(仙蔵視点)



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貴重な休日を潰して行った高校生活初の文化祭の振り替え休日は、部活動という名の下、ものの見事に潰れてしまった。
この降って沸いた休日は、家で何もせずゴロゴロ過ごそうと、文化祭当日のずっと前から決めていた。久しく面を拝んでいない幼馴染を、もしかしたら窓越しに見ることが出来るかもしれない。そう思ったからだ。

しかしながら、現実は無情だった。

仙蔵の通う私立の女子高は電車で三十分の所にある。
部活動自体は面白味もない文化部だ。中学時代は剣道部に所属していたが、高校では通学時間も長いし早く帰ってこれる部活を選んで、と親にせがまれ幼い頃から嗜んでいたこともあり茶道部へ入部届けを出した。文化部は然程活動がない。中学時代は毎日のように足繁く道場へと通い詰めたが、高校では週に一回あるかないかの活動だった。なのに、なぜわざわざ今日行うのか!
仙蔵は湧き上がる怒りを隠せなかった。

制服に身を包むと姿見の前で確認する。
うむ、今日も完璧だ。
薄いグレーのセーラーカラーに緋色のスカーフ、膝丈のプリーツスカートは学校指定のものだ。世間からお嬢様学校と評されるだけあって、校則にはかなり五月蝿い。制服もその一つだった。スカーフがちょっとでも曲がっていたら、スカートの丈が少しでも短ければ、問答無用で教師の怒声が鳴り響く。故に仙蔵のスカートは入学当初から長さが変わっていない。膝丈をキープしたままだった。
駅ですれ違う他校の女生徒の制服姿を目にして、文次郎と同じ高校を選んでいたらあんな風にしていたんだろうか、と馬鹿なことを考えた日を思い出して自嘲気味に笑った。

部活開始時刻は十時なので、いつもよりのんびりした朝だ。
教科書もノートも入っていない軽めの鞄を持ち上げると、学校へ向かうべく玄関の戸を潜る。小作りな門を出たところで、文次郎の母親と目が合った。

「おはようございます」

四十五度に腰を曲げて挨拶する。

「今日はゆっくりなのね」
「はい、文化祭の振り替え休日なんです」

今から部活なんですけど、と笑うと、文次郎の母親は眉を八の字に歪ませて苦い笑みを浮かべた。そして右手に下げていたランチバックを持ち上げて、文次郎ったらお弁当忘れちゃったのよねぇ、と溜息を吐く。
文次郎は忘れ物なんてする奴ではない。少なくとも小中学校を合わせた九年間で、奴のした忘れ物は片手で数えられるくらいだった。今日は何かあったのだろうか。
文次郎の忘れ物、もといお弁当を眺めて思考を巡らす。もしかしたらこれは、ものすごく都合の良い言い訳になるんじゃないだろうか。文次郎に会うための。
背中を押したのは、最後の一言だった。

「届けてあげたいんだけど、今から出かけないとだし」

思うより先に口が動いていた。
仙蔵はこれでもかというくらい人の良い笑顔を作って、私が届けます、とランチバックを受け取った。






いつもとは違う景色が流れていく。文次郎の見ている世界に足を踏みいれた気がして、仙蔵の心は躍った。
文次郎の通う共学校は、仙蔵とは全く逆方向に位置している。場所を知らないわけではないが、立ち寄ったら確実に部活には間に合わないだろう。
鞄から携帯を探し当てると、慣れた手つきで電話をかける。相手は先輩、同じ茶道部だ。

「家の用事が出来てしまいました。申し訳ありませんが、今日の部活はお休みをください」

勝手な言い分だと思ったが、普段の生活態度が功を奏したのか、はたまた先輩が緩いだけなのか、いいよーと気の抜けた返事が返ってきただけだった。軽く礼を告げると、相手が通話をきったのを確認してこちらの携帯も閉じる。そして間髪いれずにメール作成。相手はもちろん文次郎だ。
液晶の右端に映った時刻を確認して送信ボタンを押した。



