沈黙がここまで苦痛だと思ったことはなかった。
いつもならだらだらと過ごす長次の部屋で、小平太は正座を強いられている。フローリングにダイレクトで座らされて、正直ものすごく骨が痛い。痛いけれど、それ以上に己の目の前で同じく正座をしたまま、鬼の形相を向ける長次を前にそれどころではなかった。
「だから、やれと何度も言っただろうが」
はぁ、と大袈裟な溜息をついた長次が苦い苦い口調と視線を向ける。その声色はいつもの「仕方ないな、」というような、甘さは一切含んでいなかった。 まるで巨大積乱雲でも背負っているかのような不機嫌丸出しの声色と、眉間に深く刻まれた皺。そのうちに不器用な笑いが零れだし、いよいよ本気で怒り始めたことが伝わる。
過去に一度だけ、長次を本気で怒らせたことがあった。それは確かランドセルを背負っていた頃の話で、理由も食べ物を巡っての実にくだらない言い争いだったけれど、その中身は実に恐ろしいものだった。あのときの長次の怒りを思い出して、ぞっと背筋が寒くなる。 夏休み終了まで残り十日。そんな本日、長次の部屋にいるのは冷房を堪能するためでも、ふかふかのベッドでゴロゴロするためでもない。そんな悠長なことをしている余裕など、今の小平太にはない。
正座をした己の足元に鎮座しているのは、宿題の山である。長次の部屋に置き去りにしたまま、すっかり存在を忘れていたのを長次が見つけ、即行で呼び出しを食らい、今に至る。もちろん中身は真っ新で真っ白。はっきり言ってしまえば、一ページも進めていなかった。 積み上げられた宿題のテキストたち。その頂を長次が叩く。
「まったく手をつけてないとは、どういうことだ」 「…………」 「お前は宿題放棄したまま、新学期を迎える気か」
凄んでくる長次が恐ろしすぎて、まったく口が開けない。 なにも小平太だって、真っ白のまま九月を迎える気はなかった。最後の三日くらい徹夜すればなんとかなるかなぁと思っていたのだ。実際、昨年まではそれで事なきを得ているし、今年もそのつもりでいたのに、と、長次を見上げると、絶対零度の視線が突き刺さった。 普段、呆れることはあっても怒ることが少ない人間の本気の怒気。その恐ろしさはやはり尋常ではない。 睨まれっぱなしの小平太はと言えば普段の傍若無人っぷりはどこへ行ったのか、丸めた背中を更に縮ませて、「だって、だって、」と言い訳を紡ぐ。
長次はこちらにばかり非があるような言い方をするけれど、悪いのは自分だけじゃない。長次にだってちょっとくらい責任があると思うぞ。そう言いかけたところで、またしてもぎろりと睨まれた。まさに蛇に睨まれた蛙。長次の放つ圧力に言葉などすっかり引っ込んでしまった。
「いちいち人のせいにするな。私はとっくの昔に終わらせている」
その言葉通り、学習机の上に鎮座した長次の宿題は綺麗に片付いていた。夏休み初日から計画的に取り組んでいたのを小平太は知っている。そして、長次が真面目に取り組んでいる間、だらだらと過ごしていたツケが、今来ているのだ。
「でも、でもさ、長次だって原因なんだぞっ!」
******
手癖の悪い残念な長次と、 長次に振り回されていると見せかけて、やっぱり振り回している小平太と、 四歳児な二人がいます◎
|