忍FES.4 新刊「君に憧れ、恋い焦がれ」より二週間ほど前の設定。
鈍い小平太に振り回される長次のおはなしです。 新刊では書ききれなかったアレコレを詰め込みました!
少しでも楽しんでいただけたら幸いです◎
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少しだけ暑さの緩んだ本日。やる気のない宿題を抱えて、小平太はいつも通り長次の部屋に襲来した。
扉を蹴破る勢いで開き、「来てやったぞ!」と俺様全開で乗り込む。ノックもなしだったけれど、そんなことには慣れているのか、長次からお咎めの言葉はなかった。かわりに深い深い溜息を吐く。そして、おはようの挨拶よりも何よりも先に言ったのだ。
「今日は冷房はナシだ」
夏休みに入って、最初の日曜日の出来事である。
連日の猛暑がおさまり、少し暑さも和らいだのだから、今日くらいはエアコンを使わないで過ごそう。冷房ばかりでは体が疲れるし、たまにはいいだろう。
そう長次が言う。けれど、とんでもない。猛暑日とまではいかないけれど、やはり暑いものは暑かった。
すだれ越しにこぼれる日差しですら、殺人的だと思った。
元からゼロに近いやる気が、さらに下降していく。崖下に真っ逆さまに墜落し、それだけでは飽き足らず、地面をボーリングして減り込む勢いだ。
扇風機から吹いてくる風は生暖かいし、まとわりつく湿気が実に不快で、夏休みの宿題に手をつける気にすらならない。いや、元から宿題に手をつける気なんて更々なかったのだけれど。
長次のベッドでコロゴロしながら、これでは家にいるのと大差がないなぁと思う。
小平太の家には残念ながらエアコンはない。いや、一応居間にエアコンはついているのだけれど、数年前に故障して以来、放置が続いていて、涼を感じる場所などなかった。いい加減買い換えてくれと何度となく訴えたけれど、その度に、「まぁそのうちね。」と、あしらわれるばかりで、話が進む気配などなかった。
そりゃぁそうだろう。大人たちは職場という冷房天国があるのだから!
夏休みをほぼ自宅で過ごすこちらの身にもなっていただきたい。そう噛みつくと「長次君のところに行っちゃうじゃない。」で話が終わってしまうし、悔しいけれどまさしくその通りなので、それ以上言及することも出来なかった。
そういえば、一体いつからこうやって長次の部屋で過ごすようになったんだろう。
少なくとも小学校の頃は互いの家を行き来していたような気がしたのに、いつ頃から小平太が長次の部屋に入り浸るという図式が出来上がったのか。記憶の糸を辿ってみたけれど、まとわりつく不快な暑気に考えることを放棄した。
長次はといえば、団扇をパタパタ仰ぎながらも相変わらず真面目に宿題と対峙している。テレビも音楽もない世界で、暑さと戦いつつ宿題に奮闘するとは、その真面目さには恐れ入る。
「長次、暑い」
「だめだ。今日は涼しい方なんだから、我慢しろ」
なにがなんでもエアコンを稼働させるつもりはないらしい。けれど、こちらもこのままではいられない。
「じゃあさ、出掛けよう! 海とか川とかさ、ちょっと涼みに行こう!」
「だめだ。今から行ったら、着くころには日が暮れる」
「じゃあ近場でいいからどっか行こう! あ、映画! 映画観に行こう!」
「…………宿題、」
「帰ってきたらちゃんとやるからさ!」
だらだらと寝転がっていたベッドから勢いよく起き上がると、長次の傍にぺたりと座り込む。ノートから視線のぶれない長次の袖を掴むと、「ねっ、ねっ、お出掛けしよう!」と、母親におねだりする子供のように強請った。
こう暑いとやる気も出ない、と言うと、長次は苦い苦い口調で「お前はいつだってやる気がないだろう。」と重い溜息を吐いた。
