そして現在に至る。

二人してベッドの上に座り込んで、目の前のテレビ画面を眺める。リモコンを握っているのは、もちろん小平太だ。逃げたくても逃げられない状況を作られてしまい、もう項垂れるしかない。

この手のDVDや雑誌の類に免疫がないわけではない。そういう年頃なせいか、黙っていても勝手に回覧板形式で回ってくるし、おふざけの延長でこんな風に集まって鑑賞会のようなことをしたこともある。けれど、それはあくまでも同性、男同士での話であって、やはり絶対に絶対に、女と二人で観るものじゃないだろう。長次は強く、そう思う。

けれど、そんな常識も、こちらの気持ちも汲み取ってくれない小平太は、「始めるよー」とさっさと再生ボタンを押してしまった。


無情にも映像が流れ始める。同時に、針のむしろもスタートした。魂まで抜けていきそう。そんな心地だ。


最初から最後まで観て、無反応でいられる自信は、さすがにない。

こういう時、男は損だと溜息を吐く。興奮が分かりやすく見えすぎる。
もし小平太にばれたら、と想像して身震いがおこる。そんなことになったら、恥ずかしさで死ねるかもしれない。
暗がりなんだからパッと見ではわからないと思うけれど、念の為に膝を抱える。そんな自分の小細工に、更に情けない気持ちが込み上げてくる。

ちらりと横目で小平太を見ると、似たような格好をしていた。立てた膝の分だけ、ただでさえ短いスカートが更に捲れ上がって、ますます際どいことになっている。見えそうで見えないギリギリのラインに、序盤からやばいことになりそうで、慌てて小難しい数式を脳内で読み上げる羽目になってしまった。

そうこうしているうちに、テレビ画面の中では小芝居が始まっていた。えんじ色のリボンにブレザー姿の女優と、中年くらいのスーツの男の背中が映し出されている。どうやら女子高生モノらしい。完全なる小平太のチョイスなので、どんな際物が飛び出してくるのかと思えば、意外とまともそうでほっとする。いや、アダルトビデオという時点で、だいぶキワモノなのだけれど。



この手のビデオは、ストーリーなどあってないようなものだ。それが証拠に、あっという間に前振りの芝居は終わり、開始五分で女優はあっさりとベッドに沈んでしまった。
今後の展開は目を瞑っていても読める。というか、やることは大体同じなので、想像がつくというべきか。大方の予想通り、抵抗らしい抵抗もないまま女優の衣服はみ出されていく。少しずつ、乱れた息が漏れ始める。

このまま不用意に画面にかじりついて、うっかり体が反応するとやばいので、画面を眺めるふりをしつつ、まったく別の方向へ思考を巡らせる。例えば、明日の時間割だとか、来月入荷の書籍だとか、ひと月ほど前に文次郎に貸した本をどう回収するか、とか。とにかく関係なさそうな、どうでもよさそうなことをひたすらに考える。考えて、考えて、目が眩みそうな肌色も、色っぽい喘ぎ声も、全ての情報をシャットダウンする。
そうやって気を散らすために躍起になっていた、その時だった。突然、小平太が手を握ってきて、面白いほどに肩がびくりと跳ねてしまった。

驚いて振り返ると、俯き気味の小平太が「わたし、初めて観るんだ、」と呟く。

そうして、繋がった手を遠慮なしにぎゅうぎゅうと深く握りこんでくる。
しっとりした手のひらの感触。自分よりも高い、子供体温。突然すぎる小平太からのスキンシップに、胸のあたりがソワソワし始め、視線さえも落ち着かなくなる。

どうしよう。と、小平太が小さく零す。

「なんか、すっごい、ドキドキするんだけど、」

そう言って、小平太は膝に顔を埋めてしまった。高い位置でくくったポニーテールがパサリと落ちる。露わになったうなじが真っ赤に染まっていた。それに釣られるように、こちらまで顔が熱くなる。最初の頃の興味に忠実な行動とは裏腹すぎる初心な小平太の反応に、顔と言わず、全身から汗が吹き出そうな勢いだ。

