幼馴染から長次のもとへ、久しぶりの連絡が来たのは、つつましく朝食をいただいてる時だった。

『お前のお母上から言伝と、渡すものを預かってきた』

それは拒否権を与えない言い草だった。俺様な奴には何を言っても無駄だろうと諦め気味で、昼前か夜しかあいてない、と告げる。詰め込めるだけ授業を詰め込んでいたから、本日の空きコマはニ限目と五限目のみだった。正直、夜にしてもらった方が色々都合がいいと思っていたのに、そんな考えはお見通しだったのか、ただ単に大学に興味があったのか。多分後者の理由が大半を占めているんだと思う。仙蔵は、じゃあ今からいくから適当なところで待っていろ、と命令形で言い残して、一方的に電話を切ってしまった。相変わらず勝手な奴だ。
そうして久々に会った幼馴染は、やっぱり相変わらずだった。

幼馴染の仙蔵は梨園の家系で、高校を卒業した後はその道一本を貫いている立派な役者だった。女形、というのが関係しているのかしてないのか、相変わらずな性別不詳っぷりには溜息が零れる。それでもきちんと見ればそこそこ肩幅はあるし、胸だって当然ない立派な男だけれど、やはりぱっと見は判別が付きにくい。おまけに顔だけは憎たらしいほどにいいときている。

言伝は「たまには帰ってきなさい」というありきたりなもので、預かり物は自家製のなますだった。前回の浅漬けは宅配で送られてきたけれど、陽も高くなって痛みやすいから今回は手渡しにしたらしい。
(…というか、まだ授業あるんだが。どうするんだ、これ)
アパートまでそう距離があるわけでもないので、それは授業前に一回帰ることで解決した。
落ち合ったカフェのグラスを空にして向かったアパートまでの道すがら、話題にあがったのは互いの近況で。お前は愛想がないから心配でたまらないよ、と演技がかって訴える仙蔵には、余計なお世話だ、と返した。
小平太とのことだけは話さなかった。

長次が恋人という立場に昇格してから、すでに一週間が経っていた。
本来なら、気持ちを告げる気など毛頭なかった。これから先も彼女の横に入れるのなら、友達でもかまわないと思っていた。なのにあの日、泣いている彼女を背後から抱きしめてあまつさえ付き合おう、といってしまったのは衝動的なもので、それは理性というよりかはむしろ本能からといってしまった方が近い。
もう傷ついて欲しくない。泣いて欲しくない。守ってやりたい。そう思ったからだ。

あれから一週間、立場は変われど態度は変えられないまま、時間だけが過ぎてしまった。
小平太の弱みに付け込むように頷かせてしまった後ろめたさから、彼女をどう扱っていいのかさっぱりわからなかった。拒否しなかったのだからといいように解釈して欲求をぶつけたいと思ったこともあったけれど、それが出来なかったのは本心を知ってるからに他ならない。小平太の中には友達以上の感情はない。それを承知した上で恋人として接するなんて器用な真似が出来るほど、女に慣れてもいなければ経験があるわけでもなかった。
正直、煮詰まっていた。恋愛の手ほどきは留三郎よりもここにいる幼馴染の方が適役なのはわかっているけれど、この件に関しては出来れば仙蔵の耳には入れたくない。少々後ろめたいのが半分、もう半分は仙蔵の悪辣な性格のせいだった。仙蔵にばれたら最後、一生揶揄されて過ごすくらいの覚悟が必要だ。そのくらい仙蔵の性根は曲がっている。

携帯を開いて時間を確認すると、十二時は直ぐそこまで迫っていた。
お昼のランチタイムは小平太と過ごせる貴重な時間だ。どこまで踏み込んでいいのかわからず、電話もメールも出来ないでいたけれど、お昼のあの時間だけは確実に一緒に過ごせる時間だった。だからそれだけは無駄にしたくない。
横を歩く仙蔵も時間に気が付いたらしい。なぁ、と言葉を投げてきた。

「せっかくだから一緒に昼飯」
「断る」

仙蔵が最後まで言い終わらないうちに、反射的に突っぱねてしまった。しまった、と思ったときにはすでに遅かった。恐る恐る横目で様子を伺えば、おとぎ話に出てくるチェシャ猫を思わせる笑みを浮かべた仙蔵がいて。何を隠してる?と問いただす声色は、幼馴染を心配するものではなく悪巧みをする子供のようで背筋が凍る。そこからは仙蔵の尋問タイムが始まり、某落ちゲーの大連鎖並みのスピードでズルズルばれていく羽目になった。
…死にたい。

「お前が惚れた女か、興味あるな」

小平太の事を吐露した直後に、仙蔵がそう言い放った。その目は水を得た魚のように嬉々としていて背筋がぞわりと粟立つ。
女のようななりをしているが、これで仙蔵は女に不自由したことがない。芸術品を切り取ったかのような整った容姿のせいか、完璧なまでのフェミニストっぷりのせいか、そんな事は皆目見当もつかないけれど、こいつがこういう目をしたときは非常に危険だ。なんせ狙った獲物は逃さない。興味を惹かれれば二兎でも三兎でも追いかけてきっちりしとめてくる。
長年の付き合いで色々わかっているだけに、絶対小平太とは会わせたくなかった。

