長次とて人間だ。動揺もすれば、心揺さぶられることだって当然ある。しかしながら、齢十の頃から知る友人達は、口をそろえて「長次はなにがあっても、顔色ひとつ変えない」「何があっても動じない」と評価する。けれど、それはまったくもって間違いである。と、声を大にして言いたい。そんな状況下に長次はおかれていた。

夜から朝にかわる境界線だった。部屋にゆるくさす淡い光に、何度か瞬きを繰り返えせば、次第に意識ははっきりとしていく。そばにある柔らかいぬくもりと感触に、長次は短く息を吐いた。
十五歳。大人とも子供とも位置づけが難しい年頃だけれど、少なくとも長次自身は子供だと思っていないし、長次の布団の半分を占拠したこの友人だって同じなんだと思う。じゃあ、なぜ二人でひとつの布団に包まっているんだろうか?全くもって理解不能である。






事の発端は、数刻前だった。
お遣いという名の単独任務から数日振りに開放されたその夜は、疲れていたのに妙に気が立っていて、なかなか寝付けなかった。浅い眠りと覚醒を何度が繰り返す。それでもすぐそばで安眠を貪っている友人を起こさないように、背を向けてそっと息を潜めていた。そんな時だった。突然、小平太が勢いよく布団を蹴っ飛ばして起き上がり、そのまま長次の枕元まで歩いてきたのだ。広いとはいえない長屋の一室。あっという間に距離を詰めてきた小平太に、体温が一度、下がるような思いだった。
出来うる限り気配を殺していたつもりだったのに、知らない間に漏れていたのか。殺気立っていたのに感付いたか。眠りを妨げてしまったか。
小平太から降ってくるだろう怒声に身を硬くしたけれど、それが浴びせられる事はなかった。小平太は黙ったまま、ただ立っているだけだった。襖から多少の月明かりがもれてるものの、室内は暗く表情はうかがえない。なにを思っての行動かわからなかったけれど、怒らせてしまったんだろうと勝手に結論付け、薄っぺらい蒲団に肘をついて身を起こす。

「…小平太」

すまない、という謝罪の言葉は小平太のとんでもない行動のせいで、喉の奥に引っ込んでしまった。
小平太は長次の被っていた蒲団を捲り上げると、いきなり長次を蹴っ飛ばしたのだ。不意打ちの攻撃はもろ鳩尾に決まって、さすがの長次も痛みと息苦しさにげほげほと咳きこむ。
突然の暴挙に驚いたけれど、そんなものは次の小平太の行動に比べたら全くくらべものにならなかった。小平太は苦しんでる長次をよそに、そのまま蹴り飛ばして空いた蒲団の右半分のスペースを我が物顔で占拠してしまったのだ。

「…小平太?」

揺すっても軽く叩いても、これといった反応は返ってこない。まさかとおもいつつ顔を覗きこんで、思考が一気に停止してしまった。

「…寝てる?」

丸まって長次の蒲団を陣取る小平太は、それはそれは穏やかな寝息をたてている。先ほどの蹴りが嘘みたいに、すっかり夢の世界に浸っている友人に、零れる溜息を抑えきれなかった。
小平太がなにを思って長次の蒲団に潜り込んできたのか、そんなことは当然見当もつかないけれど、この状況は非常にまずい。いただけない。長次の頭の中で、警告をうながす赤いランプがけたたましい音を立てていた。

長年、友人の面を被ってきたけれど、長次が小平太に寄せる想いはそんなさっぱりしたものではなかった。十歳。出会った頃は「目の離せない友人」程度だった気持ちが、徐々に色濃く艶を帯びたものになっていたのは、いつごろからだっただろうか。気がついた時には、ひきかえせないくらい大きなものになっていた。溺れるな、と言い聞かせた事だってあった。目をそむけて、級友たちに誘われるがまま、妓を買った事だってあった。こんなものは若気の至りだと、笑える日がくるんじゃないかと思ったことだってあった。けれどそんな長次の心を嘲笑うかのように、いつだって心根に居座るのはこの男だった。一挙手一投足に心を乱され、焦れたようにキリキリしたり、情欲に溺れそうになったり、焼けるような想いにもがいた事もある。そうして、どうしようもない自分の気持ちに、両手を挙げて観念したのはつい最近の事だった。
小平太には申し訳ないが、友人ではない。そんな枠を飛び越えて、長次は小平太が好きだった。

心を殺すことに長けてるとはいえ、好いた相手が己の手の内にいるというこの状況は、精神衛生上よろしくない。腹をすかせた狼の目の前に、なにもしらない真っ白なウサギが一匹いるようなものだ。男としては大変喜ばしいこの状況も、長次にとっては拷問だった。好きだと自覚したものの、小平太とどうこうなろうと思ったことはない。心の底でひっそり想い、静かに殺していこうと思っていた気持ちだ。立場だってあるし、なによりも今の関係を崩したくはない。手を出すわけにはいかないのだ。