「……ちょーじは、こういうの、観たことある?」
「…………」

その質問に、答えなければいけないんだろうか。
少し迷って、どうせ白を切っても小平太に見透かされるだろうと、素直にうなずく。小平太の「そっかぁ。」がズシリと食い込んで、少し居た堪れない気持ちになった。

すっかり注意がそれておざなりだったテレビでは、いつの間にか裸に近い恰好になった女優が、四つん這いで男優に奉仕をしていた。くぐもったいやらしい声が部屋中にじわりと広がる。反対に二人の会話はぷつりと途絶えてしまった。

それでも、手は繋がったままだ。
触れた部分から、いっぱいいっぱいになりかけている自分の気持ちが漏れ出してしまいそうで怖い。けれど、この手を離したいとは少しも思わなかった。

なんだか、少しだけいいムードになってたりしないか?

そんな錯覚が、脳内を横切る。

常日頃、シャイアニズムを遺憾なく発揮する小平太がこんなにしおらしいのは初めてだし、取っ組み合いでもじゃれ合いでもないこんなスキンシップも、もちろん初めての経験だ。流しているDVDが少々難ありだけれど、そこさえ目を瞑れば、かなりいい雰囲気に包まっている。ような気がする。


これは、チャンスかもしれない。

意を決して、重なった手をずらすと、おずおずと指を絡めてみる。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
少しでも拒否の反応が返ってきたら、すぐにでも離す。そのつもりだったけれど、小平太は迷わず握り返してくれて、絡まった指先から熱が込み上げてくる。

今のままで充分、友達の位置をキープできれば、それでいい。それ以上は望まない。均衡が壊れるかもしれない恐怖に臆して、ずっとそうやって自分を欺いてきたけれど、これは、もしかしたら、ひょっとしたら。
真っ暗な中に光が射したような、世界中から背中を押されているような、そんな後ろ盾を受けたような気持ちが湧き上がる。

前言撤回。告白するなら、きっと、今しかない。

小平太の目を見て、というのはさすがにハードルが高すぎるので、隣り合ったまま、小平太の手をぎゅうっと握る。そうして、一生分の勇気を総動員して、愛の言葉を告げようと口を開いたその時だった。

「じゃあさ。実際にやったことって、ある?」

その言葉の意味を正しく把握するまで、たっぷり十秒はかかったと思う。「は?」と間抜けな声が漏れる。すると、ゆっくりとこちらを向いた小平太が、「だから、セックスだってば。」と言った。

雰囲気ぶち壊しである。おまけにオブラートに包まれることのない直接的すぎる言葉に、着火の速度で顔が熱くなる。手に汗が浮かぶ。

そんなもの、あるわけない。好きな女に気持ちを伝えることすらできないのに。捕まえることすらできないのに。小平太が、好きなのに。なのに、どうしたら他の誰かと出来るというのか。
けれど、きっぱり否定するのも癪に障る。というか、男のプライドに関わる。

「そういうお前はどうなんだ」

よろしくないと思いつつ、奮い立たせた勇気を木端微塵にされた仕返しとばかりに、質問を質問で返してやる。ほとんど八つ当たりだった。

「ない」

間髪入れずに小平太から返ってきたのは、否定だった。一寸の迷いもない言葉に、少なからず喜んでいる自分がいることに気づく。場違いな笑みが零れそうになって、慌てて口元を覆った。

「でも、興味はある」

またしても落とされた小平太の爆弾発言に、全身が急速冷凍にかかったマグロのように固まる。顔が強張る。
長次は興味ない? と小首を傾げる仕草に、目の前がぐらぐらと揺れる。

それは、どういう意味なのか。

小平太の真意も、うまい切り返しも見つからない。喉の奥が通せんぼされたみたいに言葉が出なかった。ぐるぐると思考が彷徨って、視線さえも定まらない。まるで目を回したトンボだ。
すっかり狼狽する長次を余所に、小平太は膝立ちになると、強引に長次の両頬を挟む。力任せに顔を引っ張られ、強制的に視線がぶつかった。真っ直ぐにこちらを射抜く小平太の強い視線。その意志の強さに、呼吸すら忘れそうになる。