まったく、今日の長次はダメばっかりだ。
「だって、今年は一回も長次と出掛けてない」
毎年なんだかんだで色々遊びに行くのに。口を尖らせてぼやくと、長次が困ったように眉を寄せたのがわかった。
初めて二人きりで出掛けたのは、小学五年の時。自宅から一時間ちょっとで行ける海だった。
夏休み突入と同時に、修学旅行の計画みたいに時刻表とにらめっこして予定を組んで、結局すべて計画倒れで終わった初めての遠出を思い出す。
あの頃はICカードなんて持っていなかったから、改札で路線図を辿りながら切符を買って。乗換を失敗したり、何度か降りる駅を間違えて、結局目的地に着くころには昼を通り越して夕方へと差し掛かっていた。
その原因の大半は小平太が自信満々で「こっちだ!」と野生の勘を発揮した所為だけれど、長次は何一つ文句を言わなかった。ただ小平太の手を握って離さなかった。
水平線に沈みかけた太陽を見て「もう泳げないね。」と長次がポツリと零す。その横顔が少し寂しげな気がして、なんだか申し訳なかった。何も言えなかった。
「早く帰らないと、お母さんたちが心配する」
そう言って小平太の手を引く長次に渋々頷く。
せっかく来たのだから、本当は浜辺を散策くらいはしたかった。けれど、すでに日が陰り始めているし、これ以上のんびりしていたら家に着くころは真っ暗闇だ。
自分だけが怒られるのなら問題はないけれど、長次まで巻き込むのは嫌だった。だから、今日ばかりは我儘を封印して、長次の言葉に素直に従った。
手を繋いだまま、来たばかりの海を後にする。日が暮れてきたのに合わせて何故か浜辺に向かう人が増えてきたのを不思議に思いながら、駅の改札を潜った。
浜辺までの道にも駅にも、浴衣姿の人がたくさんいて、その流れに逆らうようにホームに向かう。
ベンチに腰を落ち着け、電車を待っていると、ポッと藍色の空に大輪の花が咲いた。一拍置いて、ドォンと轟音が響く。同時にわぁっと歓声が上がった。
駅のホーム越しに見る花火に目を奪われる。
偶然にも花火大会とかぶっていたらしい。どんどんと打ち上げられるそれに目が釘付けだった。大輪の花火をこんな至近距離で見たのは初めてで、湧水のように溢れる高揚感でいっぱいで、離れたくないなんて思ってしまう。
ちらりと横目で長次を見ると、普段は伏し目がちに文字ばかりを追う瞳が、年相応の輝きをもって空を見つめていた。
結局二人して花火に夢中になってしまい、何本か電車を見送ってしまった。当然帰る頃にはすっかり真っ暗で、団地の前で待っていた両親にこっぴどく叱られてしまった。
今思えば、電車で一時間もかからないような距離だったのに、予定を大幅にオーバーして、本来の目的から逸脱して、何をやっていたんだろうと思う。でも、まったく後悔はなかった。
すごく楽しくて、帰りの電車で「また来年も行こうね。」と二人で笑った。そして、その言葉通り、次の年も二人で花火大会へ行った。今度はきちんと、それを目的として。
花火以外にも、時間さえ合えば色んなところに二人で出掛けていた気がする。それは近場のショッピングモールだったり、ファーストフードだったり、映画だったり。受験生だった二年前は、真面目な長次に付き合って渋々図書館通いもしたっけ。
昨年までは、そうやってたくさんの思い出を重ねてきた。なのに、今年は互いのスケジュールが全く噛みあわず、こうやって怠惰な毎日を過ごすばかりだ。
高校一年の夏から長期休みのたびにバイト申請をするようになった長次と、部活のある小平太。今年の夏はこれに夏期補講が加わって、ますます予定を合わせづらくなってしまったのだ。おまけに去年の夏は週に一回か二回程度だったバイトが、今年はやたらとぎゅうぎゅうなのだ。
