すべての始まりは、元後輩からの甘い誘い文句だった。



「よかったら、どうぞ。」
と、自分には不釣合いなピンク色の封筒を差し出してきたのは、中学時代の元後輩だった。
裏がありそうなあざとい笑みを浮かべ、「早く受け取ってくださいよー」と唇を尖らせる男は、長次を慕い現在も同じ学び舎、同じ委員会に所属する後輩と瓜二つである。纏う制服と、不破が絶対しないようないかにも意地が悪そうな笑みを浮かべていなければ、うっかり見間違えそうなほどだと思った。

顔だけはそっくりだけれど中身に関しては丸っきり真逆をいくこの男は、天才肌なのに不真面目で、遊び心という名の悪戯が大好き。中学時代は教師陣がさじを投げるほどの問題児で、温厚で真面目を背負う不破とは鏡に映したような対称さだった。
そんな鉢屋の不破への執着は、それはそれは恐ろしいもので、二人で居残って作業に没頭し帰宅が一分でも遅れた日には、噛みつかんばかりの勢いで「こんな遅くなって、うちの雷蔵に何かあったらどうするつもりなんですか!」と罵られたものだった。
(というか、なにかないように自宅まで送って行ったというのに、あの言いようはなんだったのか……そもそも不破は男だろう)

思い出したくないところまで思い出して、なんだかげんなりしてしまう。

目の前の鉢屋が纏うのは、学区内でも選りすぐりの進学校のものだ。
「あいつ、僕と同じ高校選ぶっていうんですよ。」
と、鉢屋の進路を案じていた不破を思い出す。もう二年も前のことだ。

「ちゃんと将来のことを考えて決めて欲しい。」

そう言った不破の願いはきちんと届いていたらしい。なんだかこちらまで安心してしまって、ほっと息を吐くと、何を勘違いしたのか、「私がいないからって、雷蔵に手を出したら承知しませんよ! 八つ裂きにしてやりますからね!」と高らかに宣言され、おもわずため息が零れてしまった。
友情と呼ぶには行き過ぎた愛情過多ぶりも現在進行形らしく、なんとも居心地の悪い心地でいっぱいに広がる。と、言うか。

「……なんだ、これは」

よくわからない宣戦布告を切ってもなお、鉢屋の右手にあるのはとてもかわいらしいピンクの封筒である。それを指さして問えば、鉢屋は本来の目的を思い出したのか、「そうでしたそうでした」と、今度は両手でそれをこちらに差し出してきた。
正直、不審以外の何物でもない。
腕を組んだまま訝しげに眺めていると、更に深く突きつけられてしまった。

「ラブレターじゃないんで安心してください。これは、プレゼントです」

そう言って笑う後輩は、実に裏がありそうな笑みを浮かべていた。
こいつは誰かに罠を張るとき、こういう顔をする。中学時代のえげつない悪戯の数々を思い出して、背筋にぞわっとしたものが走る。
大体あげるといわれても、理由もなくいただくわけにはいかないし、なにより贈り物をされる理由も見つからない。自然と眉根に皺が寄る。難しい顔をしていたのか、鉢屋が、ははっと笑った。

「中在家先輩に恋人ができたと、小耳に挟みましてね。お祝いですよ。雷蔵と、わたしからの」
「………………」
「いやあ、まさかあの中在家先輩とお付き合いされる、勇気ある女性が現れるとは!」
「………………」
「天変地異の前触れかと思いましたよ。おもわ避難袋用意しちゃいました」
「…………お前は本当に祝う気があるのか」

あまりの言われように不機嫌丸出しで睨んでやる。すると鉢屋は「あるに決まってるじゃないですか」と両手を上げて降参のポーズを取った。その表情はやっぱりどこか面白そうにしていて、まったく本当かウソかわからない。やれやれ、と何度目か数えるもの嫌になった溜息を吐いた。

