※留伊本サンプルです
※モブ→伊要素を含みます
※サンプルなので導入部分のみです(初体験部分は未掲載)













留三郎と僕が、腐れ縁の幼馴染から恋人に昇格したのは、旅立ちの日にぴったりの、快晴の日だった。

在校生として最後の卒業式。マフラーも、コートもない、防寒対策万全とは到底言えない規定の制服姿のまま、僕は後片付けをさぼって、卒業生でにぎわう校庭を屋上のフェンス越しにぼうっと眺めていた。
金網に触れた左手から、体中に冬の冷たさが伝染する。このままいたら風邪ひくかなあと思うのに、ぜんまいが切れたみたいに動けなかった。



後生だから。と、尋常でない勢いで拝み倒されて、屋上にやってきたのは、三十分ほど前のことだった。

相手は同じ委員会の先輩で、卒業生。なんでこの寒い中、わざわざ吹きっさらしの屋上になんて行かなきゃならないんだ。一瞬だけ不審に思ったけれど、先輩宛に作った保健委員会の寄せ書きを渡すのにちょうどいいかと、二つ返事で頷いて屋上の扉を開いた。そこで聞かされたのは、衝撃の告白だった。

「ずっと、好きだった」

言葉が耳に届いた瞬間、手にしていた色紙がコンクリートを跳ねた。

なにを、言ってるんだろう。言葉の意味がわからなくて、ぱちくりと何度もまばたきを繰り返す。まったく理解できていないと察したのか、目の前の相手は駄目押しするように再び「好きだ。」と綴った。


すごく素敵なシチュエーションで、女の子だったら泣いて喜びそうだなあと思う。けれど、残念ながら僕は女ではない。中世的と言われることはあっても、女子特有の柔らかさも、甘いにおいもしない。纏う制服だって、目の前の男と同じだ。
何の冗談を、と思うのに、向けられる視線は見てるこっちが苦しくなるほど真剣だった。軽く茶化して流してしまいたいのに、そんな空気に出来そうもなくて、途方に暮れてしまう。

なにか言わなくちゃ。そう思って口を開いても、浮かんでくるのは相手を傷つける言葉ばかりで、駄目だろうと口を噤む。
結局、言葉が見つからないまま、堅いコンクリートに視線を落とすばかりだった。
沈黙が続く。先に破ったのは、先輩の方だった。

「返事はわかってるから、いらない」

寂しげな声色に、胸が締め付けられるようにぎゅうっとなる。ごめんなさい、と心の中で何度も頭を下げながら、冷たいコンクリートばかりを見つめていたら。

「……食満が、好きなんだろ?」

静かに落とされた一言に、息が止まりそうになった。慌てて、がばっと顔をあげると、やっぱり、という視線を投げられてて、血が一気に下がる。
とぼけるとか、笑ってごまかすとか、はぐらかして逃げきる手段はいくらでもあったはずなのに、僕の反応はまるっきり肯定だった。

辛そうに顔をゆがめる先輩が視界いっぱいを占拠して、自分の立場の危うさにぐらぐらする。どくんどくんと脈打つ音だけがばかみたいに響いて、眩暈を起こしそうだった。






お隣さんで、誕生日も近かった留三郎は、人生における節目節目の定点を、一緒に祝ってきた大事な幼馴染だった。

仲良く手をつないで、幼稚園の門を潜った入園式の朝。初めての運動会。転んでばっかりでどろどろになってしまった遠足。全て一緒に、アルバムにおさまっている。
友達の作った穴に片足をはめてみたり、側溝に落ちたり、鈍くさくて泣き虫だった僕を、両手いっぱいで守ってくれた留三郎は、僕にとって大事な友達で、兄で、弟で、憧れのヒーローで、そんなあいつに、僕はいつの間にか恋をしていた。

人を好きになるのに、理由なんてない。なんて、よく言ったなあと思う。一緒にいることが当たり前なくらい近すぎて、気がついたらという言葉がぴったりだった。
何がきっかけとか、どこがよかったとか、そんな体裁じみた理由すら、なにひとつ見つからない。けれど、気持ちを自覚したころには、溢れだしそうなほど留三郎が好きで、後戻りなんてとても出来なかった。