夏だけじゃない。更に掘り下げれば、一年の冬休みも夏と同じように週五ペースでシフトを組んでいて、クリスマスや大晦日はおろか、初詣すら一緒に行けなかった。
夏こそは大丈夫かと思っていたのに、それもすっかり期待倒れだ。今日だって長次は朝からバイトで、昼過ぎに帰ってきたところを捕まえて今に至る。と、言っても時間も時間なので、こうやって長次の部屋でゴロゴロしつつ駄弁るとか、宿題をやっつけるくらいしかできなかった。まぁ、勉強しているのは長次ばかりで、小平太は何もしていなかったりするのだけれど。
一言でいえば、不満だらけだった。
部屋が暑いのも、長次と出掛ける機会が激減したのも、すべてが気にくわない。もっと構ってほしいのに。もっと長次と遊びたいのに。
不機嫌丸出しで長次の名を呼ぶ。手のかかる幼子みたいな小平太に、長次は参ったと言わんばかりの表情で溜息を吐いた。
「……仕方ないな」
「ほんとか!?」
「そのかわり、帰ったら絶対に宿題だぞ」
「うんうん! わかった!」
ありがとう! と、テーブルに広げた宿題を片す長次の背中に飛びつく。めいっぱいの力でぎゅうっと抱き着くと、長次の体が強張ったのがわかった。
振り返った長次はどこか困惑したような表情を浮かべていて不思議に思ったけれど、勢いよくアタックしすぎたせいだと勝手に結論付ける。
戸惑う長次をスルーして「楽しみだなぁ。」と笑った。
* * *
「じゃあ三十分後に」
そう言って、小平太は嵐のように去っていった。
宿題を置き去りにして自宅へと戻っていく小平太の背中が扉の向こう側に消えて行くと、張りつめていた緊張が一気に解けていく。やばかった。長次はずるずるとその場に蹲った。
今年で十七になるというのに、幼い頃の感覚が全く抜けていない小平太には、本当に参ってしまう。
例えば、こうやって頻繁に長次の部屋に押しかけてくることとか、思い出が足りないと駄々をこねることとか。それが嬉しいか嬉しくないかの二択だったら、迷わず嬉しいに矢印が向く。けれど、ひそかに恋心を抱いている身としては同じくらい困ってしまうというのが本音だった。
普通に考えれば明らかに友達の域を超えている行動の数々だけれど、一般論の当てはまらない小平太の中では至極当たり前な日常、そして長次に向ける気持ちも悲しいくらいただの友情だった。
それに服装だ。夏だし暑いからという小平太の気持ちもよくわかるし、近所だから気が抜けるのもわかる。わかるけれども、と長次は溜息を吐く。
いくら目の鼻の先とはいえ、長次の部屋を訪れる小平太の薄着には本当に参ってしまう。下着が透けそうな白のTシャツに短パンなんてのはざらだし、そんな格好で胡坐をかいたり、膝を立てたり、寝転がったり、やりたい放題で目のやり場に困ってしまう。それでも、視覚的なものなら目を背けるとか見ないように努めるとか、いくらかやり様があるけれど、今日のはダメだ。突然、不意打ちで抱き着くのは絶対にダメだ。
本日の小平太は、黒のタンクトップにサニエルという出で立ちだった。剥き出しの肩とか腕はともかく、下半身の露出は普段に比べたらだいぶ低いと安心していたらこの仕打ちだ
「…………頼むから、下着くらいつけてくれ」
背中に残る感触に、顔が焼け焦げそうなほど熱くなる。
服の上からでも十分にわかるほど熟した女の体をしているというのに、当の本人は全く分かっていないのだから、その奔放さにはほとほと困り果ててしまう。ついでに、すっかり熱のあがってしまった己の体にも以下同文だ。
お前は猿か。自分で自分を罵りたい。
ふらふらとした足取りでバスルームに向かうと、頭を冷やす意味で冷水のシャワーをかぶった。
* * *
身を清め、ついでに着替えも済ませて人としての体裁を整えると、財布と携帯を持って自宅を出る。コンクリートの階段を下ると、先に待っていた小平太が大きく手を振った。