「まあ、戯言はこれくらいにして。どうぞ。受け取ってください。……まさか、雷蔵の厚意を踏みにじったりしませんよねぇ?」

そうして、半ば強引に渡された封筒の中身は、映画の招待券だった。






正直言って、流行の恋愛映画は、長次の好みではない。それでも不破の手前、どこぞに横流しすることもできないし、なによりせっかくの後輩の気持ちを無碍にするわけにもいかない。仕方ない。諦めたように息を吐くと、週末、仕方なしに小平太を誘った。

趣味でないのは小平太も同じようで、始まってから十分も経たないうちに、気だるそうに頬杖をついていた。
確か、好みはド派手なアクション映画だったか。「ドンパチ暴れまわるのが、最高にスカッとする!」と、豪語していたのを思い出す。それでは、さぞかしつまらなかろう。それが証拠に、左側でこくりこくりと、ふさふさとした藍色の髪が舟を漕いでいた。かくん、と等間隔で揺れるそれが、なんとも危なっかしい。

このままだと、前に突っ込みそうだな。

小さく息を吐くと、そうっと背中側から左手を伸ばし、思いの外細い肩を引き寄せた。

「……ちょ、」

控えめだけれど、焦ったような声が小平太から漏れる。静止を求めるその声に蓋をするように、開きかけたくちびるに人差し指を押し当ててやる。

「静かに」

耳元でそう咎めれば、小平太は観念したように唇を噤んだ。そのまま、小さな頭を引き寄せて、己の肩に乗せてやる。寝てもいいぞ。という意味をこめて、母親が赤子にしてやるように、ぽんぽんと手のひらで撫ぜると、こちらの意図を汲み取ったらしく、心地よい重みが左側にかかった。

恋とは不思議なもので、人付き合いが不得手な自分が女の子とこんな風に週末を過ごす日が来るとは、ましてやこんな風に自分から腕の中に招き入れる日が来るとは思いもしなかった。
変えてくれたのは腕の中におさまるこの子で、どちらかといえば保守的で、人を遠ざけるほうが楽だった自分を変えてくれた存在を、心の底から愛しいと思った。

時折首にかかる息が、こそばゆい。懐に抱き込んだ小平太が気になって、映画の台詞も内容も、見事なほどに右から左に流れる。ちっとも心に残りそうもなかった。けれど、こんな時間もいいかもしれない。チケットを贈ってくれた後輩には申し訳ないけれど、ぼうっと、ただ寄り添っているだけでも、十分に心地いい。そんな気持ちでいっぱいになった頃合だった。

それまでのまったりとした流れから一変。スクリーンがさあっと肌色に染まり、大写しにされる濃厚なベッドシーンに、急速冷凍にかけられた魚のごとく、一気に固まってしまった。自分と同じく、小平太の肩がびくりと揺れる。大袈裟なくらい跳ねた様子が触れた腕越しに伝わり、背中に嫌な汗が滲む。居心地の悪さに、胃のあたりが重くなった。

謀られた。にやにやと厭らしく笑う贈り主が、脳裏に浮かぶ。
不破は、大雑把が服を着て歩いているようなやつだけれど、長次の好みを汲むのは、びっくりするほどうまかった。それが証拠に、「これ、おすすめですよ。」と薦められた本にハズレがあったことは、一度としてない。
そもそも最初から怪しかった。いっそ気持ち悪いほどに、こちらの好みを熟知している不破が、恋愛映画をチョイスしたこと自体なんだか腑に落ちなかったのだ。それでもよく知らない「彼女」という存在に、好みを合わせてきたのかと、無理やり納得したつもりだった。けれど、そもそも不破は小平太のことを知ってるじゃないか。これは絶対に、不破じゃない。

やられた、完全に謀られた。
事態を把握して、今度は怒りが込み上げてくる。

鉢屋、ころす。鉢屋、ころす。鉢屋、ころす。

策士鉢屋の策略に見事なほど嵌った長次は、映画がエンディングを迎え世界が明るくなるまで、ひたすら脳内で物騒な言葉を唱え続けた。







策士鉢屋の策略と、チケットを巡る攻防








****************
2012/10/13〜2013/09/27
拍手文



鉢屋の安否がとても心配です。




back