それはとても天気の良い日曜日の出来事だった。

「善法寺に会いたい」

駅前の某ドーナッツチェーン店に呼び出され、幼馴染にそう告げられた。その頬は少し赤みが差していて、申し訳ないがちょっと気色悪い。
目前には顔を赤らめた留三郎、テーブルにはアイスティーが三つと甘いドーナッツが何個か並べられている。そしてドーナッツを頬張るのは直ぐ隣に座っている仙蔵だった。
文次郎は頭を抱えて盛大な溜息をついた。




呼び出しの連絡があったのは三十分前だ。
学校が違うため平日はなかなか会えない仙蔵と、部活でなかなか時間の空かない文次郎。本日は時間が珍しく予定が合ったので、文次郎の部屋で真面目に勉強をしていた。そして、その最中に携帯がかかってきたのだ。
最初に着信があったのは文次郎の携帯だ。光る液晶を覗き込めばよく知る幼馴染の名前が浮かんでいて、どうせたいした用事ではないとそのまま電源を切って放置した。しかし一分も経たない内に今度は仙蔵の携帯に連絡があったのだ。
最初の1回目は無視を決め込んだ。しかしそれが5回も続いたから堪らない。
仙蔵は観念したのか、やれやれといった風に携帯へと手を伸ばす。なんだか気に食わなくて、通話ボタンをプッシュしようとした仙蔵から携帯を奪った。

「…ほっとけよ」
「なんだ、やきもちか」
「違うわ!」

仙蔵は、ならいいじゃないかと、携帯を奪い取って廊下に出てしまった。
正直、ちっともよくない。
先に文次郎に連絡してくるあたりから考えて、用があるのは仙蔵ではない事はわかっている。ついでに言うと、留三郎はただの幼馴染だし、他に好きな奴がいるのも知っている。それでも男からの電話と言う事実は文次郎を酷く苛つかせた。
しかも何故廊下に出る必要がある!
マナーなのは重々承知している。仙蔵がそういった類のものを曲げない性格なのも理解してる。でも相手は幼馴染だ。話して困る内容でもないだろうに律儀に扉の向こうへと消えていった事実が憎い。
わかっているのに言いようのない感情に振り回されてしまうのだからどうしようもなかった。欲深くなるとは実に恐ろしい。

しつこいコールの割りに仙蔵はあっさり通話を終わらせて部屋に戻ってきた。一分も掛かっていない廊下での会話。いったい何を話していたんだろうと、どうしても勘ぐってしまう。
仙蔵はテーブルに広げていたノートやら参考書を整理すると、文次郎に向かってコートを投げた。

「出かけるぞ」

有無も言わさぬといった態度に、文次郎は頷くしかなかった。






そして冒頭に戻る。

留三郎から振られた会話は明らかに文次郎に向けられたもので、溜息が出る。
仙蔵の前に山積みになったドーナッツは留三郎が買ったものだった。どうやらドーナッツを奢る、という言葉に釣られたらしい。
…やられた。

「悪いがあきらめろ」

きっぱりと告げる。
人の色恋に首を突っ込んだってろくな事がない、そう考えたからの結論だった。しかも相手があの善法寺ならなおさらだと思った。あいつの背後にはそれはそれは恐ろしい騎士様がついているのだ。文次郎とて、まだ命は惜しい。
納得がいかないと噛み付いたのは留三郎ではなく仙蔵の方だった。

「会う機会くらい与えてやっても良かろう?」

仙蔵はドーナツを頬張ったまま目だけをこちらに向けて睨む。その双眸が酷く冷え切っていて、背筋が凍る思いがした。
これは自惚れとかではなく、善法寺との仲を疑ってるんだな、と直感で感じる。
例の紙の一件以来、仙蔵は「善法寺」という単語に過敏に反応するようになった。アレは誤解だときちんと説明したのに、どうやらそれだけでは納得できないらしい。普段はわかりにくいくらい感情がつかめないのに、善法寺が関わるだけでコロっとわかりやすくなるもんだから、そんなところは可愛くて仕方ない。殺されそうなので口には出さないが。
仙蔵の魂胆はなんとなくわかった。絶対、留三郎とくっつけようとしてる。
幼馴染に恋人が出来るのは此方としても非常にありがたい。目の上のたんこぶ的存在の留三郎が消えるのは文次郎にとっても魅力的な話だった。けれど相手が相手なだけに、じゃあ手伝います、というわけにはいかないのが現実だ。
よりにもよって善法寺とか…、勘弁してくれ。

