※留にょ伊初体験のオフ本サンプルです
※伊作女体化
※サンプルなので導入部分のみです(初体験部分は未掲載)








Act,1




 高校生最後の夏も、部活三昧だった。毎日道場へ通い、朝から晩まで練習で汗を流す。帰宅する頃にはすっかりくたくたで、隣の家の灯りが煌々と照る中、俺は指一本動かすのも億劫だと眠るばかりの毎日だった。

 人生初の恋愛と彼女が出来たのは、半年ほど前のことだった。
 それまでの自分は、友人と馬鹿やって笑い合ったり、部活に打ち込む健全すぎる毎日ばかりで、恋愛からは程遠いところにいたと思う。あまりの女っ気のなさに、周りの友人や先輩からは「大丈夫か?」と心配されるほどだった。俺は、ゲイでもなければ、不能でもない。口で反論しても訝しげに眉を寄せられるばかりで、そんな現実に両手を上げるしかなかった。

 その流れで、「一回しかねえ青春だぞ。」と、強引に合コンに引き摺られたことがある。思う存分飲んで、食べて、笑って、その時間はすごく楽しかったけれど、横で袖を引く女にときめくことは、やっぱりなかった。
 友人たちが女に向ける「好き。」や「ものにしたい。」といった感情が、よくわからなかった。人として付き合いやすいかどうか、それ以上の考えが働かない。一般的に可愛いと部類される女と二人きりになっても、不思議とどうにかしたいという気持ちにはなれなかった。

 考えたくないけれど、これは男として欠陥があるんだろうか。
 不安になり始めたのは、二年の冬の初め頃だった。これで、ダメだったら終わる。と、手にしたのはクラスメイトから回ってきた雑誌で、初めて見たわけでもなければ、した経験がなかったわけでもないが、それでも確認しないと安心できないくらいに、俺は完全に切羽詰っていた。

 そんな頃に出会ったのが、善法寺だった。派手さは全くなかったけれど、善法寺の内から滲む可愛さや優しさに、俺はすぐ虜になってしまった。十七年の人生の中で、これほどまで、会いたいと切望した経験は、今までない。偶然で再会した彼女が、電柱の影で涙を零していたのを見た時、俺は初めて、守ってあげたい。抱きしめたい。と、思った。もちろんそんなことは出来ないし、やらなかったけれど。

 地面から溢れ出す湧き水のように際限のない衝動に、俺は酷く焦り、そして朝露から垂れる一滴のように、あっさりと納得してしまった。
おれは、善法寺のことが――。

 初めて本命チョコを受け取ったあの日のことは、絶対に忘れられないと思う。
 貰って欲しいと差し出されたとき、これは夢かと一瞬疑った。足元がふわふわして、まるで現実感が感じられない。嘘だろう。夢だろう。こんな上手い話、あるわけがない。引っ込められた箱を「いる!」っと掴んだ時、耳まで真っ赤にして期待に揺れる善法寺を見た時、ああ、本当なんだな。と、初めて実感した。バクバクと、心臓が悲鳴を上げる。指が汗で滑る。大事な試合の時でも、こんなに緊張したことはなかった。




 通う高校も違う。通学路も違う。二人の間に、共通点なんてないに等しかったけれど、今では恋人という地位にぴっちりと納まっている。

 初めての彼女だ。大事にしたいし、思い出だっていっぱい作りたかった。なのになあ、と重い息を吐きながら携帯を見つめる。
 液晶に映るメールの日付は昨日のもので、疲れて寝てしまい、返信し損ねていたものだった。タイミングを逃したメールほど、返しにくいものはないなあと額を押さえる。
 善法寺とは、学校も違えば、家の方向も真逆で、そう頻繁に会うことは叶わない。だからこそ、会えない時間を埋めるように、彼女はこうしてよくメールを送ってくる。内容はあってないようなもので、補講でこんなことがあったとか、友達と一緒に勉強したとか、仙蔵と買い物に行ったとか、日記のような些細な日常ばかりだった。けれど、動く絵文字だとか、ひらがなが多めの文面がかわいらしくて、そのささやかな電波を使ったやり取りが、俺の毎日の楽しみでもあった。

 そう。確かに楽しみだったんだが。と、再び文面に視線を落とす。
一昨日貰ったその中身は、一番の親友が彼氏と二人で海へ行ったということ、そしてお土産に貰ったというイルカのストラップの写真付きだった。
 善法寺の寄越すメールはいつだって自分のことが中心で、メールの引き合いに友人達のあれこれが出てきたことはない。こんなのは初めてだった。