To:文次郎
Sub:ありがたく思え
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昼食を届けてやる
休み時間になったら校門まで走って来い
無論全力で



顔文字どころか句読点すらない素っ気無いメールは、あっさりと彼の元に届いたらしい。一分もしない内に、わかった、と一言だけのメールが仙蔵のフォルダに滑り込んできた。心なしか歩調も軽く、速くなる。




予想よりも早くに着いてしまった。自分の通うそことは違う門構えに息が漏れる。
これが文次郎の通ってる学校。この校門を潜って教室へ行くのか。
女ばかりの自分の学校風景とは違う世界に、もう同じ空間で学ぶことは叶わないんだと改めて自覚した。

文次郎は共学校に通っている。そして文次郎の学校生活を、仙蔵はこれっぽっちも知らない。
きっと教室で笑いあう友の中には女も混じっているんだろう。もしかしたらそこには好いた女がいるのかもしれない。九年間当たり前のようにいた自分のポジションにはもう他の女がいるかもしれない。
考えれば考えるほど醜いドロドロとした感情が湧きあがってきて、胸の奥が苦しくなった。自分の中に巣食うものが汚い感情ばかりで、このところの仙蔵は自己嫌悪ばかりを繰り返している。

校門を潜った先に、ベンチを見つけた。ちょうど日陰にもなっている。十月も過ぎたのに生温い空気が気持ち悪かった。
他校の生徒が勝手に入るものどうかと思ったが、どうせ授業中だしわからないだろう。正当な理由もあるし、と結論付けベンチへと腰を下ろした。

膝の上に置いた鞄から僅かに振動を感じ、マナーモードにしたままだったことに気がついた。急いで携帯を取り出すと通話ボタンを押す。

『どこにいる』
「校門だとメールしただろう」
『裏門じゃないのか』
「アホか。正門だ、いいから早く来い」

可愛げのない台詞を吐いて、勝手に通話を終了。
わざわざ裏門まで行ったのか。文次郎の中で校門といえば裏門なんだろうか。そういえば中学時代は朝錬やら何やらで裏門から入ることが多かった、と思い至る。武道場が何処にあるかなんて知らないが、もしかしたら今でも裏門から校舎に滑り込むのかもしれない。
変わらない部分を見つけた気がしてほっとした。
肩で息をした彼が現れたのは、それからすぐだった。

「悪い」

走って自分のところに来てくれたのが、嬉しくてたまらなかった。目的は自分ではなく弁当だと理解していたつもりだが、それでもすごく暖かい気持ちになったのだ。
これ、とぶっきらぼうにランチバックを差し出すと、助かったと仙蔵の手からそれを引き抜いた。一瞬だけ指と指が触れ合って、体温が上がる。熱を悟られたくなくて俯いた。先に口を開いたのは文次郎の方だった。

「学校じゃないのか」
「安心しろ、振り替え休日だ」

じゃあなんで制服なんだ、と文次郎は怪訝そうにしたので、午後から部活なんだと嘘を吐いた。



時刻は既に十時を回っている。本来なら茶室で抹茶の一つでも点ててる時間だった。
部活をサボったといったら何と言うだろう。怒るだろうか、呆れるだろうか。そうまでして会いたかったと言ったら、少しは喜んでくれるだろうか。
自分に都合のいい想像をして、そんなことあるわけないと頭を振った。

水色の携帯を取り出し、リダイヤルを呼び出す。
一番上には彼の名前があった。時刻は先週の土曜、時刻は午後十一時五十五分。
逆側のボタンを押せば、着信履歴が表示された。名前はリダイヤルと同じで、時刻は数分前を指している。

いつだって電話をかけるのは自分の方だった。電話するだけの理由を一生懸命探して、悩んで悩んで電話するのはいつだって。番号だって自分が聞き出さなかったら、知らないままだったかもしれない。思い焦がれるのは自分だけだ。
文次郎からの着信は初めてだった。
履歴に残ったこの名前は消したくないと切実に願った。






履歴を残す。





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2010/9/6



履歴って保護できませんよね、ってオチ。



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