ああ、可憐って言葉は彼女のためにあるんだ…っ!

薔薇色、まさに伊作にとってこのときは全てが薔薇色で虹色で桃色だった。






伊作が休日返上で学校までの道のりをやってきたのは三十分ほど前の事だった。
特に部活動に所属しているわけでもない伊作がこうして休日に来る事はほぼない。本日こうしてきたのは、許婚に変な誤解を招いたらしい潮江君から直接会ってほしいと頼まれたからだ。もちろん二人は誤解を受けるような仲ではないけれど、関係ないと突っぱねるような真似も出来なかった。
それに、と携帯の美少女を思い浮かべる。どちらかと言うと、彼女の方に興味があった。変な意味ではなく、単なる好奇心という意味合いで。どうしても結びつかない美女と野獣な二人の図に変な笑いがこみ上げてくる。
笑っちゃいけない!いけないけど!
あまりにも不釣合いすぎる二人を間近で見てみたいというなんとも不純な動機がそこにはあったのだ。





そうして迎えた朝は散々だった。普段なら昼過ぎまでごろごろしているので当然朝食もなく、ぐうぐう唸るお腹を抱えて向かった駅では何故だか改札に引っかかってしまった。おまけにようやく向かったホームでは人波に流されて電車に乗り遅れるわ、転寝して乗り過ごすわと、とにかくついてない朝だった。
けれど、そんなものは目の前にやってきた色白の美少女のおかげでスパッと綺麗に忘れてしまった。

差し出された手はものすごく白くて肌理細やかだった。声も、容姿も、髪の毛一本一本さえも、美しくて完璧な美少女が目の前にいる。
すぐ傍に先日お世話になった男が居た。お礼言わないと、と思っていたはずなのに、そんな事は彼女の姿を見た瞬間に全て綺麗さっぱりすっ飛んでいってしまった。
よろしく、と差し出された手は着ていたニット並に白く、握ったみれば印象通り華奢でちょっとでも力を入れたら折れそうなくらいだった。
可愛い、可愛すぎる!
完璧すぎる彼女を視界いっぱいにおさめて、伊作はどんどん頬が熱くなるのを感じた。

「おい、風邪ひいてんのか?顔赤いぞ?」

夢見心地で彼女を見つめていたのに、潮江君の声によって一気に現実世界に引き戻されてしまった。

本気で体調を心配してくれてる潮江君には申し訳ない。
いま、あなたの彼女に思考を飛ばされていました。

グツグツ沸いてくる気持ちに耐えられなくて、潮江君の腕を取って彼女に声が届かない位置まで連れて行くと、捲くし立てるように全てをぶちまけてしまった。

可愛い。想像以上、いや、例の画像以上に実物は可愛い。ていうか美しい!彼女の背景には薔薇が咲いているかのようにも思えて見ているだけで眩しい。あんな美少女にはそうそうお会いできるものではない。どうしよう、可愛すぎて直視できないよ!

仲良くなりたい、と潮江君に本音を言えば、苦虫を潰したような顔でこちらを見ているのに気がついた。その眼差しには微妙に哀れみが込められているような気がする。
え、僕なんか変な事言ったっけ?

「…言っとくが仙蔵は」
「知ってるよ、潮江君の許婚サンでしょ」

何回も聞いてたらそりゃあそのくらいは覚えるし、さすがにそこまで馬鹿ではない。失礼だなぁ。
潮江君には大変申し訳ないけど、彼に彼女は実にもったいないと思う。立花さんは何で潮江君なんだ。よりにもよって潮江君。似合わない、あまりにも似合わなすぎる。不釣合いにもほどがある。
美女と野獣。豚に真珠。猫に小判。
テストでは出てこないことわざも今だったらスラスラと言える気がした。






寒いしお腹もすいたし、ということで駅の近くのファミレスに入った。
席は四人掛け。伊作の前には男が二人と横には美少女、もとい立花さんがいる。隣に席を取れたことが嬉しくてついつい顔の綻びを隠せなかった。
ああ、幸せ!

「立花さんはなに頼む?」

彼女の前にメニューを広げてさりげなく距離を詰めた。こういう時、警戒心も何もなく近くに寄れるんだから、女の子って本当に便利だと思う。
料理追っていた目をずらしてそっと彼女を視界に入れると、何故か眉間に皺が寄っていた。おまけに視線の先はメニューではなく、彼女の前に座る潮江君に向けられている。その潮江君も困ったような表情を浮かべていて、なんだかすごく変な空気が漂っている。
潮江君から訴えるような視線を寄越されて、本日の使命を思い出した。