「………俺だって、連れてってやりたかったよ」

 誰に言うわけでもない自虐的ないい訳を零すと、携帯を握ったままベットへと身を投げた。重力と重みでスプリングが軋む。口から漏れるのは、鉛のように重いため息ばかりだった。

 初めての彼女。初めての夏。本当だったら、ちょっと遠出をして、夏にしか出来ないような、そんな思い出の一つや二つ作りたかった。
 夏祭り、浴衣を着流して花火を眺めたり、屋台で売っている油でべっとりとした焼きそばを半分こしたり、夏の砂浜を踏みしめたり、浮き輪につかまってプールの流れに乗ってみたり。同級生達が当たり前のように過ごす当たり前の夏くらい、当然自分だって経験したかった。口には出さなかったし、直接的な言葉を向けられたわけじゃないけれど、きっと善法寺だってそうしたかったんだろう。

 部屋の壁に掛けっぱなしのカレンダーに目をやる。
近所の和菓子屋のおじさんから貰ったそれは、店の宣伝をかねているためか、いまいち実用性にかけている。予定を書き込む隙間のないそれは、日付の見易さだけが救いだとぼんやり思った。

 日付を追う。すでに八月も半分以上過ぎてるというのに、デートと呼べるほどの時間も取れていない現実に、俺は滅多打ちにされるしかなかった。
 構えるものなら構いたい。ついでに、ひと夏の経験だってしてみたかったし、大人の階段だってのぼりたかった。でもなあ。と仰向けだった体を転がす。


 高校生最後の夏、最後のインハイは絶対に悔いを残したくなかった。負けたくなかった。今度こそ、表彰台のてっぺんを取りたかった。それは夏が始まる前から善法寺にも伝えてあって、だからこそほったらかしが続いても、彼女は嫌な顔一つ見せずに「がんばれ。」と背中を押し続けてくれたんだろう。全てが終わって、その優しさを噛み締めると同時に、申し訳なさが後から後から込み上げる。居場所のない気持ちでいっぱいになった。

 盆もとっくにすぎている。めぼしい行事は恙無く敢行された後で、海やプールといった夏らしいお出掛けプランも、先立つものがないという情けない理由から却下する他なかった。

「………会いたいなあ、」
 ポロリと零した声は、確かな重みを持って落ちた。目的とか、プランとか、そんな面倒なもの全部捨てて、ただただ会いたい。顔を見たい。声を聞きたい。無性にそう思った。そこら辺の公園のベンチに座って、日常の他愛もない話をするだけでもいい。ぼんやりと景色を眺めるだけでも、それだけでも。
最初は蝋燭の灯り程度だった気持ちが、轟々と音を立てて膨らんでいくのを実感する。会いたい。会いたい、会いたい。一回願ってしまえば、もうそれしか考えられなかった。

 勢いよく起き上がると、アドレス帳を呼び出す。時計の針は九時前。まだ電話をかけても迷惑にならない時間だ。

 親指を動かして、メールをこしらえる時間が勿体無かった。文面を考えたり、文字を打つ時間があるなら、すぐにでも声を聞きたい。会うことが叶わなくても、せめて、声くらいは。膨らみ始めた気持ちはもう手のつけようがなかった。そのくらい、俺はもうギリギリだった。
 発信ボタンを押す。呼び出し音が途切れるほんの数秒さえも、もどかしくてたまらなかった。

 三回で切れたコール音の後、控えめな「…もしもし、」が耳に届いた瞬間、俺の中のなにかが一気にはじけるのを感じた。会いたい。が、押さえきれそうもなかった。口を開いたら言ってしまいそうだった。今すぐ会いたい、と。でもそんなこと言っても、きっと彼女を困らせることになるだけだし、聞き分けのない子供のようなわがままをさらすのは、絶対に嫌だった。そんな子供っぽい一面は、死んでも彼女に見せたくなかった。
 ぐっと唇をかんで、衝動を押さえ込む。喉元まで出かかってる言葉を飲み込んで、建前を引きずり出すのに必死だった。沈黙は、一分か、二分か。不意に、鼻をする音が耳を掠め、不思議に思って「善法寺?」と呼ぶ。