そっと蒲団から離れ、壁に背をあずけると瞼を閉じる。
小平太に居場所を奪われたのだから、小平太の蒲団を取ってしまったって良かったけれど、それはどうしても出来なかった。そんな事をしてしまったら、小平太のにおいが絡みついた蒲団に包まれてしまったら、それこそ自制の二文字が吹っ飛んで襲ってしまいかねない。それがはっきりと想像できて、怖くてたまらなかった。

不意に気配を感じ顔を上げると、目の前には長次の蒲団から抜け出した小平太が突っ立っていた。
さっきまで寝ていたのに。「どうかしたか?」と問いかけたけれど、やはり返事はなかった。不思議に思って、おもわず首をひねる。けれど、小平太の不可解な行動は、これで終わらなかった。小平太はふらっと体を揺らすと、そのまま長次の足元に蹲って寝の体制に入ったのだ。今度こそ、心臓が喉から飛び出るかと思った。
瞼はかたく閉ざされたまま。肩は規則的に上下している。わずかに漏れる吐息は、睡眠中のそれだった。

本気で寝てるのか、とは声に出さなかった。

結局その後、やましい気持ちを心の奥深くにくくりつけて「邪な気持ちは全くありません、どうしようもない友人の世話を焼いてるだけなんです」というポーズを取って、安眠を貪る小平太を蒲団へと抱えていった。けれど、どういうわけかそのたびに小平太は、むくりと突然起きては長次の傍へと潜り込むのだ。そんなやり取りを二回繰り返したあたりから、もう無駄だと諦めも入り、長次の横を陣取る小平太を甘んじて受ける事にした。これはもはや、拷問に近い。



そんなわけで、長次と小平太はいま現在、一つの蒲団に横たわっている。
何故こんな目にあわなければいけないのか。まるで理性試されているようなやり取りに腹は立つものの、それより何より小平太の行動が気がかりだった。今も穏やかに寝息を立てるはた迷惑な友人は、起き上がって歩き、蹴りまで繰り出した。けれど、確かに眠っていたのだ。何度か蒲団を行き来する度に声をかけたが、小平太の双眸がのぞく事はなかったし、声すら発しなかった。あれは完全に寝入っていた。
けれど、寝ながら歩くなんて、馬鹿な話があるんだろうか。
殆ど睡眠をとっていない脳は、ろくな働きを見せてくれない。まどろむ空気の中、長次はゆっくりと意識を手放していった。







ぱっと目を覚ますと、隣にいたはずの友人は蒲団の中にも、部屋の中にもいなかった。右半分、ぽっかりと空いたスペースはすっかり冷たい。深夜の出来事が嘘のようだった。小平太は鍛錬にでもいったんだろうか。部屋の外はすっかり朝だった。
着替えをすませて食堂に行けば、そこはすでに賑わっていた。見知った面子の中に小平太を見つけ、ホッとしたようなむず痒いような不思議な感覚がせりあがってくる。長次よりも早くに目覚めた小平太は、昨日の事を覚えているんだろうか。どんな気持ちで長次の腕の中からすり抜けたんだろうか。そんなことばかり考えていた。

朝食の乗ったトレーと共に仙蔵の横に腰を落ち着ける。味噌汁をひとくちいただいたところで、楽しそうな笑みを浮かべた仙蔵が、「寝込みを襲うとは、みあげた根性だな」と嘲笑して、ぎょっとした。すすっていた味噌汁が変なところに入って、思わず咳き込んでしまう。うまく声が出なくて、なんの話だ、と涙目で訴えると、「寝てる隙に引きずり込んだのだろう?」と小声で耳打ちされた。わざと外された固有名詞は、聞かなくてもわかった。
どこでどうなって、そんな話になったんだろうか。少なくとも襲われたのは長次のほうであって小平太ではない。とんだ濡れ衣だった。

「私の蒲団に潜り込んできたのは、小平太の方だ」

頭にきて言い放った言葉は、落ち着いたわりに存外冷たい声色だった。
ムキになったのは図星だからではなく、小平太から仕掛けてきたあの状況を、ちょっとでも良いように捕らえた自分を否定したかったからだ。
やましい事なんて考えてなかった。手の内にある小平太の姿に、体温に、情欲に駆られたりしなかった。そんな事、欠片も思っていない。理性の部分で必死にそれを主張したかったのだ。
そんな思いを知ってか知らずか、噛み付いてきたのは仙蔵ではなく、小平太だった。

