カーテンから射す淡い光がいつもと違う事に違和感を覚えながら重い瞼を持ち上げた。
自分を包む布団の重みもいつもと違う。匂いだって違う。色だって違う。夢の世界から現実へと徐々に意識を戻しながら、見慣れない風景に何度か瞬きを繰り返した。

体の節々がばきばきと音を立てているし、喉の奥は焼けたようにひりひりと痛みを訴えている。
何も出来ずに知らない天井を見つめながら、ああ、ここは長次の家か、と再び瞼を閉じた。刹那、駆け巡ったのは昨日の伊作とのやり取りだった。

伊作と留三郎が、恋人同士になった。

その事実に耐えれなくて長次に縋った。情けない顔をして、ガキみたいにわんわんと喚いた。それも一晩中だ。迷惑極まりない行為に付き合ってくれた長次はなんて優しくてお人好しなんだろう。
明け方前の薄暗い景色までは何とか記憶にあるので、寝入ってしまったのはその後か。
意識してみれば小平太は広いベットの上にいて、長次の寝床を奪った事に直ぐ気が付いた。
軋む体を起こして辺りを見渡せば、部屋の隅で雑魚寝をしている長次が飛び込んできてぎょっとする。申し訳程度にタオルケットがかかっているけれど、朝の空気はまだ冷たいし床は固い。ソファも無いこの部屋ではそれしか方法が無かったんだろうけど、家主を差し置いてベットを占領した事に申し訳なさがこみ上げてきた。

長次は何限目からだっけ?

のそのそとベットから降りながらそんな事を考える。日の光はまだ弱い。もしかしたらまだ寝れるかもしれない。
己の腕を枕に穏やかな寝息を立てている長次の体を揺すった。

「…ちょーじ、ねるならベット……」

少しでもふかふかのベットで睡眠をとって欲しいのに、すっかり寝入ってる長次は一向に覚醒しない。がらがらの喉と朝の微睡みで、ちょーじ、と呼ぶ声も弱く舌っ足らずで実に聞き取りにくだろう。それでも諦めきれずに肩を揺すると、んーだかうーだかわからない声を上げて長次は寝返りをうった。腕を広げて仰向けになった長次の顔は天井に向けられている。それは普段の大人っぽさが全く感じられず、少し幼くて可愛いかもしれないと思った。

他人の寝顔や穏やかな寝息は、それだけで安眠作用があるように感じる。ろくに睡眠の取れていない頭はぼんやりとしていて、広がった長次の腕は酷く寝心地がよさそうに感じた。

本当に何も考えずに、引き込まれるように長次の傍に身を寄せる。床は固くてやっぱり背中が痛かった。
勝手に他人の腕を枕にするのはさすがに良心が痛んだのでギリギリで回避した。胸元に顔を寄せれば暖かいお日様の香りと石鹸に混じってほんの少し汗の匂いが鼻を擽る。自分とは違う男くさい匂いだけれど、嫌な感じは全くしなかった。
近くに感じる長次の体温や匂いは柔らかく小平太を包み、安心感を与えられる。ゆっくりと溶けるようにそのまま眠りへと落ちていった。










二度目の覚醒は背中の痛みによってもたらされた。
背中だけじゃない。関節までみしみしと音を立ててるみたいで、痛みとだるさに顔を顰めつつ瞼を持ち上げる。寝起きの視界はピンボケ写真のように揺らいでいて何がなんだか分からなかった。何度か瞬きを繰り返せば徐々に焦点が合っていく。そうして見据えた先には、顔を真っ赤にした長次がいた。既に起きていたらしい。

「……おはよ…」
「…っな、なんで」
「……ああ、ちょーじのよこ、きもちよさそうだったから」

寝ぼけ眼を何度か擦って、自分の置かれた状況を確認する。
恐ろしいまでの至近距離に長次の顔があった。距離して十センチくらいだろうか。頭の下に違和感を感じて背中側に振り返ってみれば、長次の節ばった指がすうっと伸びていた。頭の下にあるのは長次の腕だった。
いつの間にか枕代わりにしていたみたいで、それで目覚めたのに寝たときそのままの体勢でいたのかと合点がいった。自分はといえば服まで掴んで、長次を抱き枕代わりにしていたらしい。手を離せ、と言われてそれに気が付いた。無意識って恐ろしい。

「…ごめん、いま、なんじ…?」

ふわぁと大きな欠伸と一つ。あやふやだった脳みそが動き出して、徐々に意識を鮮明にしていった。
長次はベットの脇に置かれた時計を見て、十一時、と短く答えた。

「きょう、じゅぎょう…ないっけ?」
「…もう終わってるからいい」

その言葉に冷や水を浴びせられたように背中が冷える。一気に目が覚めた。バッチリきっちりさっぱり目が覚めた。
終わってる?終わってるって言った?自分のせいでサボらせてしまった!?

「ご、ごめんっ!」
「一回休んだからって、どうって事ない」

必修じゃない、と言っても、長次の意思とは別に自主休講させた事実は変わらない。誠心誠意謝れば、そんな事より横に潜り込んだ方を気にしろ、とぶっきらぼうに言われた。
え、それってなんかまずかったか?








