長次に避けられてるかもしれない。
直感的に感じた時、小平太は生まれて初めて血液の下がっていく感覚を味わった。


長次は最近になって何故か、座学の授業、演習、任務、鍛錬、入浴、就寝以外の大部分の時間を、自室ではなく図書室で過ごすようになっていた。最初の二、三日は委員会の当番なのかと思ってみたが、それが二週間も続けば疑わざるを得ない。

長次と小平太の関係は傍から見ればよい友人だったかもしれない。けれど二人の中では違う。れっきとした恋仲だった。何度か口吸いもしたことがあるし、体を繋げた事だって…いや、それは一度しかないけれど。
問題は数ではなく、そこに宿る気持ちだ。確かに想いあっていたんだ。

想いが通じ合ったのは最上級生になってからだ。だからその手の知識も興味も十分にあったはずなのに、きつくなる授業や委員会を理由に拒んでいたのは長次の方だった。長次の言いたいことは小平太にも十分わかっていた。男女のそれと違って生産性を持たない行為は体に酷い負担が伸し掛かる。準備だって色々必要だ。
けれど小平太だって聖職者ではない。忍者の三禁は心得てるつもりだったが、好いた相手と肌をあわせたいという年相応の欲望にはどうしても抗えなかった。
触れたい。触れられたい。共に夜を過ごしたい。
溢れ出した気持ちを抑えられず、いいから抱けと強引に腹に乗った。そうやって初めて体を繋げたのは、ちょうど二週間と一日前の事だった。


溜息がばかりが出る。
思えばあの夜以降、この部屋で顔を合わすことがほとんどなかった。
もしかしてあまり悦くなかったんだろうか。それとも獣のように押し倒した自分に幻滅したんだろうか。
考えれば考えるほど嫌な結論しか出てこない。
怖くてたまらなかった。けれど、このままでいいかと問われれば、答えは否だった。



真意を確かめようと、長次が戻るまで重くなる瞼を何度も擦って襖の前で正座して待っていた。時刻は既に丑の刻。壁の向こう側にいる伊作も留三郎も仙蔵も夢の世界にいるみたいですっかり静かだった。鍛錬馬鹿の文次郎の事は知らない。そして長次は未だに戻らない。
いつになったら戻ってくるの?戻らないの?戻って来たくないの?
泣きたくなった。
涙なんてここ六年ほど流していない。もしかしたら肌を重ねたあの夜は涙を浮かべたかもしれないが、種類が違いすぎるのでカウントはしない。今までどんなに痛い思いをしても、悲しいことがあっても、苦しい思いをしても、泣く事だけはなかった。初めて学園の門を潜ったとき、泣かないと心に決めていたからだ。なのに今の自分はどうだ。酷く脆くて今にも崩れてしまいそうだった。

膝の上で握った手に力を込めて耐える。
泣くな、泣くな、泣くな。
呪文のように繰り返しては、涙を必死に押し込める。鼻の奥がツンとして痛かった。

手だけをずっと見つめていると、ガラリと戸を引く音が耳に飛び込んだ。慌てて顔を上げた先には、長次が居た。

「…まだ、寝てなかったのか?」

そんな所にいたら風邪をひく、と布団へ促される。そして長次も自分の寝床へと向かった。
違う、そうじゃなくて。

「長次を待ってたんだ」

長次の肩がピクリと動いた。けれど、背中を向けたまま、こちらを見ようともしない。
泣きたい気持ちと苛立ちが混在して心の中を黒く塗りつぶしていった。

「こんな遅くまで図書室で何してるんだ」
「…読書だ」
「なら、ここですればいいじゃないか」
「…それはできない」
「そんなに私といるのが嫌か!」

最後の方は涙が混じっていた。
ドロドロした醜い感情に、境界線を引いたように冷たい長次に、耐えられなかった。苦しくて苦しくて、この状況から這い出せるなら誓いを崩したってかまわないと思った。そして泣いた。
床に手をついて、ぼろぼろと涙を流す。重力に引かれた双涙は床に小さな水溜りを作った。

「そうじゃない」

いつの間にか傍に寄っていた長次の胸に包まれた。自分よりも少し低い体温を感じて切なくなった。
赤子をあやすように回されたその腕。子供じゃないんだと思ってるのに今はそれが嬉しくて素直に甘えることにした。

