世間が甘いお菓子イベントで盛り上がっているのを横目に学校へと向かう。
今年はより一層寒い一日になるな、と留三郎は溜息を吐いた。




留三郎の通う学校は男子校だ。当然の話だが同級生も先輩も、生徒と括られる人間は男ばかりだし、教師だって大半は同性、異性は事務のおばちゃんと偶に来る非常勤の英語教師(外人)、養護の先生くらいだった。なので、閉鎖的な校内は本日、とても酷い冷気を放っている。

「義理でも良いからほしいよなぁ」

そう思わねぇ?と、クラスメイトに同意を求めるように視線を投げかけられ、開いていた雑誌から顔を上げれば机を囲んでいた数名が頷いてる姿が目に入った。
男ばかりの集団生活では、貰う当てが無い奴が殆どだった。それこそ彼女か合コンで引っ掛けた女友達や知り合いがいなければ、家族以外からの恵みなんてゼロに等しい。それは留三郎も同じだったけれど。

「俺、一個貰った」
「誰からだよ」
「幼馴染から」

義理だけど、と言って鞄から赤い縦長の箱を出した。ラッピングもされていないそれはコンビニで百円出せば買える何の変哲も無い板チョコで、何故かマジックででかでかと「義理」と教科書のお手本のような字で書かれていた。

渡されたのは今朝、玄関を出てすぐの事だった。
おやつをあげよう、と子供にでも言うような口振りで十年来の幼馴染に渡されたのだ。
仙蔵から義理でもチョコを渡されたのなんか初めてで正直面食らったけれど、なんとなく照れ隠しなんだろうと感付いて有難く頂いておいた。本命は、どうしようもないもう一人の幼馴染の方なのはわかっている。多分、奴だけに渡すのは気恥ずかしくて、こっちにもおこぼれが来たんだろう。今年はあげるつもりなのか、と思ったけれど口に出すことはしなかった。
ありふれた板チョコなんてどう考えても本命には見えないし、なによりも主張するようにそう書かれている。しかも無駄に達筆に。それがまたなんともいえない。

「幼馴染って、立花のこと?」

中学から付き合いのあるクラスメイトの言葉に頷くと、義理でもいいからあんな美人に貰いたい、と何故か嘆かれた。

(俺は別に仙蔵からのチョコなんてどうでもいいんだけど。)

仙蔵は確かに美人だ。外見は文句なしに可愛いんだろうけど、そのしわ寄せと言うべきか、性格に少々難ありだ。その上に男の趣味まで悪いときている。
文次郎がいいとか、あいつの美的感覚ってわかんねぇ。
まあ、恋愛なんて見た目でするものでもないんだろうけど、相手の暑っ苦しい性格まで知ってるだけにますます疑わざるを得ない。それでも大事な妹みたいな存在だから、ドタバタの末にめでたく両想いになった事は祝福しているし、今日も上手くいくといいな、と無意識に応援している自分がいた。


二度あることは三度ある、とは言ったもので、留三郎が思い焦がれる少女と三度目の再会を果たしたのは先週の事だった。帰宅途中に電柱の影に蹲る姿に、思わず声をかければそこにいたのは真っ赤に泣きはらした善法寺がそこにいた。
自分の帰宅時間はいつもと変わらなかったけれど、今まで彼女と遭遇したことがあるかといえば答えはノーだ。翌日からは全く出会わなかったのだから、だからあれは物凄い偶然だった。
あの時、何で泣いていたのか。その理由はわからないし、聞きもしなかった。冬空の中で泣いてる彼女に気の利いた言葉もかけれず、ただ横に座っているしかなかった。当然だけれど、連絡先の聞ける雰囲気ではなく、彼女が一頻り泣ききったところで駅まで送ってさよならをしたのは非常に苦い思い出だ。