いつまでもからかう仙蔵に、いいから帰れ、と怒鳴って一人で再びカフェに向かったけれど、いつまで待っても小平太は来なかった。
まさか何かあったんだろうか。以前転んだ姿を思い出して、一気に体温が下がった。あの時はなんでもないといった風に笑っていたけれど、本当はどこか悪かったりするんじゃないか。どこかで倒れたとか…。一度出てしまった悪い予感は消えることなくどんどんと濃くなっていく。
携帯のアドレス帳から「七松」を呼び出して、煌々と光を放つ液晶を見つめる。通話ボタンを一回押すだけで繋がるのに、それをするのに酷く勇気がいりそうだった。時間切れで暗くなった液晶に、埒があかないと一生分の勇気を振り絞って通話ボタンを押した。









小平太と音信不通になってからすでに一週間経っていた。
何回送信しても戻ってきてしまうメールに溜息が零れる。それは勇気を出してかけた電話も同じで、電話口から聞こえるのは機械的な音声のみだった。繋がる気配は一向に見えない。心だけでなく携帯さえも一方通行になってしまった事実に酷く打ちのめされた。


目を閉じて小平太との最後の会話を思い出す。それは顔の見えない電話でのやり取りだった。
授業に出ていたかと聞かれ、咄嗟に嘘をついてしまった。別に後ろ暗い事があるわけじゃない。けれどつい言ってしまったのだ。まさか小平太に見られていたとは、露ほども思っていなかったから、見てた、と言われた時は言葉に詰まってしまった。
別に話したって良かったんだ。そうすればこんなに拗れることもなかった。でもそれをしたくなかったのは他でもない自分の独占欲からだった。
仙蔵の話をすれば、会ってみたいと言うかもしれない。仙蔵と小平太を引き合わせることになるかもしれない。それが恐怖だった。

その結果がこれである。もう溜息しか出なかった。
情けない、本当に情けない。

わかりやすいくらいの避けられっぷりに、とうとう留三郎にまで心配されてしまった。それは長次の心配というよりかは、小平太のことを思ってという意味合いが強かったと思う。うちの子に何さらしたボケ、とかいう吹き出しが似合いそうな形相の留三郎に詰め寄られた時は肝が冷えた。さすがに身近すぎる留三郎には話せなくて、大丈夫、とだけ返しておいたが、それもいつまで通用するかはわからない。早く何とかしなければ。

小平太が見たといった人物は紛れもなく仙蔵なんだろう。あの時、店内には小平太はいなかったと思う。外からガラス越しに見たんだろうというのも簡単に予想はついた。
ただ、着火点がいまいちわからない。嘘を吐いた事が引き金になったんだろうけど、逆鱗に触れるほどだったんだろうか。それとも仙蔵といた事を黙っていたからか。例えば仙蔵を女とでも思ったのか。
そこまで考えてはっとする。自分に都合のいい考えに途端に恥ずかしくなった。
なに考えてるんだ。そんなわけあるか。小平太が想いを寄せる相手も、未だに思い続けていることも、全部知っている。恋愛対象が女である以上、男である自分がそこに入り込む隙も余地もあるわけない。だから過剰な期待はするな。
とにかく何とかして話し合いの場を作って、誤解を解かなくては。
時計の針はもうすぐ午後八時。まだ迷惑にならない時間だ。大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、携帯を握りなおす。
頼むから出てくれと、最後の願いをかけて、長次は発信ボタンを押した。





コール音が一回、二回、三回。
普段なら間髪いれずに流れる電子メッセージが聞こえないことに胸を撫で下ろす。たっぷり十三コールを置いた後、もしもし、と控えめな声が受話口から漏れた。久しぶりに聞いた小平太の声は普段の調子と違っていて、それに触発されてこちらの声まで震えそうだった。
小平太に聞こえないように、携帯を少し離してからニ度三度深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。

「今、大丈夫か?」
『うん、私も長次に話したい事、いっぱいあるんだ』

小平太は外にいるらしく、言葉の裏側にコツコツと冷たい足音が響いている。
それまでの過程もあったし、突っぱねられる事を覚悟していたのに、至極あっさりと返されて拍子抜けしてしまった。呆気に取られて言葉を失っていると小平太から、いま家に居るか、と聞かれ、喉元で突っかかったままの声を何とか絞り出して、ああ、と短く答えた。

『じゃあすぐ行くから待ってて』

その一言だけを残して、通話はあっさりと途切れてしまった。
静かになった携帯を閉じて、ベットの脇、指定席のように置かれた時計の針を見る。針がさす時刻は八時を過ぎたところだった。
今からって、どこからここに来るつもりなのか。電話の向こうから漏れた音の感じから自宅ではないのはわかったけれど、どこにいるのか、小平太の現在地が全くわからないので到着時刻の逆算すら出来ない。
お茶くらいは用意しとこうと、キッチンに向かいやかんを火にかける。それとほぼ同時くらいに、ぴんぽーんと古びたチャイムは調子外れの間抜けな音を響かせた。






特等席きみのトナリ







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2010/10/30




title:確かに恋だった




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