誤解を解く予定だったのになにしてんの。

会って早々潮江君を引き摺り回したら更に誤解を招くだろうに。やってしまったと、数分前の自分にひたすら後悔の念を抱く。横目に立花さんを見れば、先刻よりも怒っているのがわかった。
助けを求めてくる潮江君の視線に応えてあげたいけれど、正直こういう状況に慣れていないので何をどう言っていいのかわからないのが現実だ。
どうしようと手を拱いていると、バックに突っ込んでいた携帯がガタガタ揺れて、わっと大きな声を上げてしまう。マナーモードにしたままだったのが不幸中の幸いだったけれど、心臓に悪い。

「ご、ごめんなさい。メールきたみたいで」

謝罪を述べつつ携帯を手に取る。
差出人は部活中のはずの小平太からで、今は休憩中なんだろうなと思った。内容は…。

「これ、潮江君宛だよ」

一緒に居る事を踏んで寄越してきたらしい。
メールの受信画面そのままに、潮江君に携帯を渡す。受け取った彼は眉を顰めていた。

「ゴテゴテした携帯だな」
「デコ電だよ。可愛いでしょ?」

にっこり笑うと彼は小声で、意味わからんと呟いた。
確かに飾り立ててはあるけれど、大きなメタルパーツやブラパーツがついているわけではない。ラインストーンで可愛く模様を描いている程度のそれは、その道の人が見たらデコ電と呼ぶのも申し訳ない程度のものだけれど、古風な彼にはこの可愛さは一生わからないだろうなと思った。

「いいからメール読んじゃってよ」

小平太から届いたメールは開封していない。理由は件名が「文次郎宛(伊作開けるな)」だったからだ。小平太は何を送ったんだろう。
読み終えたらしい潮江君は溜息を吐きながら携帯を返してくる。

「過保護すぎて怖いぞ」
「誰が?」
「小平太だ。お前に変な真似したら殺すって送ってきたぞ。何言ったんだよ」
「失礼だなぁ。何も言ってないよ」

乱暴に携帯を掻っ攫うとそのまま鞄にしまう。小平太のそれはきっと冗談が半分以上を占めているんだろうけど、潮江君には欠片も伝わっていないらしい。
黙ったままだった食満さんが潮江君の袖を引いて、小平太って誰?と聞いているのが見えた。伊作と小平太は小学校からの付き合いだけれど、潮江君とは高校から一緒になったから、学校の違う彼は知らなくて当然だ。

「前に話したこいつの王子様だ」

くっと親指で指された。こいつの、のところを強調するのも忘れていない。確かに表現方法としては間違っていない気もするけれど。
思わずそんな話をしたのかと脱力してしまった。

「こいつ?おまえ?ずいぶん馴れ馴れしく呼ぶんだな」

立花さんの一言で、その場の空気が凍った。

美人で綺麗で可愛いのに、氷のような今の冷たさ。立花さんの怒気が恐ろしいほど伝わってきて正直肝が冷える。それは潮江君も食満さんも同じようで、青い顔をして小さくなっていた。
美人さんが怒ると、迫力と破壊力がはんぱないっ。
それと同時に、そんなに好きなのか、と頭の片隅で思った。すごく可愛いのに、頭だってよさそうなのに。なのに彼女は(失礼ながら)この潮江君がいいんだ。
愛情表現がちょっと不器用な彼女に、そんなところも可愛いなぁと不謹慎にもキュンキュンしてしまった。
恋する女の子って、やっぱり可愛い!絶対に仲良くなりたい!

とにもかくにも先に誤解を解かねば話は先に進まない。少なくとも今の伊作は彼女にとっての「邪魔な女、第一号」なのだから。
話を聞いてもらおうとした所でそれは立花さん自身によって阻止されてしまった。彼女は徐に席を立つと、食満さんの手を引っ張って半ば強引に席を立たせてしまった。
突然の行動にあっけに取られていると。

「私はこいつと帰る。お前は善法寺とゆっくり茶でもしてろ」
「はぁ!?」
「五月蝿いっ!」
「ちょ、待てよ!」
「立花さんっ!」

潮江君の静止を振り切って出口に向かおうとする立花さんの腕をなんとか捕まえる。手首も折れそうなくらいに細くて。その腕が僅かに震えていて、彼女に辛い思いをさせたことに胸が痛んだ。
ちゃんと話聞いてもらわなきゃ。誤解解かなきゃ。

「誤解だよ。僕達ただのクラスメイトだもの」
「そんなの確かめようがない。信じろって言うのか」

確かに学校内での関係なんて確かめようもないのだから、そんな風に切り替えされたら反論なんて出来やしない。どう説明しても、信じてもらうという事が大前提になるんだから。
正直、潮江君がどう誤解されようと困らないけれど、今の自分の立ち位置は嫌だ。彼女に嫌われたくない。
興味があるのは潮江君じゃなく、目の前に居る彼女なんだから。