本当にもう会えないんだろうなぁ。

仙蔵が彼女の連絡先を知ってるのだから、聞けば早いのかもしれないけれど、それはストーカー一歩手前のような気がして憚られた。ただでさえ、初対面で物凄い脅え方をされたんだから、恐怖心を煽るような行動は取りたくない。けれど。
バレンタイン云々を差し引いても、会いたいと思った。チョコレートを貰いたいなんておこがましい事は考えない。ただ善法寺と話がしたかった。せめて友達くらいの関係になりたかった。
思えば思うほど気持ちだけが募って、本当にどうしようもないループに留三郎ははまっていた。

「…やっぱ、会いたいよなぁ」

ただ呟いた不毛な思いは誰に向けるでもなく。騒然とした教室内に紛れて消えてしまった。





どれだけ空気が浮き足立っていようと、校内にいる女子率を考えたら、恵みにあうことなんて皆無だ。まぁ、極稀に男同士と言うのを見かけないわけではないけれど、(そして何故だか呼び出された自分もいたけれど)それは数に入れないことにする。なし。あれはなしだ。
結局、甘い雰囲気に飲まれることなく、放課後へと突入していた。
ちゃっかりした同級生は、年明けに引っ掛けた女とデートするとか何とか騒いでいたが、そんなものは留三郎には関係は無い。女の知り合いなんてろくにいない上に、本日の放課後も部活が待っているだけだった。
去年までは公立の中学校だったから義理でもいくつか貰えていたが、今年は残念ながら仙蔵から頂いた板チョコ一枚で終わりそうだ。鞄の中で存在を主張する赤い箱が良かったような良くないような、空しい気分に溜息だけが零れた。

マナーモードにしたままの携帯が突然揺れた。それがナイロンの布越しに机も揺らすものだから、変な振動で予想以上に大きい音が響きぎょっとする。慌てて開いたディスプレイには「仙蔵」の文字が。朝会ったばかりの幼馴染からの連絡、普段だってそうそう寄越さないが、あるとすればメールが殆どで、こうして通話をしてくる場合はたいてい面倒を持ってくるのだ。
まさか、また文次郎と何かあったんじゃねぇだろうな…。
仙蔵は許婚と何かある度にこうして泣きついてくる。それはメールだったり突然家に押しかけてきたりと形は色々だったけれど、圧倒的に電話が多かったのを今でも覚えている。そうは言ってもそんな事は中学時代までの話で、通う高校が変わってからは殆どなかったけれど、今日と言う日を思えば、何かったのではとつい勘繰りたくなるのは仕方なかった。嫌な予感は拭えないのに、無視できない自分を少々呪いたくなる。
何にもありませんように!
えいっと通話ボタンを押せば、相手は予想に反して上機嫌で肩透かしを食らったような気分だった。

「何の用だよ」

教室に掛けられた時計を見れば、あと十分で部活開始という時刻だった。
武道場は授業で殆ど使うことが無いので体育館のように校舎と繋がってはいない。一旦昇降口から出て、校舎の脇を抜けて更に歩いて行った先にポツンと存在している。つまりとても遠い。おまけに袴に着替えなければならないのだ。慣れているのでそう時間が掛かるものではないけれど、出来れば先輩方の来る前に着替えておきたい。
どうやら恐怖の話題ではないらしいので、バックを引っつかむと通話したまま教室を後にした。
急ぎじゃなければ後にしてもらいたい、と伝えれば仙蔵は意味深な笑いを零した。

『お前にいい話があるんだが』
「なんだよ」
『伊作がお前に渡したいものがあるらしくてな』
「…っ!」

仙蔵の口から出た予想外の名前に驚きが隠せなかった。うっかり手からすり抜けた携帯は乾いた音を立ててタイル張りの廊下に転がった。
今、なんつった?
転がった携帯を拾わなきゃとか、部活まで時間がないとか、考えることはあるのになんだか思考も行動も追いつかない。

「落としたぞ」

惚けたまま突っ立っていれば、通りすがりの同級生がご丁寧に携帯を握らせてくれた。画面を見ればまだ通話中だった。
煌々と光る携帯を握りなおして、もう一度仙蔵に問う。

「悪い、もう一回言ってくれ」
『だから』

伊作がお前に会いたいといっている。

二度目の言葉は、しっかりと耳に届いた。





後編





back