好き、大好き。零れそうになる言葉を飲みこんで、世話のかかる幼馴染を演じる。

それが僕のポジションで、ありったけのポジティブを詰め込んでも、それ以上は望めなかった。だって、僕は男なんだから、天と地がひっくり返ったとしても、友情以上のものを得られるわけがない。だから、全力でいまの関係を守ろうと思った。友達として、一番近い存在であろうと。


そうやって必死に押し込めていた気持ちをあっさり見抜かれて、動揺が全身を包む。きっと、それだけ自分のことを、見てくれていたってことなんだろう。色んな気持ちが混じりあって、気を抜いたら泣いてしまいそうだった。それを耐えるように、奥歯を噛む。
溜息を一つ吐いた先輩が、僕の右手を取った。
「これだけ受け取ってくれないか」
先輩はそう言って、おもむろに首元を緩めると、抜き取ったネクタイを僕の手に握らせた。
卒業式に、ネクタイ。それが示す意味が全く分からないほど、鈍くもなければ馬鹿でもない。
受け取れない。脊髄反射で押し返したのに、いいから、と逆に両手で蓋をするように握りこまれてしまった。
「お前、すぐ汚すから、予備にでもしとけって。な? ……だから、頼む。これであきらめるから、」
そんな風に言われて、突っぱねられるほど、僕は非情になりきれなかった。










右手に握ったエンジのネクタイが、はたはたと風に揺れる。
色んな意味の込められたそれを受け取っておきながら、心の天秤はやっぱり送り主には傾かなかった。
どれだけ好意を寄せられても、僕の中を占めるのは留三郎ばかりで、これを渡してくれたのが留三郎だったらなあ。なんて、鼻で笑ってしまうようなありえない空想を描いて苦笑する。


先輩の姿は、未来の僕だった。今は胸に秘めた気持ちも、そのうちきっと抑えられなくなる。どうしようもなくなって、無理だ、叶いっこない、そう思いながら、確率ゼロパーセントの告白をする日が、僕にもくるかもしれない。その滑稽さに、涙が浮かぶ。

真摯に気持ちをぶつけてくれたのに、そんな的外れなことを考える自分は、死ぬほど嫌な奴だった。ひとかけらの同情も、引っかかりも先輩には向けられない。最低だった。最低の最悪で、ひどく馬鹿だと思った。

噛みしめるように、自分で自分を罵る。けれど、血も涙もない非道な奴だと後ろ指さされても、やっぱり留三郎以外の好意なんていらないと思った。
喉から手が出るほど、あいつの気持ちが欲しい。どんなことをしても、手に入れたい。汚い欲望と、自分のダメさ加減が、体の中で暴れているようで、ダメだ、ダメだ。そう思うのに、反比例するように心が悲鳴を上げた。

ポタリ、と雫が落ち、コンクリートに濃い染みが出来る。一つ、二つ、三つ。四つ目が零れて、一つの大きな水溜りになった時だった。ガタンと大きな音を立てて、鉄の扉が開き、肩で息をした留三郎が現れたのは。

「どこにもいねえと思ったら、こんなとこで油売ってやがったのかよ!」

文次郎がカンカンだったぞ! と、靴音を鳴らして近づいてくる留三郎に、慌てて顔を背ける。こんな顔、見られるわけにはいかない。けれど、袖口で涙を拭うよりも早く、留三郎の手に掴まってしまった。

「…………おい、なにか、あったのか?」

軽口とは違う、本気で心配する声色に、大袈裟なほど肩が揺れた。大丈夫かと覗きこまれて、ますます心が揺らいでしまう。
なんでもないよ。目にゴミが入っただけ。いつもの不運を装って、苦笑いをすればきっと場は収まる。頭ではきちんとシュミレーションできたのに、震える唇からは言葉が出てこなかった。
まなじりから落ちる涙が止まらない。ぎょっと目を丸くした留三郎が、ますます焦ったような声を上げた。
だめだって。優しくしないでくれ。拒む言葉ばかりが心を占める。けれど、本当は嬉しかった。
留三郎が気にかけてくれる、それが、ただただ嬉しくて、でも、同じくらい苦しかった。友達なんだと裏打ちされた優しさは、少しの喜びを加えた針のむしろで、貪欲な本音が心の根っこで悲鳴をあげる。
叫びだしそうになるのを必死で抑えるように、僕は縋るように左手のネクタイをぎゅうぎゅうと握りしめた。

