長次との再会は本当に偶然だった。
それは、高校生から大学生に。一変した生活の中で出来た新たな友達に誘われて行った飲み会でのことだった。
飲み会なんて名ばかりで、蓋を開ければ中身はただの合コンだったそれに心底うんざりした顔が隠せなかった。それでも元手は取ってやろうと躍起になって酒や食事に手を伸ばす。気がつけば知らない男が隣にいてひっきりなし向けられる会話や視線に居心地が悪くなった。

うっざいなぁ。

許されるならば、胸倉を掴んで右ストレートを一発食らわせてやりたいところだったけれど、周りがいい気分で飲んでるところに水をさすほど空気が読めないわけではない。我慢我慢、と自分に必死で言い聞かせた。
最初に乾杯をした時は長テーブル二つ分、十二人くらいはいたはずなのに自分の周りにいるのはせいぜい五人ほどだった。他の面子はどこに言ったんだろうと、視線を彷徨わせる。テーブルの真ん中くらいで三人くらいが団子になっているのが見えた。更に視線を移動させればテーブルの端でぼうっとしているでかい図体を捕らえて目が離せなくなった。
一年ほど前、一度見たきりの彼がそこにいた。名前は思い出せないけれど、妙に印象深かったから覚えている。それは、留三郎の友達にしてはタイプが違いすぎたからか、はたまた女子にしては伸びすぎた自分の身長を珍しく越していたからなのかは定かではないけれど。一度しか会っていないし、向こうは小平太の事なんて覚えていないかもしれない。それでも引き寄せられるように視線が外せなかった。
自分のグラスを引っつかむと、ごめん、と断って席を離れる。つかつかと大股で、男の傍まで歩み寄った。

「なぁ。お前、留三郎の友達じゃないか?」

しばらく待っても返答がこない。勢いよく顔が上がったのに、その口は閉ざされたままだった。人違いをしたんだろうか。もう一度聞き返せば、今度は肯定の言葉が返ってきて、自然と頬が緩んだ。
そのまま横に座り込む。たった一度、しかもほんの数分しか会った事のなかった彼の隣は何故か酷く安心した。


一次会で帰ると言った長次の腕を引っつかんで、一緒に帰途に着いたのは、しつこい男につけ入る隙を与えないためだった。横に男を置いておけばいい男避けになるとは、誰の入れ知恵だったか。そんな事は忘れてしまったし、聞いたときも、ふーん、なんて適当に流してしまったけれど、今はそれに感謝する。
すっかり盾扱いの長次もそれに気がついてるのかいないのか。いいのか?と控えめな問いかけに。

「あいつ、ベタベタ触ってくるから嫌いなんだ」

と、思っていることをそのまま口にすれば、長次は困ったような複雑な表情をした。この話はそんなにしたくない。適当に会話を別方向に向けて駅まで向かった。
少しだけ見上げる高さにある長次の頭になんだか不思議な気分になった。バレーをやっていて背が高いに越した事はない。実際それでよかったし、コンプレックスを持った事だってなかった。殆どの男は同じ目線か、へたしたら低いことだってあったけれど、いま横にいる男は確実に自分より高い。一年前は少し上くらいだったはずの差が広がっているように感じて、長次の隣は心地いいと思うのに何故かむず痒かった。





外語学部の長次とは講義棟が近かった。だから、また会えるかも、と言ったのは本心だったけれど、その機会がここまで早くやってくるとは予想外だった。
先週まで通いつめていた学食から少し離れた場所にあるカフェテリアまで足を伸ばしてみたのは、学食メニュー全制覇というちょっと子供じみた目標半分と、もう半分は外語学部の講義棟が近くにあったからだった。すれ違ったら面白い程度の気持ちで向かったカフェは、白と開放的な大きな窓が明るい陽をめいっぱい取り込んでいて、明るい雰囲気に包まれたそこはいるだけで自然と心が安らぐように感じる。
なんとなく目に付いたオムライスをトレーに乗せて、座る席を探してきょろきょろと頭を動かした。お昼時という事もあって賑わっているけれど、周りよりも頭一個くらいは高いので障害物はないに等しい。背が高いって、こういう時には非常に便利だ。

「あれ?」

窓際の二人掛けのテーブルに昨日会ったばかりの人物を捕らえた。昨日の今日でまさか、と瞬きを何度か繰り返す。けれど、視線の先にいる姿は間違いなく長次だった。
昨日の調子で長次に話しかけると、最初はビックリした様子だったものの、次第に昨夜のような気安さになっていく。共通の友人がいるせいか、長次との時間は楽しかった。卵のとろとろ加減もケチャップライスも絶妙な美味しさだった。それを口に運びながら、ここ、いいなぁ。と笑った。
料理も開放的な空気も気に入った。けれどそれ以上に、ここに長次がいると思ったらほっこりした温かい気持ちになるのだから不思議だった。同じ学部ならもっと一緒に入れるのになぁ。
席取っといて。ダメもとで言ったお願いはあっさりと通って、少し拍子抜けした。



そうして一日の中で、お昼の一時間は待ち遠しい時間へと変わった。それは幼い頃待ちわびていた三時のおやつの時間に少し似ていたと思う。
傍から見たら長次は無口で無愛想で取っ付き難そうだったけれど、話してみたら意外とすごくいい奴だった。長次は同じ大学にいることが不思議に感じるくらい博識だったが、それを鼻に掛ける事も、ひけらかす事も、気取る事も無く、一緒に過ごす時間は楽しくてたまらないとさえ思った。それは時間が過ぎるのが早いと感じる程で。
もっともっと、一緒にいたい。ああ、最高の友人だと。


