◎室町です ◎竹孫です ◎笹豆腐風味です ◎でも竹孫と言い張ります ◎(珍しく)せつなめです
開けっ放しの茶色い引き戸から見えた光景に、僕はただただ、信じられない、と思った。
焼けたガラス玉のような紅い夕焼けをバックにして、竹谷先輩はその人を抱きしめていた。先輩よりも、ほんの数センチだけ低いその影は、縋るように竹谷先輩の胸に顔を埋めている。傍から見たらまるで恋人同士のような二人に、僕は足元から崩れるような感覚を味わった。
竹谷先輩の腕の中にすっぽりと納まったあの人。あの後姿、あの黒髪には、見覚えがあった。先輩の同級生で、豆腐に並々ならぬ執着を抱いている変わった人で、優等生だと評されている人だ。実際に五年生でありながらも、六年生の課題をこなしたこともあるくらいの実力者で、そして、公私共に竹谷先輩と仲のいい人。あれは…。
「…久々知、せんぱ、い……」
搾り出すようにつむいだ名前は、震えてしまって途切れ途切れだった。
竹谷先輩の骨ばった大きな手が、艶やかな黒髪を撫でている。別の手でぽんぽんと、愚図る赤ちゃんをあやすように、先輩の手は何度も何度も久々知先輩の背を叩いていた。 乾いた双眸に映る二人は、まさしく恋人同士のそれだ。いや、恋人同士に見える、と言うべきか。僕の記憶が確かならば、竹谷先輩と恋人同士にあったのは僕で、あそこにいる久々知先輩ではないのだ。
「好きだ」 と、思いの丈を告げてきたのは、竹谷先輩からだった。それはほんの三ヶ月ほど前の出来事で、正直に言ってしまえば、その言葉を素直に信じることはすぐになんて出来なかった。
だって、あの竹谷先輩だ。豪快で、多少、いや、かなり自分には頓着しない人だけれど、先輩後輩問わず好かれる人。友達だって多い。生物委員会でだって、あっという間に後輩と打ち解けて笑っていた人だった。委員会と言う共通点でもなければ一生話すこともなかったんじゃないかと思うくらい、僕とは百八十度タイプの違う人で、竹谷先輩は密かに僕の憧れだった。
僕は、ジュンコと毒虫たちさえいれば、それで幸せだった。それだけで十分だと思っていたのに、そんな僕の価値観をあっさりと覆したのが竹谷先輩だった。クラスだけじゃなく、委員会ですら浮いた存在だった僕の手を引いてくれた竹谷先輩。「一緒に行こう!」と笑いかけてくれた。僕のことも、ジュンコも、怖がらないでくれた。他の子達と同じように、僕に接してくれた。それだけでも十分なくらいだったのに、「お前を、懸想してるんだ」なんて告げられたら、僕はもうどうしていいのかわからなかった。
「何かの罰ゲームですか?からかわないでくださいよ」
動揺を滲ませないように、僕は先輩の告白をバッサリと切り捨てた。だって、冗談としか思えなかったのだ。学年問わず「毒虫野郎」となにかと煙たがられる僕を、あの竹谷先輩が好いてくれてるなんて、どうしたら本気に出来ようか。たとえ本人の口から聞いたって、僕の耳には新手の冗談か何かにしか聞こえなかった。
「ふざけてねぇって!俺、本気だって!」 「はいはい、本気の冗談ですね」 「ちげぇよ!」
言葉のボキャブラリーが少ないのか、竹谷先輩はいつだって、「好きだ、付き合ってくれ」とストレートに言葉をぶつけてきた。それを僕があっさりと流す。こんなやり取りを、一週間近く続けていたと思う。全く相手にしようとしない僕に、さすがの竹谷先輩も焦れたみたいで、突然抱きしめられたのだ。先輩の手が僕の肩を掴み、そして抗う間もなく、僕は先輩の胸にすっぽりと収まってしまった。ぎゅうっと抱きこめられて、少し痛んだ制服越しに、先輩の体温と心音を感じる。大きな掌に背やら髪やらを撫ぜられ、耳元に吹き込むように、何度も何度も好きだと言われた。
からかってなんかない。本気で、本当に、孫兵が好きなんだ。なぁ、どうしたら信じてくれる?振られる以前に、相手にもされないんじゃ、情けなくて涙も流せねぇよ。俺、本当に、孫兵が好きなんだよ。
年上らしからぬ切羽詰った必死な声色に、僕は思わず笑ってしまった。後半は涙交じりのそれと、平素よりもずっと早く打つ心音は、竹谷先輩の言葉に真実味を上乗せしている。この人はからかってるわけじゃない。ほんとに、本気の言葉を僕にぶつけてくれてるんだ、と。