「顔、洗って来い」

そう言って案内された洗面台で対面した自分の顔は、想像以上に酷いものだった。
泣きすぎで瞼は腫れてるし、目だって酷く充血している。目の下には隈まで出来ていた。漫画かドラマでしか見たことの無いような惨劇に心底げんなりする。
冷たい水を何度と無く浴びせてもそれは全く変わらなくて、どうやって家に帰ればいいんだろう、とそれだけを考えていた。

洗面所から室内に戻れば長次に温かい蒸しタオルを渡された。

「当てたら少しはよくなると思う」

そう言う長次は優しすぎて、それが嬉しくて、でもほんの少し、心の奥がちくりと痛む。
ありがとう、といって瞼に当てたそれはほっこりとした温もりを持っていて、ちょっとづつだけどドロドロの体も心も溶かしてくれるようだった。

長次はそのままキッチンに引っ込んで、何か食べるものを用意するから、と作業を開始した。
そういえば、昨日の昼から何にも食べていない。

不意にマナーモードにしたままの携帯のバイブ音が鳴った。目視で確認できた長次の携帯は揺れていない。
自分の方かと慌ててディスプレイを開けば「留三郎」の文字が浮かんでいた。昨日の出来事を思い出して、胸糞が悪くなる。引っ込み始めていた真っ黒な気持ちがまたしても頭を擡げてきて、反抗期の中学生のようにベットに携帯を投げて突っ伏した。
たくさん泣いたけれど、留三郎にはまだ会いたくないし、名前すら見たくない。全然気持ちの整理なんて付いてなくて、路地裏で迷子になってしまった幼子の気分だった。

長い間続いていた振動が止んだのに気が付いて、再び液晶を覗き込んだ。そこには不在着信とメール受信を知らせる表示があって。ボタンを押して確認すると、着信履歴の一番上は留三郎、その下には一時間おきに伊作からの不在着信が何件も連なっていた。メールも伊作からで「小平太の家から連絡があったんだけど」から始まって、「まだ帰ってないの?」「どこにいるの?」「どうして家に帰ってないの?なにしてるの?」と、心配しているのが端々から見て取れる文面が、何通にも渡って連なっていた。いつもは飾り立てられている本文の装飾は全く無く、件名だって無題のままだ。相当心配をかけてしまったらしい。
日付変更線辺りで受信したメールには、「僕の家にいるってことにしたから」と打たれていて、両親に無断外泊がばれていない事に少しホッとした。文面の最後に「落ち着いたら連絡してね」と控えめに添えられている。等間隔の着信とメールは、伊作が寝ないで小平太の身を案じていたと言う証拠のような気がして、不謹慎にも沈みこんでいた気持ちがちょっぴり浮上した。

伊作にだけは、連絡しとこう。

一睡も取っていないだろう彼女に、少しでも安心を与えたくて、通話ボタンを押す。
しかし、ワンコールで繋がった電話口から聞こえた声は、可愛らしい彼女のものではなかった。

『…てめっ!どこに居やがんだ!』

留三郎だった。
一番聞きたくない声に苛立ちを覚え、思わず電源ボタンを押したくなる衝動を必死に耐える。いいから伊作に代わって、と低い声で唸れば、いま少し寝てる、と控えめな声で返された。

昨夜、小平太と別れた伊作はその足でそのままバイト上がりの留三郎と会ったらしい。そこでファミレスでのやり取りを話ながら、偶然ってすごいね、と笑いあってる時だった。伊作の下に、まだ小平太が帰ってこない、と連絡が入ったのだ。繋がらない電話に返ってこないメール。半泣きの伊作をそのままにしておけず、一人暮らしをしている彼女の家で一睡もせずに小平太からの連絡をずっと待っていたらしい。
俺だって死ぬほど心配したんだ、と怒鳴られた。
過去に無断外泊なんてした事はなかったから、その言葉に嘘は無いんだろうけど、今の小平太にとって留三郎は起爆剤以外の何物でもなかった。

『で、どこにいんだよ。不良娘』
「……いいたく、ない」
『言え。いいから言え。迎えに行くから言うんだ!』
「い、や、だ!」

それだけ吐き捨てて通話を強制終了させる。ボタンを押す前にかすかに漏れた留三郎の声は酷く焦ったものだったけれどそんな事どうでもいい。
プッツリ切れた携帯を再び投げた。

キッチンで食事の用意をしていたはずの長次が、おもむろに携帯を手に取っているのを目の端で捕らえて、ひゅっと息を呑む。まさか。
小平太とは違い、何コールか置いて繋がったらしい相手に、長次が低く答えた。

「小平太なら、うちにいるから心配ない」
「長次!」
「…駅前で偶然会って、二人のお祝いを一緒にしたんだ。…ああ、大丈夫。何もないから安心しろ」

長次は最後に、心配させて申し訳なかった、と簡単に付け加えて、あっけなく通話を終了させた。
聞かなくても、電話口の向こうにいた相手の予想なんて簡単に出来た。

「…なんで言うんだよ!」
「善法寺には知らせたかったんだろう?」

その言葉に、喉元まで出掛かっていた罵声はぎゅうっと引っ込んでしまった。
長次は心を見透かしているみたいだった。小平太の行動を先読みして気持ちも汲んだ上で、色々手を差し伸べてくれる。すごく大人だった。









特等席きみのトナリ







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2010/10/23




title:確かに恋だった




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