「嘘だぁ。私、そんなことした記憶ないぞ」

あっけらかんと言われたその内容を、きちっと把握するのにたっぷり五秒はかかった。全く覚えていない、と高らかに宣言する小平太に、目の前が真っ暗くなる。
今の今まで、ほんの少しだけ、あれは寝たフリだったんじゃないかと、淡い期待を持っていた。色々疑問はあったけれど、寝ていますというのは姿勢だけで、実はちゃんと起きていたんじゃないかと思っていた。でなければ、あの奇行は説明がつかない。寝ながら長次の行くところ行くところに、ついてまわるなんて芸当が出来るわけがない。そう願っていたのに、目前の小平太はわけがわからないと小首をかしげていて。隠し事が苦手な小平太が、嘘をついてるとも思えなかった。
言葉を失って呆然と小平太だけを見る長次に、仙蔵も、その向かい側に座っていた伊作も、どうしたんだ、と不安げに視線を寄越したけれど、そんなものは全く届かなかった。

これは、まずいんじゃないか?

どこからか聞こえてくる赤ランプに、事の成り行き全てを吐き出した。








「まずいよね」
「ああ、まずいな」

昨夜の奇行を一部始終、包み隠さず話すと、伊作と仙蔵の口から同じような言葉が漏れた。
当の本人は実感が湧かないのか、どうでもいいと思っているのか、こちらの話には全く聞く耳を持っていない。

「部屋の中だけならまだしも、外でやらかしたら大変だよ」

溜息交じりの伊作のご意見は、全くもって正論だった。
安全な学園内ならさしあたって問題はないかもしれないけれど、これが実習や任務の最中に起こったら大事になりかねない。寝てるのにフラフラとさ迷い歩くなんて、危険と背中合わせの戦場では命がいくつあったって足りやしない。治せるものならさっさと治すに限るだろう。

「一過性のものかもしれないしね、しばらくは僕が面倒を見るよ」

大事にはしたくない、という伊作の判断の元、留三郎と小平太が部屋をトレードするという事で話は落ち着いた。就職を控える身なので、互いの進路を思えば事を荒立てたくない。それはきちんと理解してるのか、小平太から反抗の意思は見えなかった。

伊作が言うには、小平太の症状は「夢遊病」に近いらしい。以前、文献で読んだ事があると話す伊作は、なんともいえない微妙な顔をしていた。
昨日だけかもしれないし、忘れた頃にまた同じことをするかもしれない。さらりとした口調で、恐ろしい事を言ってのける伊作に、長次は体の芯が凍えそうなくらい、ぞっとした。
朝食の味は、ほとんど覚えていない。










今日の委員会は、散々だった。
頭の中で、昨夜の小平太がちらついて、とてもじゃないが集中なんて出来なかった。図書カードの日付は間違える。返却された本をまったく違う棚に戻す。極めつけは、補修中の本を見事なくらい破いてしまった。下級生でもやらない失態の連続に、とうとう「…委員長、体調が優れないようですね」と、苦笑される。その言葉の裏に、やんわりと「帰ってくれ」と願いがこめられているのが見えて、とどめを刺されてしまったことにひっそりと沈んだ。

小平太の事が、気になって仕方なかった。
昨夜の突然の行動が、ものすごく引っかかる。どこか悪いところでもあるんじゃないかと不安に駆られた。伊作は、「精神的なものじゃないかなぁ」と言ってたけれど、そんなにのんびり構えていていいのだろうか。やはり、きちんとした医者に見せたほうがいいんじゃないだろうか。一度は誰にも洩らさないと納得したのに、そんなことを考えずにはいられなかった。

長屋に戻ると、そこにいたのは見知った級友ではなく、隣の組の留三郎だった。「今日から、世話になる」と言った留三郎の傍らには、小平太のものとは違う寝具一式がある。それが目に入って、ああ、部屋を交換するんだった、とどこか他人事のように思った。

不安要素がひとつでも出てくれば、それは芋づる式にぽこぽことうまれてくる。けれど解決の糸口は、全くといっていいほど見えない。
奇行の原因も気になるけれど、それ以上に、もし今夜、小平太が昨夜と同じような事をしたら、と考えると気分がどんどん悪くなった。昨日隣にいたのは長次だったけれど、今夜は違う。伊作だ。寝入った無防備な姿で、伊作の床に潜り込んだら、と想像するのも嫌になる。伊作がここにいる留三郎に入れ揚げてるのはわかっているし、二人の間に間違いが起こる事はないと思う。それでも、無邪気な寝顔も、安心して寄せてくる身も、他人の目に晒したくなんてなかった。