だから僕は、竹谷先輩の告白を受け入れた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、竹谷先輩に三つ指をついて頭を下げたのだ。
…その結果が、これですか。
呆れているのか、落胆しているのかわからないため息が零れる。
確かに僕と竹谷先輩は、お付き合いと言う形は取っていたけれど、恋人らしい何かをしたかと問われれば、答えは否だった。 学年も違えば、縦割りの組だって違う。共通するのは委員会のみだけれど、それだって虫たちの世話や、脱走した生物たちの捕獲なんかで潰れてしまって、二人きりで過ごす時間なんて微々たるものだった。それでも、その少ない時間は一緒にいたけれど、それは言葉通り、本当に一緒にいただけで、恋人らしい触れ合いは当然皆無だった。同じ時を過ごすだけ、話をするだけの健全なお付き合いは、ただの先輩後輩だったころとなんら変わりがない。抱擁したのもお付き合い前の一回のみなら、意図的に互いの指を絡めることすらなかった。
こんな関係、恋人同士と言えるのだろうか?自問したことは何度となくあった。それでも竹谷先輩は好きだと言ってくれた。恥ずかしげもなくまっすぐ僕だけを見見据えて、お前だけだ、と。孫兵だけが、好きなんだ、と。竹谷先輩は、正直な人だ。竹谷先輩は、嘘なんてつかない。根底にそれがあったから、どんなに幼稚なお付き合いでも、竹谷先輩だけを信じて、その言葉を疑わずに今まで来たのだ。 なのに、この状況は、どういうことなんだろうか。
これは、何の冗談ですか? 新手の、悪ふざけですか? 僕に対する、嫌がらせですか?
声に出して叫びだしたかった。二人の元まで詰め寄って、怒鳴りつけてやりたかった。竹谷先輩の胸倉を掴んで、どういうことですかと、問いただしたかった。できることなら、張り手の一つでもかましてやりたかった。いや、二年と言う年齢差と体格差を考慮して、拳骨だっていいのかもしれない。 頭ではいくらでも物騒なことが思いつくのに、結局は何も出来ずただ立ち尽くすことしか出来なかった。手を出すことも、足を前に動かすことも、声を出すことすら、出来なかった。
内から湧き上がる怒りは確かにそこにあるのに、未熟な僕はそれをどう扱っていいのかわからなかったのだと思う。 同年の友人に、喜怒哀楽に乏しい、と言われたことがある。その時は、僕にだって人並みの感情はあるのに、失礼だ。と静かに怒った気がする。友人たちも、まぁそうだよなぁ、と笑ってその場は収まった。 そう、人間なのだから、僕にだって感情はある。怒ったり、泣いたり。笑うことだってあるし、ジュンコたちが冬眠に入ればこの上なく寂しいし、哀しい。今目の前で起こっているような不貞を目の当たりにすれば怒りだって込み上げてくるし、同時に酷く悲しく、泣きそうにだってなる。なのに、僕はそれをどう表に出したらいいのかわからない。喜怒哀楽はきちんと持っているけれど、その感情をどういう形で、言葉で、行動で現していいのか、全くわからなかった。
裏切られたと怒りが湧き上がる反面、実は今まで全部が夢で、いま見ているこれが正しい現実なんじゃないかと思えて、頭のてっぺんが急速に冷えていった。 三ヶ月前、竹谷先輩が言った言葉が嘘だとは思えないし、思いたくない。けれど、心変わりするのが世の常、人の常だと聞いたことがあるし、それが竹谷先輩にないとはとても言い切れなかった。
一歩、一歩と後ろに下がる。とにかく二人を見ていたくなくて、音を立てぬように一歩ずつ、教室から離れることだけを考えていた。早くこの場を立ち去って、一人になりたかった。混乱して絡まった現状をきちんと整理して、見つめ直したかった。どうすれば自分にとって、いや、竹谷先輩にとって最良の選択になるのか、それを考えたかった。
絶望の足音が聞こえる
了
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2011/4/14
日記より救済。
title:確かに恋だった
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