「あいつには、…なんつぅかなぁ……」

王子様がくっついてんだよ、と苦笑する。
善法寺を溺愛しているあいつは、父親かと思うほどの過保護っぷりを見せている。付き人と言うか、ボディーガードと言うか、王子様と言うか。とにかく四六時中一緒にいて、男が容易く寄れるような雰囲気ではない。実際何人かアプローチして、酷い返り討ちにあったという噂だって耳にした事があるし、事実そういうことがあったのも知ってる。
実に恐ろしい。

「…それって男なのか?」

恐る恐る聞いてくる留三郎を見やると、心なしか青ざめていてなんだか申し訳なくなる。

「いや、女だ」

きっぱりと告げれば、留三郎はあからさまに安堵を浮かべていた。
女。確かに女なんだが。
善法寺に男を引き合わせたら、あいつはどう出るか。ある意味、男よりも手強いそいつを思い浮かべて、まだ死にたくないと思った。

「なら、私が会いたいということにしたら良い」

仙蔵の手は二個目のドーナッツに伸びている。
一瞬意味がわからなくて、え、と間抜けな声を上げてしまった。

「男だから拙いんだろう?」

留三郎は私の付き添いで来たらいい。
にこやかに笑う仙蔵に反論する術など、持ち合わせていなかった。




そうして、仙蔵とおまけの留三郎(これは名目上で、実際は逆なんだが)を善法寺に引き合わせる段取りを組む事になってしまった。
文次郎と善法寺はただの同級生でクラスで顔をあわせるくらい、更に言うと軽く挨拶を交わす程度の仲だ。どちらかというとべったりくっついている小平太との方が格段に仲がいいけれど、彼女経由で伝える事も憚られる。男絡みとばれたら殺されかねないからだ。
仙蔵に指定された日取りは今週末だった。それを過ぎるとお茶会とやらがあるらしく忙しいといっていた。つまり言いつけ通りに約束を取り付けなければ、仙蔵に殺されるという事だ。
どっちに転んでも痛い目を見るなら、せめて仙蔵のご機嫌だけは取りたい。

昼休みの教室は談笑を楽しむ級友達で賑わっていた。
授業が終わってから二十分は経過している。食事を終えた時間を見計らって、善法寺と小平太の元へ行った。
話があるんだが、と言えば、小平太が尋ねてくる。予想通りの反応だった。

「小平太じゃねぇ、善法寺にだ」
「え?僕?」

善法寺は目を丸くして瞬きを繰り返している。
そりゃそうだ。こうやって善法寺に会話ふった事なんて、過去に一度もないからだ。

さて、どうして切り出すか。
善法寺と面識があるのは留三郎だが、奴はあくまでもおまけだ。実際はおまけではないけれど、おまけと言う事にしておく。仙蔵と会った事などないのに、どうしたらいいのか。考えて考えて、例の待ち受け画面を思い出した。文次郎と仙蔵が二人で映った物だ。さすがに恥ずかしかったのでもう変わってしまっているが、画像自体は残っているし、あれなら善法寺も見ているので話しを通しやすいだろう。
思い至るが早い、ポケットから携帯を出すと件の画像を呼び出した。
正直、自分で見るのも恥ずかしいそれを善法寺に見せると小平太までそれを覗き込んできて、プリクラの子だ、と笑った。当然だが、二人とも話の意図はわかっていない。
画像の仙蔵の方を指差す。

「こいつ、仙蔵って言うんだけど、善法寺に会いたいって言ってんだ」
「え?なんで?」
「俺が携帯番号教えたのばれたんだよ、それで怒ってる」

だから仙蔵に会って説明してほしい、と願い出る。
嘘は吐いてない、決して吐いてない。
良心は痛むが、多少事実を曲げてもそれしか言いようがなかった。

幼馴染があなたに一目ぼれしたそうです、会ってください。
そういえたらどれだけ説明が楽か。恥をかかずに済んだ事か。けれどそんな事を言って断られた挙句に小平太に絞め殺されるのはごめんだったので、プライドよりも命の方を取った。

善法寺は携帯の画面を眺めたまま、いつ?と聞いてきた。
よし、第一段階クリアだ。

「週末、日曜日。時間はいつでもかまわない」
「あの時は潮江君にお世話になったしね。誤解解くくらいお安い御用だよ」

にっこり笑って携帯を返される。善法寺からの色よい返事に、思わず胸を撫で下ろした。小平太は部活らしいので当日くっついてくるという心配もない。
その後は時間と場所を決めてから別れ、そのまま仙蔵にメールを打つ。約束を取り付けたことに満足したのか、仙蔵様からはお褒めの言葉を頂いた。
…これで殺されずにすみそうだ。
文次郎は安堵の息を吐いた。






