それでもそれだけの事をしたんだと思えば、そのくらいの苦行は当然だと甘んじて受けた。
小平太は顎に手をかけ、少し考えたあと、

「じゃあ、責任とれよ」

日常会話の一部みたいに、さらっと言ったものだから、すぐには反応できなかった。言葉の意味がすぐに飲み込めなくて、「せきにん…」とうわごとのように繰り返す。
責任、責任、責任。この場合、具体的にどうしたら責任を取った事になるんだろうか。一回しかないそれをあっさり奪ってしまった事実は変わらない。どれだけ謝ったってそれは戻らない。金を積んでも戻らない。
どうしていいのかわからず固まっていると、小平太はにっこりと微笑んで。

「責任とって、私と付き合え」

お願いではなく、完全な命令形で突きつけられた言葉に、当然逆らう事なんて出来なかった。









付き合う上で小平太から出された条件がある。

一、隠し事はしないこと。
ニ、週末は一緒に過ごすこと。
三、付き合ってることを口外しないこと

そう難しくもない条件は、二つ返事で飲んだけれど、どうして付き合うことが責任を取る事になるのか、疑問は残った。一瞬だけ、考えない事もない可能性が頭の片隅を過ぎったけれど、それは小平太の「付き合ってもない男とやったなんて、キズモノもいいところじゃないか」という見も蓋もない一言で、あっさり切り捨てた。
ずっと友達だったんだ。そんなわけないか。

「口外するなってことは、あいつらにも言わなくていいんだな」
「あたりまえだろ」

その一言に、正直ホッとした。
朝のアレコレで考える暇もなかったけれど、仙蔵の耳には入れたくないと思った。知られたくないというよりも、知ってそのことを仙蔵の口から言われるのが嫌だった。小平太には申し訳ないが、今でも仙蔵が好きな事に変わりはない。そんな気持ちは絶対にかなわないものになってしまったし、消さなきゃいけない気持ちなのも分かっているけれど、十年以上あたためてきた気持ちを殺すにはそれ相応の時間が必要だった。


そういう意味では、小平太との付き合いは悪くなかった。
元より無遠慮な性格だったけれど、それに輪をかけたような傍若無人ぶりに引っ張りまわされて、無駄な事を考える時間は自然と減っていった。

「大道芸、見に行きたい」
「…は?」

こたつに足を突っ込んでくつろいでいる小平太から挙がった無茶振りに、まぬけな反応しかできなかった。キッチンから首を伸ばすと、テーブルに広げられた雑誌を指差して「これ、これ行きたい!」と騒いでいる。小平太たっての希望で準備していた水炊きは一時放っておいて、簡単に手を洗うと雑誌を覗き込んだ。
小平太が手にしていた雑誌は、先週買ったばかりのものだった。買ったまま放置してたから、当然内容なんて頭に入っていない。見もしない雑誌をわざわざ買ってきたのは、小平太が家にきたときに手持ち無沙汰にならないようにと配慮したからだ。なんだかんだで互いの職場に近いという理由から、小平太がこちらに来ることが多い。雑誌は娯楽もなにもない部屋にあげるのも申し訳なくて、苦肉の策で用意したものだった。もっと気の利いたものを選べばよかったと思っていたけれど、それでも目を通してくれていた事が少し嬉しかった。まぁ、他に見るものがなかったんだろうけど。

小平太の人差し指がさしている写真は、四角い箱の上に丸い筒を転がして、その上に敷いた板に乗りながらバランスを取ってジャグリングする写真だった。その手にしているものが丸いボールでなく、鋭く光るナイフだったりするものだから少し恐ろしい。

「見たことないんだ」

小平太はそういうけれど、自分だって実際に見たことはない。記事をよく読めば、それは来週末から連続開催で、距離的にそう遠くない。おまけに連休だ。

「…行こうか?」
「いいのか?」
「ああ。用事もないし、せっかくだから一泊しよう」

遠くないといっても、電車を使ったって二時間はかかる場所だ。ゆっくり出来た方がいいだろうと思ってした提案だったけれど、小平太は、「え」と困惑した声色をあげた。
よくわからないまま形ばかりのお付き合いを始めてから、互いの家に寝泊りする事は何度もあった。もちろん布団は別々に用意しているが。今回のこの提案も、その延長みたいなもので、別に疚しい気持ちはなかった。たとえ形だけでも付き合ってるのだから、そんな気更々ないって言うのも変な話だけど。

「嫌なら日帰りにする」
「いっ、いやじゃ、ないっ」

びっくりしただけ、とこたつ布団に顔をうずめる小平太の反応が少し意外で、でもそれがなんだか可愛くて噴出してしまう。
なんだ、ちゃんと女の子らしい反応できるんじゃないか。

裸で朝を迎えたときも、互いの家に泊まっても、恥らう素振りなんて欠片も見せなかった小平太に、男のプライドはずたぼろだった。幼馴染だし変に意識されたって困るけれど、それにしたってあっさりしたその反応に、人間以上の認識がないみたいでこっそり落ち込んでいたのだ。こっちは着替えるときも背を向けて、小平太を泊める前日は新しいシーツも用意して。意識してるのが自分だけかと思えば、居場所がないような頼りない気持ちにだってなった。それは勘違いだったみたいだけれど。

「なら、予約取っとく」
「ん」

短くそれだけ伝えると、ほったらかしの鍋の用意にかかる。キッチンからそっと部屋を覗くと、手帳にいそいそと予定を書き込む姿が目に入って、それがまるで遠足を待ちわびる子供のようで思わず笑ってしまった。











君がくれた白い嘘








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2010/11/21




title:確かに恋だった



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