フレアシルエットのレースチュニックにデニムのショートパンツ。先程とは打って変わった女の子らしいスタイルに、心臓が煩くなる。
「どおどお? 可愛い?」
まるで一張羅に袖を通した子供みたいに、くるりと一周回って小平太が感想を求めてくる。別に長次のために、ということはないのかもしれないけれど、それでもわざわざおめかししてくれたのかもと思えば、たまらなかった。
口を開いたらうっかり気持ちまで一緒に吐露してしまいそうで、頷くだけの返事をすると、言葉がないことに不満気な小平太に脛の辺りを蹴られて悶絶する羽目になってしまった。
「長次。勉強もいいけど、人の気持ちももっと学んだ方がいいぞ」
その言葉、そっくりそのまま返してやりたい。
痛みに悶絶しつつ、喉元まで出かかった文句をなんとか飲み込む。
ふと、小平太が肩から下げているバッグが目に入り、そうっと指差す。
「……それ、使ってくれてるんだな、」
小平太の趣味とは程遠そうなレースのあしらわれたキャメルの斜め掛けバッグは、去年の夏、誕生日プレゼントと称して長次が贈ったものだ。
それまでの誕生日プレゼントと言えば手作りケーキが定番だった。もちろんそれだって小平太は喜んでくれていたし、財力の足りない学生身分の限界だったけれど、でも、やっぱりきちんと形に残るものを贈りたい。そのために去年の夏、一念発起して人生初のアルバイトに挑戦したのだ。
愛想もないのに果たして勤まるものだろうか。
そんな不安もあったけれど、人間やる気があれば何とかなるものだと思った。まぁ、冬休みにまで声がかかってしまったのは大誤算だったけれど。
そうして稼いだ初めての給料で選んだプレゼント。異性への贈り物なんて初めてで、正直なにがいいのか全然わからなかった。おかげで誕生日前日まで頭を抱える日々を過ごしたものだけれど、こうして使ってくれているところを見るとそれも少しは報われたというものだ。その上、「お気に入りなんだ!」なんて言われて。これが全部計算じゃないのだから、余計に恐ろしい。
「そういえば、映画はなに観るんだ?」
「長次はなにが観たい?」
「……観たいものがあったんじゃないのか」
言い出しっぺだろう、と呆れ半分で咎めると、実にいい笑顔の「ない!」が返ってきて脱力してしまった。
「ないよ。だって、長次と一緒に出掛けたかっただけだし!」
目的達成! と小平太が笑う。どう返事をしたものか、考えあぐねる長次を余所に小平太は、「早く行こう!」と長次の手を取って先へ先へと進んでいった。これで狼狽えるなという方が無理な話だ。
こうやって手を繋いで歩くのなんて、一体何年振りだろう。
スキンシップ過多の小平太だけれど、意外と常識を心得ているのか、こうして公共の場であれこれしてくるのは珍しい。それだけこのお出掛けが嬉しいってことなのか。そう思えば長次も嬉しいし、同じくらい複雑だった。
果たして、すれ違う人の目には、自分たちはどう映ってるんだろう。そんなことを思いながら、歩道の縁石を辿る。きっと黙って遠くから見ていれば恋人同士に見えるんだろう。
現実との落差は思ったよりも大きい。けれど、小平太の中で自分が特別なのは伝わってきた。友情でも、家族愛でも、今はそれで十分だ。
絡めた指先に力を込めると、小平太が顔をほころばせる。
繋がった手のひら越しに、心音がばれてしまいそうだと思った。
了
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2013/09/27
忍フェス4無料配布より
ありがとうございました!
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