「信じてほしい。僕だって迷惑してるんだ」
「……言ってくれるじゃないか」

あれだけ突き放すような言葉を浴びせながらも、こっちが煙たがれば彼の肩を持つ彼女。天邪鬼なところも可愛いけれど、それをこちらに向けられるのはやっぱり嫌だった。
だって、仲良くなりたいんだもの。可愛いんだもの。好きなんだもの。

「だって、僕が仲良くなりたいのは、立花さんなんだから!」

気がつけば心の声は駄々漏れで、今度は別の意味で空気が凍るのを感じた。
三人とも、固まっている。

…言い方、間違えたかも。







ちょっとこい、と連れて行かれた先は女子トイレだった。
立花さんは腕組みをして、此方を威嚇している。怒ってる立ち姿もまた美しい。

「そっちの趣味だったのか?」

彼女の発言にぎょっとした。
確かに彼女は可愛いし、可愛いものは好きだけれど、それに対して疚しい気持ちになるかと言われたら答えはノーだ。第一、そっちの趣味はない。

「ち、ちが…っ!そうじゃなくて、純粋にお友達になりたいってことだよ!」

そういう意味じゃないんだよと慌てて説明する。
ああ、そっか。潮江君もこういう勘違いをしてたんだ…。
だからあんな目で見てたのか、と妙に納得する。自分の言動を思い出しても、微妙な言い回しばかりしていたのでちょっと申し訳ないことをしたなぁと一人反省した。

「ああ、それを聞いて安心したよ」

本気で安心した立花さんは、ようやく笑顔を見せてくれた。…と同時に、彼女の中で一時でも変な意味で警戒する相手になっていた事実に項垂れる。
そんなつもりなかったのに。もう泣きそう。
女子高に通う彼女は、高校に入ってからそういった類のものが多くて迷惑しているらしかった。同性から見ても見惚れる容姿の持ち主だ。日常茶飯事だと言われれば簡単に納得できた。

「それ、潮江君に言った?」
「言えるわけない、余計な心配かけるだろ」
「でも潮江君はそういう心配したいと思うよ?」

だって、すごく立花さんの事好きなんだもの。
彼女の手を握って力いっぱい言うと、顔をそらされてしまった。心なしか、頬が赤い。

「…そういうのに、慣れてないんだ」

消え入りそうな声で呟く立花さんはものすごく可愛かった。
やっぱり可愛いっ。お友達になりたいっ!
またしても心の声が口を滑って出ていたみたいだけれど、さっきとは違って立花さんは笑っていた。

「…仙蔵」
「え?」
「名前だ。仙蔵でいい。そのかわりこちらも伊作と呼ばせてもらう」

友達になりたいんだろう?と先刻までと打って変わった優しい視線を投げられて、伊作は大きく頷いた。
やった!やったよ!ついにお友達になれました!!
ルンルン気分で、二人揃って席に戻れば潮江君と食満さんは不思議そうな顔をしていた。潮江君の抱いてる誤解を解こうと思ったけれど、それは立花さん、もとい仙蔵のよって止められた。
彼女曰く、面白いから誤解させとけ、らしい。
そんなあなたも大変可愛いらしいです。

その後はお決まりの番号交換をして、今度は二人で会おうねと約束までして、三人と別れ帰途へと着いた。電車の横揺れに身を任せて、今日は行ってよかったなぁと心の底から思う。
仙蔵の誤解も解いて、しかも友達にまでなれた。ちょっとすごくない?
携帯のアドレス帳を開けばそこには「仙蔵」の二文字と十一桁の数字、そして@マークが並んでいて自然と心が躍った。マナーなのでそのまま携帯の電源を落とすと鞄に大事におさめる。
帰ったら早速メールしよう。


ところで、なにかちょっと忘れている気がする。
なにかをやり残してる気がして一日を振り返る。本日一番の目的、誤解は解いた。潮江君は別の誤解してるけど、それはどうでもいいのでオッケーだ。小平太からのメールは見せて、更に言うと報告メールも送り返した。ええと、何を忘れてるんだ。
そこでふと気がついた。

「………食満さんにお礼言ってない」

うっかりしてた。仙蔵の事で頭いっぱいになっちゃって、他の事が頭からすっかりふっ飛んでいた。
寒い中、自転車で送ってくれた人に再会出来たのになにしてんの!すっごい失礼じゃないの!?
あの日、帰り際の彼はすごい優しかった。彼にとっての伊作の印象は「ぶつかっていった変な女」だったかもしれないけれど、本日のアレで確実に「失礼な奴」に変わったかもしれない。おまけに同性愛の疑いありだ。
自覚したらどんどん血が下がって、クラクラして倒れそうだった。

ごめんなさい、ごめんなさい。

心の中でひたすらに謝っていたらお約束というべきか、またしても電車を乗り過ごしてしまった。






かわいいおんなのこ







****************
2010/9/28




title:確かに恋だった



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