全く、ひどい独占欲だと思う。
二人の関係は友達でしかない。長次だけが一方的に懸想を抱いてるだけなのに、裏腹すぎる強欲さに溜息がこぼれた。それを、友の身を案じていると勘違いした留三郎に、「まぁ、治るだろ!」と、見当違いの慰めをかけられて、いたたまれない気持ちになる。どす黒い気持ちは、湧き水のようにどんどん溢れてきて、底なし沼にはまる気持ちは、到底払拭できそうもなかった。
こんな不安が翌日明朝、別の意味で覆されることになるなんて、このときは思いもしなかった。








数日振りの安眠だった。
任務に追われるた数日間、そして小平太が己の蒲団に潜り込んできた昨夜と、ここのところ、ろくに睡眠がとれていなかった長次は、朝まで泥のように眠った。夢すらも見なかった。
襖の隙間からは、うすく朝日が差しこんでいる。まどろむ意識をやりこめるため、欠伸を二つ三つと、まぶたを軽く擦った。意識がはっきりしだせば、妙な違和感が長次を襲う。自分のものでも、少し離れた隣で盛大に蒲団から腕を伸ばしてる留三郎でもない、別の気配を感じる。おまけに背中が妙にあたたかい。寝返りをうつのも怖くて、おそるおそる顔だけを背中側へと向ける。振り返ると視界いっぱいに、ここにいるはずのない姿が映った。

「……こ、へいた?」

長次の蒲団の中に、小平太がいた。しかも、隙間を埋めるように、長次の背中にぴったりと張りついている。
昨日は確かに別々の部屋に寝たはずだった。小平太は伊作の部屋に、かわりに留三郎がこちらの部屋に来ていて、その証拠にすぐ傍では今でも留三郎が気持ちよさそうに寝ている。
じゃあ、なぜこうなってる?わけがわからない。
目の前の光景が信じられなくて、馬鹿の一つ覚えみたいに、ぱちぱちと瞬きだけを繰り返した。固まったまま蒲団から這い出ることも、逆に小平太を引きずり出すことも出来ず途方にくれてしまう。
廊下から響く激しい足音に顔を上げると、ほぼ同時に襖が勢いよく開いた。戸の向こうからは朝の清清しい光と、それに似つかわない形相の伊作が立っている。走り回った後なのか、肩で息をする伊作は、長次の蒲団からわずかに覗く小平太を見つけて、その場にへたりこんでしまった。

「…す、すごい、…さがし、た…っ!」

起きたらいないんだもん、と切れ切れに話す伊作に、抜け出したときに気がつかなかったのかと、頭が痛くなる。寝ながら歩き回るとわかった上で一緒にいたのに、それを見逃すなんて、下級生じゃあるまいしどうなんだ。仮にも六年生だろうが。という言葉は、寸でのところで飲み込んだ。と、いうのも、伊作の左頬が痛々しいくらいに赤く腫れあがっていたからだ。

夜中に部屋から抜け出そうとした小平太を、必死に止めようとした時に殴られたんだと、申し訳なさそうに話す伊作は実に不憫だった。声をかけても反応が得られず、力尽くで止めにかかったら逆に返り討ちにあったらしい。左頬よりも、腹に受けた肘鉄の方が決定打だったと伊作は笑った。そういえば、自分も鳩尾に一発食らったなと、一昨夜の事を思い出す。そして、それを伊作に言っていなかった事も。すまん、悪気はなかった。

「長次は、気がつかなかったの?」

伊作の質問に言葉が詰まった。
いつになく深く寝ついていたからか、小平太がいつ潜り込んできたのかわからなかった。全く気がつかなかったなんて、それこそ問題ありだと思う。そこは素直に反省した。けれど、それ以上に問題なのは、小平太自身だった。
多分、寝てたと思う、と神妙な顔をした伊作に、やっぱりか、と溜息を落とす。

「それに、長次のところに、まっすぐ行ったのも気になる」
「…私のところに?」
「うん」

伊作が頷いたのと同時くらいに、留三郎が間の抜けた声を上げて、蒲団から起き上がった。留三郎は眠そうに欠伸と伸びを繰り返してから、いまだにすやすやと眠る小平太を見て、一回戻したんだけどなぁと、頭をかいた。

「長次んとこに潜り込んだから、ひっぺはがして部屋に戻したんだけどな」

ついでに廊下で伸びてるお前も、と伊作を指差した。

「ああ、それで朝ちゃんと蒲団にいたんだ」
「おう、感謝しろ。けど小平太の奴、四半刻もしねぇうちに戻ってくるからさ。諦めた」

おい、諦めるんじゃない。叩き起こせよ、と自分は寝こけていたのを棚に上げて咎めると、留三郎は肩をすくめた。

「俺の方に来たら、張り倒してたけど、」

まっすぐ長次のとこ行くから、と紡がれた留三郎の言葉に、いよいよ言葉を失ってしまった。






無意識のゼロセンチ







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2010/11/8



長編にするつもりで書いてましたが、見事にくじけました。




title:確かに恋だった



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