『………っ、けま、く…っ』

 返ってきたのは、しゃくり上げて、途切れ途切れの声だった。受話器越しに善法寺が涙を零してるんだとわかって、力の抜けた指先から、携帯を取り落としそうになる。
 ギリギリのところで踏ん張ろうとしてるのか、耐えるような息遣いが一層痛々しくて、胸の奥がギリギリと悲鳴を上げた。ひゅっと、喉が鳴る。なんで?どうして?そんな疑問符がポコポコ生まれては溢れ、全身を埋め尽くす。どうしていいのかわからず、頭が焼ききれそうだった。

 手を差し伸べられない距離に、心がギリギリと悲鳴を上げる。なのに、声だけはどこまでも近くて、二人の距離が酷く残酷なものに思えて仕方なかった。

 こんな時、気の利いた言葉の一つや二つ、さらっと言えたらいいのに。何もいえない自分が、情けなくてたまらなかった。これが気心知れた幼馴染や、馬鹿ばっかやってる同級生だったら、「なに泣いてんだ。ばーか。」なんて軽口叩きながら、「で、なにあったんだよ?」って、聞くくらいなんでもないことなのに、善法寺相手じゃ全くダメダメで、彼女を意識すればするほど、言葉を忘れてしまったように何も出てこなかった。これ以上泣かせてしまったら、もし傷つけてしまったら、嫌われたら。そう思ったら頭が真っ白になって、外に出るのは自分本位な言葉ぐらいだった。

「……泣くなよ、」

 ぐっと、携帯を強く握る。言葉を搾り出しながら、逆に泣きそうになってる自分に気づいて、「なにやってんだ!」と、自分で自分を蹴り飛ばしたい気持ちでいっぱいになる。
 頼むから、俺の手の届かない場所で、そんな遠くで、そんな辛そうにするなよ。いま泣かれたって、俺なにもできねえじゃん。だから、泣きやめって。そんな自分勝手な押し付けも混じっていたのかもしれない。

 電話の向こうで、善法寺の「ごめんなさい。」が聞こえて、胸がえぐられたように痛くなった。
こんなこと、言わせたかったわけじゃないのに。謝って欲しいわけじゃなかったのに。そうじゃなくて。と、頭を掻いた次の瞬間。

『……会いた、いっ、』

 涙の隙間から漏れた善法寺の声に、頭の中が真っ白に染まった。全力疾走で百メートル走り終わった後のように、心臓がせわしなく動いて、酷く息苦しかった。
 善法寺も同じ気持ちなのが嬉しかった。同時に、ほったらかし状態だったここ一ヶ月に、心がミシミシと音を立てる。

 俺も、と言いたかった。俺も、会いたかった、と。でも、こんな時間で、常識的に考えても絶対にまずい。そんなことしたらまずい。理性の部分と、湧き上がる欲が混ぜこぜになって、気を緩めたら判断を見誤りそうだった。
 理性の部分を奮い立たせて、震える手に力をこめる。

「……うん、じゃあまた明日、」

 会おう。と、言いかけたところで、涙声の『会いたいよぉ…っ』が覆いかぶさる。最後の方は本当に泣き声だった。ごめんねと、会いたいを、何度も交互に零す善法寺に、本当にぎりぎりいっぱい崖っぷちで止まっていた気持ちが、一瞬で墜落していくのを感じる。答えはもう決まっていた。

「今から行くからっ!」

 受話口に向かって叫ぶと、財布と自転車の鍵を掴んで、階段を駆け下りた。何でもいいから、目についた靴を引っ掛ける。普段なら気にする足元とのバランスも、構ってられなかった。
 後ろの方から聞こえた間延びした母親の「どこいくのー?」に、「ダチんとこ!」とだけ叫ぶと、扉をくぐり抜け、自転車に飛び乗った。

 会いたい。会いたい、会いたい!もうそれだけだった。

 夢中でペダルを踏む。民家が立ち並ぶ住宅街を、全力で駆け抜けた。疲労に、変な緊張と、いけないことに足を踏み入れる罪悪感が混じり、上がる息に拍車をかける。苦しい。けれど、そんなものに構ってる余裕なんて、俺にはなかった。
 会ったらまず、力いっぱい抱きしめよう。頼りない細い肩を包み込んで、今までのこと全部謝ろう。そして、半年振りに改めて彼女に告白しようと思った。

 ああ、好きだなあ。噛み締めるように、天を仰ぐ。

 初めてわがままを言った彼女に、二度目の恋に落ちた俺は、そう心に誓った。






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2011/09/25 忍フェス*2発行の37℃、サンプルに加筆。

37℃は完売いたしました!
ありがとうございました!!



2011/10/13