「…………それが、原因か?」

常とは違う、ワントーン落ちた声色だった。
なんのことを言ってるんだろう。言葉の示すものがわからなくて、瞳をはためかせると、溜まった涙が頬を伝った。留三郎は僕の左手を取ると、これだよ、と苦しげな声をあげた。エンジ色のネクタイが、瞳に映る。

「そいつのこと、…………好きだったのか?」

留三郎の言葉が、胸に食い込むように突き刺さった。止まりかけていた涙が、また溢れ出す。鼻の奥がツンとして、息が苦しかった。違うって言いたいのに、喉の奥がじんじんと痛くなって、声がうまく出そうもない。けれど、無言を肯定とは取られたくなくて、がむしゃらに首を振った。

「じゃあ、なんでそんな泣いてんだよ……」

泣くなよ。一所懸命絞り出したような、切ない声色だった。

留三郎の言葉の中に、友への心配以上の何かを含んでいると錯覚しそうになって、セーブしていた均衡が崩れそうになる。
留三郎が優しくするたびに、単純な僕は、馬鹿な勘違いをしそうになった。男の僕を、男の留三郎が、好きになるわけない。頭ではきちんとわかっているのに、どうしても期待してしまう。それほどに、留三郎は優しかった。

「お前に泣かれるの、つらいんだよ」

涙の筋を、留三郎の指がなぞる。頬を滑る皮膚の感触に、鳥肌が立った。気持ちを押し隠す固い殻に、勢いよくハンマーが降り落とされる。もう、限界だった。

「……好きな人から、もらえたらって、……お前からだったら、って思ったんだよ、」

秘めて、押し隠して、積み上げてきた気持ちが一瞬で、しゃぼん玉のように弾けた。だめだだめだと抑えてきたものが、堰を切ったように湧き上がってきて、僕は「ごめんね。」と謝りながら、ついに「お前が、好きなんだ。」と言ってしまった。


左手を包む留三郎の手が、力なく離れていく。
信じられないと、見開かれた双眸。え? と掠れた声が、一瞬で僕の心をえぐった。
世界が真っ暗になる。「騙された?」なんて冗談ぽく取り繕うこともできないほど、空気が重くなり、自分の仕出かした過ちに、タールで塗りつぶされたようにべっとりと重くなった。

血が一気に下がって、その場に倒れこみそうだ。冷えた指先。放心する留三郎。目の前の光景は、絶望そのものだった。

逃げ道が、見つからない。けれど、背を向けて逃げ出す勇気もなかった。進めもしなければ、引けもしない。どうしようもない自分に雁字搦めになって、いやいやをする子供みたいに、膝を抱えて蹲った。

なにも見たくなくて、強く強く目を瞑る。世界をシャットダウンした僕を引き戻すように、シュルリ、と布擦れの音が鼓膜を刺激する。不意に左手を掴まれ、しわくちゃになったネクタイを引き抜かれた。「こっち持ってろ。」と、渡されたのは、さっきと同じネクタイだった。
意味がわからない。返事もできない。顔も上げられない。すっかり蝋人形になってしまった僕に、留三郎は「これ、俺のだから。」と言った。ますます、意味が分からない。

「……伊作。顔、あげろ」

怖くて、そんなことできなかった。捕食者に追いつめられた小動物になった心地でいっぱいになる。自分を守るように、ぎゅうっと肩を抱く。留三郎が困ったように息を吐くのがわかった。ますます不安が押し寄せてきて、震える指先を力いっぱい握りこむ。

意固地の塊になった僕を、そうっと包み込むように、留三郎の腕が回った。背中を撫ぜる手が優しくて、うっかり手を伸ばしそうになるのを、寸でのところで耐える。

「俺は、嬉しかったよ。…………ありがとう」

留三郎の言葉が、心に波を作る。どう受け取っていいのかわからなかった。真意が量れなくて、僕はすっかり迷子の子猫になってしまう。

「一度しか言わないから、よく聞けよ」

頭のてっぺんから響く声に、僕は頷けなかった。代わりに、体重を預けるように、肩におでこをこつんと当てる。それが合図みたいに、背中を這う手のひらが力強さを増した。苦しいほどに抱きしめられて、ぐっと距離が近くなる。触れた手のひらから、お互いの緊張が伝染して、胸が痛いくらいに早くなった。