善法寺との待ち合わせは午前十一時、最寄の駅だった。
店で直接待ち合わせた方が楽だったのにそうしなかったのは、善法寺からのお願いがあったからだ。一人で店に入る事がどうも苦手らしい。

「…そういうとこも可愛いよなぁ」

誰に向かってでもなく呟いている留三郎はこの際放っておく。
横目で仙蔵を見ると、普段とは違った格好をしていて目のやり場に困った。制服も私服も常に膝丈を守ってきたのに、今日の仙蔵は何故だかミニスカートを穿いていた。黒のハイネックの上からたっぷりとした白いニットを着ていて裾からは小花柄のフレアミニがちらりと覗いている。普段は拝む事の出来ない肌が露になっていて、直視は出来ない。
二人きりでもこんな格好しないのに!
嫉妬にも似たギリギリした思いを抱えて耐えていると、遠巻きに善法寺の姿を捉えた。

「ご、ごめん…!電車逃しちゃって…っ」

走ってきたらしい善法寺は肩で息をしていた。
善法寺はブラウンのニット素材のチュニックワンピに温かそうな厚手のミリタリージャケットを羽織っている。足元もタイツにブーツにと実に隙のない服装だ。
後ろの方で、私服も可愛い…と惚けている馬鹿にツッコミを入れる気力はもう湧かなかった。

「それほど待ってないから気にするな」

どうも女に頭を下げられるのは気持ちが落ち着かない。
そう言えば下げっぱなしだった目線をようやく戻してくれた。

「あ」

善法寺が小さく声を上げる。
目線の先は文次郎の肩越し、後ろにいる幼馴染を見ていた。後ろにいるのは留三郎だった。

「あの、食満さん?ですよね…?なんで潮江君と一緒に……?」
「え、あ、それは、その、」

前触れもなく呼ばれた留三郎は先刻より顔を赤くしていて実に挙動不審だ。

「私の付き添いだ」

しどろもどろの留三郎に助け舟を出したのは仙蔵だった。これでもかと言う笑みを浮かべていて、ちょっと怖いと文次郎は震えた。笑顔が笑顔過ぎて、思わず引いてしまうくらい怖い。留三郎も同じ事を思ったのか、赤かった顔が少し青ざめている。
仙蔵は留三郎を親指で指して。

「これとは幼馴染でな、人見知りするものでついてきてもらったんだ」

嘘八百を…!
しれっとした顔で言ってのけるものだから溜まったもんじゃない。けれど、当の善法寺は全く気にする様子もなく、じっと仙蔵を見つめていた。

「立花仙蔵だ」

仙蔵は善法寺に向かって右手を差し出す。
少し顔を赤くした善法寺がそれを握り返した。

「ぜ、善法寺伊作です」

握手をしつつ、さらに顔が赤くなる善法寺。
おかしい、これはすごくおかしい。

「おい、風邪ひいてんのか?顔赤いぞ?」

明らかに様子がおかしくて口を挟むと、あからさまに仙蔵が嫌そうな顔をした。
仙蔵の機嫌を損ねるのは不本意だが、体調が悪いなら話は別だ。放っては置けない。
様子を伺っていると、そのまま善法寺に腕をつかまれ。

「ちょっとこっちに来て!」

そのまま仙蔵や留三郎に声が届かない位置まで引きずられた。
ちらりと視線を彷徨わせると、遠くからものすごい形相で睨んでくる二人が目に入って、身の毛がよだつ。
振り返ると真っ赤に頬を染めた善法寺が呟いた。

「どうしよう」
「はぁ?」

なにがだ。なにがどうしようなんだ。
わけがわからなくて頭の上にはてなマークを浮かべていると、ものすごい勢いで文次郎に食いついてくる。
一気に距離が縮まって、さすがにこれにはビックリした。

「立花さんだよ!すごい可愛い!写真見たときも思ってたけど、どうしよう…想像以上……っ!」

そういう善法寺の顔はまるで恋する乙女だ。
頬を染めたまま彼女は言った。

「…僕、立花さんとお近づきになりたい……っ!」

まさかの発言に、頭が真っ白になった。






ロマンチックには程遠い






****************
2010/9/26




title:確かに恋だった



back