「全然部屋に戻ってこないから…避けられてると思った」
「違う」
「じゃあなんでだ」

長次の背に回して腕に力を込める。顔だけは見られたくないと思ったからだ。今見てしまったらそれこそ見苦しく縋りついてしまうかもしれない。そんなことしたくなかった。
長次の大きな手が背中を撫ぜる。

「…新しい本が入ったから、読んでたんだ」

図書室で、と繋ぐ。

「え?」
「珍しい本で、他に借りたい奴がいたら申し訳ないと思って」

そう言う長次の手には、真新しい本が一冊納まっていた。


真相はこうだった。
ちょうど二週間前に納品された本に長次はとても興味を引かれた。けれど他の誰よりも先に借りて読むなんて事は、職権乱用しているようで聊か憚られた。そうしてとった策が図書室に通うというものだった。深夜の図書室で新品のそれを棚から抜き出して読みふける。借主の現れない本の為に通い続けて二週間たった今日、五年の不破に「もう借りちゃってください」と言われた。誰も借りませんから、深夜に忍び込まれる方が色々迷惑です、と。
そして今に至る。


「私の勘違いか!」
「そう言うことだな」

恥ずかしい、恥ずかしい。柄にもなく感傷に浸った自分が死ぬほど恥ずかしい!勘違いした自分が恥ずかしい!
小平太は真っ赤になった顔を隠そうと布団に顔を埋めた。
顔から火が出そうだった。戻せるものなら時間を戻してやり直したい。こうなったら怒りの矛先を別のところに向けるしかなかった。

「長次が悪い!それならそうと言えばいいのに!」
「すまない」

引っ張る長次の腕を駄々っ子のように振り払って、さっきより深く布団に顔を押し付けた。きつく掴んでいた手が離れて、参ったな、と長次が呟く。
困らせたいわけじゃないのに。
ふいに背中に重みを感じた。

「じゃあ仲良くしよう」

長次の口から出た意外な提案に心が跳ねた。

「ほっ、本気かっ!?」
「…本気だ」

そして口付けを一つ落とす。
途端に甘ったるくなった空気に包まれながら、二人で一つの布団に納まった。






そうして仲直りをしたはずだったのに、小平太は頗る気分が悪かった。
原因はやっぱり同室で相棒で恋仲の中在家長次だ。

小平太の双眸は、長次をただただ見つめていた。視線の先にいる長次はこちらを見ようともしない。胡坐をかいた長次の視線の先にあるのは、膝の上にある本だった。
本、本。あの日、長次が心奪われた例の本だ。一回読んだだけでは飽き足らず、再び最初から読み始めている。
何回読んだって同じ本だ。内容なんて変わらないのに。

あの日から図書室に行かなくなったが、御執心なのはやっぱり変わらない。こうして同じ部屋で過ごしていても、心は本の中だ。
ちょっとくらい構ってくれてもいいのに。
小平太だけが長次を求めているようで、本が憎くてたまらない。

「長次、長次」
「ちょっと待て、いいところなんだ」

そう言った長次の視線はやはり本の中。なんて腹立たしい!

小平太の頭の中で、線が一本切れた。
強引に胸倉を掴むと長次の体制はあっけなく崩れた。多少の体格差はあったが、安心しきって読書に耽る長次を倒すくらい造作もなかった。そのまま圧し掛かると無理やり唇を重ね、舌を差し入れる。口吸いなんて片手で足りるくらいの経験しかない。そのどれもが長次主導のもので、どうしたら気持ちいいかなんて小平太にはわからなかった。それでも長次のそれを思い出して、懸命に貪る。
一頻り口腔を暴いて、ゆっくりと唇を離した。

「長次としたい」

長次の目を見てはっきりと言ってやった。一瞬だけ大きく開かれた長次の目をこれでもかと睨んでやる。
瞳の色が困惑を現していたが、長次は何も言わなかった。
その手にはもう本はなかった。



無言は同意とみなします








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2010/9/7


プロット内容:
長次にかまって!と駄々をこねる小平太。
(強引ちゅー)



title:確かに恋だった



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