「…………好きだ」


その三文字が、てっぺんから足元にまで響き渡る。

たっぷり間をおいて注ぎ込まれた告白に、このまま火がついて燃え尽きるんじゃないかと思うほどに、顔が熱くなった。さっきまでとは別の意味で、涙が溢れてくる。

大好きな人がいて、その人が同じ気持ちだと言ってくれる。

嘘みたいで、すぐには信じられなかった。夢にまで見た夢のような現実に、天国へ行ってしまいそうになる。大粒の涙が制服を濡らす。馬鹿みたいに泣きじゃくる僕を見て、留三郎はぷっと噴きだした。

「ぶさいくになってんぞ」

くっくと笑いをかみ殺しながら、留三郎の袖口が目尻を拭った。硬い化繊の感触が、ヒリヒリしたけれど、やめてほしいなんて、ちっとも思わなかった。
さっきまで、僕の泣き顔はつらいって言ってたのに、いまの留三郎はどこか嬉しそうだった。



それからすぐにやってきた四月。恋人になって初めての誕生日が巡ってきた。
同じ季節に生まれた僕たちは、毎年二人の誕生日の中間を選んで、家族ぐるみでお祝いをしている。もう十何年も続けてきた恒例行事だったけれど、今回ばかりは断ってしまった。
もう、子供じゃないんだから。と、もっともらしいことを言って。







二人きりで過ごす、初めての記念日だった。

「真ん中バースディだね」

二人でして笑って、買ってきたケーキに小さな蝋燭を立てる。

おいしいと評判の洋菓子店で選んだケーキは、毎年用意されてたような立派なホールケーキではなかった。小さくカットされたそれに、一本だけ蝋燭を立てる。ひどく不恰好で、笑っちゃいそうだったけれど、二人でお祝いできるトクベツが嬉しくて、どうしても口元が緩んでしまう。

せーの、であっけなく消えた蝋燭も、不釣り合いなサイズのバースディプレートも、全部がキラキラして眩しかった。

「誕生日、おめでとう」

まだ早いけど。もう過ぎちゃったけど。
お互いにそう付け足して、ケーキを半分こした。

口の中に広がるふわっとしたクリームが、全身に沁みるしあわせのようで、思わず泣きそうになる。僕の潤んだ瞳を見て、留三郎は「ほんとに、泣き虫だなあ。」と苦笑いを浮かべた。

ほんの数日だけだけれど、僕の方がお兄さんなのに、弟みたいに扱う留三郎に、もうっ! と拳を振り上げる。本気からは程遠いそれは、簡単に受け止められてしまった。

近くなった視線。軽かった空気が一気に弾けて、シロップを一滴垂らしたように、甘い雰囲気が一瞬で広がった。途端に、金縛りにあったみたいに、僕は動けなくなった。
空気感染に侵されたみたいにドキドキして、はちきれそうになる心臓に耐えれなくなる。近づく気配にどうしていいのかわからなくなって、僕はぎゅうっと瞼を閉じた。

長い、長い、くちづけだった。

お互いに形を確認するように、唇を合わせる。触れるばかりの幼いキスだったけれど、柔らかさと温もりを刻み込むように、何度も角度を変えて、お互いの温度を確認する。
唇が離れた瞬間、ふ、と漏れた熱っぽい吐息は、どちらのものだったのか。
照れくさくて、留三郎を見れなかった。そんな僕を見透かすように、「恥ずかしいな、」とはにかむあいつに、僕は溶けて消えてしまいそうだと思った。

僕は初めてで、こんなに余裕がないのに。

唇を尖らせて不貞腐れてたら、「俺だって初めてで、死にそうだっつの。」と、軽くほっぺたを抓られた。すごくすごく照れくさくて、とてもしあわせだった。この時までは。



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※続きは文伊要素も含みます。苦手な方はご注意ください。