カフェを出たところで、また明日、と別れるのが日常となっていた。
ランチタイムの一時間は案外短い。次の授業は四限目だからそれまでどこで時間を潰そう。そんな事を考えながら歩き出す。一歩、二歩、三歩。考え事をしながら歩いたのが悪かったのか、硬い出っ張りに足をとられてそのままバランスを失ってしまった。咄嗟に手が出たおかげで顔面激突は免れたけれど、石の硬い感触に骨がじんじんと痛む。
おまけにバックを丸ごと投げ出していたらしい。大丈夫か?と心配そうに声をかけてきた長次が散らばった教科書やらノートやら拾い上げていた。

立ち上がると、服についた砂をはらう。向き直った先、大事な大事な写真が長次の手の中にあるのを見て、心臓が止まるかと思った。ひゅっと喉が鳴る。
あれは、あれだけは見られたくない!触られたくもない!

「…それはだめだっ!」

中に映る大切なあの子が穢されてしまう気がして、乱暴に掴んでそれを自分の元へと戻した。
強引に掴んだせいで少し歪んだ写真の中で、彼女の笑顔は変わっていなかった。当然だけれど、緩く優しい微笑みはまるで変化は無かった。







写真の中の少女と小平太が知り合ったのは、三年前。高校生になったばかりの十五歳の春だった。
同じクラスでたまたま席が近かった少女は、亜麻栗色の髪の毛と同じようにふわりとした笑みを浮かべて、よろしくね、と差し出した手を握り返してくれた。
善法寺伊作です、と。
伊作は中学までの十五年という短い人生経験の中でのみの話だったけれど、今まで付き合ったことの無いタイプの女の子だった。ドジで何をやっても何かしらの問題や失敗を持ち込むし、要領だって悪い。目が離せなくてはらはらした事は幾度もあったけれど、人好きのする笑みを浮かべる彼女はどこか憎めなかった。

当たり前のように隣にいる彼女に今まで感じたこと無い気持ちが湧いてきたのは何時頃からだったか。常に傍に居て欲しい。横に置いて守ってやりたい。誰のものにもなって欲しくない。自己満足にも似た擁護欲は日に日に大きくなっていった。
こんなのは友人に抱く感情ではない。同性に抱く感情じゃない。大体その気なんて全く無かったはずなのに、なんで?
疑問は浮かべど解決策も答えも当然見つからなかった。ただ、決定打はあった。

いつも通りの昼休みだった。

『告白、されちゃった』

頬を朱に染めた伊作が告げた一言は、鋭く尖ったナイフなんて比べ物にならないくらいの殺傷能力をもって小平太へと突き刺さった。実際にひらいてない傷口からドロドロしたものが溢れ混ぜっかえって押し寄せる。それはまるで膿のようだと思った。

そんな話をしたのは後にも先にもそれ一回きりだったけれど、あの時の焼けるような思いは今でも忘れはしない。目の前が真っ赤になって酷く苛々した。伊作が自分の元から離れるのがどうしても許せなかった。
そんなの絶対いやだ、ずっと横で笑っていて。誰のものにもならないでくれ。
真っ黒な醜い気持ちに押しつぶそうになりながら、はっきりと自覚した。友情の枠なんかととうの昔に超えて、すごく、ものすごく伊作が好きなんだと。

形作り始めた気持ちをどう扱っていいのかもわからず、かといって誰に相談できるわけも無かった。苦しかった。なにより、伊作本人には絶対に知られたくない。知られたら終わりだからだ。友達としてだって付き合ってもらえないかもしれない。それだけは、それだけは絶対に嫌だった。
だからこのことは一生口にしないで、墓まで持っていくつもりでいた。







でも、それを今、口にした。
長次にはありのままの自分を見て欲しいと思ったのが半分、もう半分は自分でも気持ちが抱えきれなくなったからだった。
幼馴染でさえ頼った事なんて無かったけれど、長次になら寄り掛かってもいいかと感じた。彼の隣は酷く安心したのだ。心地よくてたまらなかったのだ。

写真から長次へと視線を移す。
双眸が捉えた彼の表情は平素のそれと大差が無いように見えるけれど、内心はどう思っているんだろう。
小平太が抱いてる感情が普通でないことは分かっている。世間一般では到底理解しがたいものだと言う事も、嫌悪を向ける人が多い事もよく分かっている。けれど、胸の奥に宿る気持ちは確かに本物だった。

小平太は、長次の様に頭がいいわけでもなければ、留三郎のように気配り上手なわけでもない。それでも特別他人の心の動きに鈍感なわけじゃなかった。
なのに今は表情から感情を汲み取る事が出来なくて。長次が何を思っているのか、自分をどう思っているのか、皆目見当もつかない。

長次には嫌われたくない、幻滅されたくない。でも、本当の自分は知っていて欲しい。偽りたくなんて無い。嘘の自分のまま長次といたくない。
対峙する心理は恐ろしいほどに真逆だった。

「……そうか」

長次から発せられたのは、肯定でも否定でもない言葉だった。

「気持ち悪くないか?」
「恋愛は、個人の自由だろう」

きっぱりと言い切った長次からは嫌悪感なんて微塵も感じられなくて心底安堵する。
やっぱり長次は気持ちのいい奴だった。

「初めて人に話したよ」

長次だけには知っていて欲しかったんだ、とらしくもないぶきっちょうな笑い顔に、長次は嬉しいような困ったような複雑な表情を浮かべていた。












特等席きみのトナリ







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2010/10/21




title:確かに恋だった




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