「だからさ、してみようよ」

そして、あっさりと押し倒されてしまった。





ベッドに転がされ仰向けになった長次の腹に、小平太が馬乗りになっている。到底現実とは思えない嘘みたいな状況に、冷や汗が止まらなかった。おまけに思考も全く追いついてこない。フリーズしたパソコンのように体が動かない。言うことをきいてくれない。まさに、蛇に睨まれた蛙だ。

嘘だろう。これは夢だろう。というか、夢であってほしい。切実にそう願う。けれど残念ながら、伸し掛かる重みも、ほんのり感じる体温も、確実に現実ものだった。

「んな怖がらなくても、長次は痛くないって!」

絶対気持ちいいからダイジョーブ、ダイジョーブ。と小平太が笑う。

いやいや、そういう問題じゃないだろう。
脳内では光の速さでそうツッコめるのに、強張った喉からその言葉は出てこなかった。

すっかり小平太に飲まれてしまった長次を置いてけぼりにして、腹の上の元凶は着々とことを進めていく。
小平太の手がスカーフにかかる。「ちゃんと見とけよ。」と釘を刺してから、赤いスカーフを落とす仕草と言ったらなかった。
こちらの腹に片手を着き、わざと緩慢な手つきでスカーフを抜く。そこには、いつものような豪快さなどなかった。
更に、行動をエスカレートさせた小平太は、セーラー服を軽く着崩しにかかる。ファスナーを上げ、脇腹から胸にかけてのラインが露わになる。そうして制服を寛げると、後ろ手に下着のホックを外してしまった。
パチン、と弾ける音が響く。半袖の制服から、ブラジャーの肩ひもが覗く。

「どうだ、少しは興奮するだろう?」

悪戯っ子みたいな、少し意地の悪い笑みが悔しいけれど、すごく可愛い。そそられる。一連の動作に、喉が鳴る。

こいつは多分、計算とかではなく、本能で男を煽るすべを知っている。そう思う。そして、その言葉通り煽られている自分に苦虫を噛むしかない。

興奮するか、しないかと問われれば、確実に前者だ。焦がれた相手にこんな風に積極的に迫られて、興奮しない方が絶対におかしい。
そうやって少しずつ、しかし確実に熱を持ち始めた自分自身を正当化する。と、同時に、絶対に屈してなるものかと強く思う。

長次の腰のあたりに居座ってる小平太は、顕著な長次の変化を余すことなく汲み取っているらしい。にやにや笑いながら、「やせ我慢しなくたっていいのにー。」と嗾けてくる始末だ。まったく性質が悪い。

「いいから、もう退け!」
「えー、いいじゃん。してみようよ」

長次だってその気になってきただろう? と腰のあたりを撫でられ、目の前がカッと焼ける。
そういう問題ではない!

「ふざけるな!」

小平太の肩を掴むと、腹筋を使って一気に起き上がる。その反動で小平太が見事なほどにひっくり返った。
形勢逆転。今度は小平太を布団に縫い付けてやった。突然の応酬に吃驚したのか、小平太は目を丸くして何度も瞬きを繰り返している。

「……こういうことは、好きな相手としろ」

興味本位でする行為ではないのだから、そこに確かな想いがないのなら、すべきではない。自分をもっと大切にしろ。
苦い思いでそう口にすると、小平太の表情がじわじわと曇っていった。いたずらを咎められ不貞腐れた子供のように、ぷうっとほっぺたを膨らませる。

「長次のばか」

そう言って軽く胸のあたりを叩き、その手が長次の背中へと回る。そうして、小平太がめいっぱいの力で抱き着いてきた。

「わたしの好きな男なら、いま目の前にいる!」

だから問題ないんだ! そう告げた小平太に、あっさり唇を奪われる。予想のはるか上空を駆け抜ける小平太の行動、言動に、長次の頭はすっかり真っ白だった。





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2013/2/24