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正直言って、俺の部屋はきれいとは言いがたい。
たとえば雷蔵のように、整理整頓がへたくそで、どう掃除するか一刻少々悩んだ挙句、最終的には全てを葛篭にぶちこんで見なかったことにするなんて大雑把なことはしないし、勘右衛門のように「全部手の届く位置にあったほうが、楽でいいじゃないか。」と、整頓そのものを放棄するたちでもない。そもそも部屋においてある私物が少ないから、散らかるということがほとんどなかった。
低学年だったころは休日に部屋でごろごろしたり、そこそこ勉学に励んだり、友人たちと談笑したりと部屋で過ごす時間はそこそこにあったが、学年があがるにつれ、実習も課題も厳しくなり、なおかつ委員会では責任ある立場へとなっていった。自由に使える時間が多少あるものの、それも毎度の毒虫脱走劇やら、先輩に引きずられる鍛錬という名のしごきで、埋まっていく。だんだんと部屋で過ごす時間は短くなり、今ではほとんど睡眠をとるためだけに使っているといってもいいくらいだった。部屋に帰れば布団突っ伏すだけ。だから、そうそう散らかることはなかった。
散らかってない。とはいっても、掃除を怠れば当然、埃は舞う。
今がその状況で、殺風景な部屋に照らされる蝋燭の明かりの向こうに、わずかに塵が舞っていた。
(やっぱり、前の休みに掃除しとくべきだったなぁ。)
そんなことをぼんやりと思う。
時刻は亥の刻。上級生ならまだしも、下級生のよい子達なら、すでに眠りについてる時間だろう。委員会の中では「伊賀崎先輩。」と一年坊主に慕われる孫兵だって大人びて見えるもののやっぱり下級生で、本来ならばふかふかの布団を鼻先まで引き上げて、愛すべきペットたちを枕元にまどろむべき時間のはずだった。なのに、その孫兵は、今、ここにいるのだ。
蝋燭だけが頼りの部屋は、けして明るいとはいえない。その薄暗い部屋のすみで、孫兵はちょこんと足を正して鎮座している。きれいに伸びた背筋は、意志の強さの現われだろうか。なのにきゅっと結ばれた唇は微動だにしないし、瞬きが少ない瞳の奥には、迷いとも取れる揺れが見えるような気がした。
たよりなく揺れる蝋燭の火が、自分の心を投影しているようで、自分の部屋なのにどうにも居心地の悪い気分に襲われる。自室に下級生を、周囲に閉口しているとはいえ、曲がりなりにも恋人を引き込んでるこの状況は、間違いなく恋人同士のそれだ。そして事実、そのつもりでこうして向かい合っている。お互い合意した上で及ぼうとしているはずなのに、どうにも甘い雰囲気にならないのは何故なんだろうか。
「孫兵、」
と、名を呼ぶと、手を伸ばしたわけでもないのに、孫兵の肩が大きく揺れる。大きく開かれた双眸は脅える子猫のようで、決めたはずの決心が根元から崩れ落ちそうだった。
「なあ、やっぱり、」
やめようか。と、零す。
無理強いしてるわけでもなんでもない。どちらかといえば、孫兵にごり押しされてのこの状況だけれど、身構えている幼い体を前にしたら、どうにも前に進む気にはなれなかった。
そもそも、どうしてこんな状況になったのか。
記憶の糸をたどれば、まだお天道様が視線よりも高い位置にあったころにまでさかのぼる。例によって例のごとく、孫兵の大事なペットたちが散歩という名の脱走を図ったため、生物委員総出で捜索活動をしていたのがそもそもの始まりだった。
本来の俺の放課後の予定は、来週が提出期限の委員会予算案を作ることだった。なのに、この状況だ。これは徹夜かなぁ、と竹谷はこっそり息を吐く。それでも下級生にだけ任せるわけにもいかず、元来の正義感を存分に発揮し、学園中を駆けずり回った。
捜索は、そう難しいものでもなかった。時間はたっぷりかかったものの、誰一人怪我もなくなんとか最後の一匹を虫壷へと収めることができた。一平から「全員捕まえました!」と報告を受けたとき、やっと心の底からほうっと息をすることができた。予算案のことを考えると頭は痛いけれど、それでもまだ週末がある、とぽきっと折れそうになる気持ちを立て直して、すっかり泥んこになった一年たちの頭をこれでもか!と、撫で回してやった。よくやった!えらいぞ!さすがだなぁ!照れくさそうに笑う四人に、委員長代理命令と称して、「風呂入って、メシ食って、早く寝ること!」と、言いつけて、その小さい背中を見送る。あとは虫壷を飼育小屋に戻して鍵をかければ、すべてが終わる。その手筈だった。
「竹谷先輩、」
背中をすべる声に、はっと振り返る。そこには、一年坊主と同じく、鼻の頭にまで泥をつけた孫兵が立っていた。
腰をきれいに九十度近く曲げて、「申し訳ありませんでした。」と、孫兵が謝罪の言葉を綴る。確かに毎度の騒動は厄介だけれど、その度に叱り付けても、大して学習してくれないのはすでに経験済みだ。これ以上無駄な労力も使いたくないので、「もう、いいから。」と孫兵の肩をつかんで引き上げる。かち合った孫兵はきりっとした眉を情けなく下げていて、後輩たちには見せないであろうその年相応の素直な仕草に、おもわず口元が緩みそうになった。
「孫兵も早く泥落としてこい。俺はこいつ戻してくるから」
こいつ、の部分で抱えた虫壷を軽く上げる。中で虫がさわさわ動く音がして、こいつらにも飯やんねぇとなぁ。とぼんやり思った。
「あの、僕が虫たちを戻します」
「え!?」
突然の孫兵の提案に、素っ頓狂な声出てしまった。おまけに、ずるりと手のひらから陶器がすべり、うっかり虫壷を落とすところだった。寸での所で阻止したけれど、背中にじんわりと嫌な汗がにじみ始める。
こっちの心境などそ知らぬ孫兵が、「やっぱりお疲れのようですね。」と心配そうな視線をよこしてくる。疲れている。確かに疲労困憊だった。予算案ほったらかして布団にダイブしたい気持ちでいっぱいだけれど、今のこれは疲労が原因ではない!決してそうじゃない!
孫兵の気遣いはすごく嬉しいけれど、正直孫兵にだけはこの壷を預けたくなかった。それなら一年の孫次郎や三治郎に託したほうが、よっぽど安心できる。そのくらいは思っていた。孫兵に預けたら最後、小屋でまたひっくり返すか、壷を割るか。今度は深夜の大捜索活動に発展しそうで、恐ろしくて預ける気には到底なれなかった。すでにくたくたなのに、そんな危険は絶対に冒したくない。
動揺でひくつきそうな顔に、雷蔵が太鼓判を押す「人のいい笑顔」をぺったり貼り付けて、「…お前だって、疲れてるだろ?」と視線を流す。頼むから同意してくれ!言うこと聞いてくれ!問題起こさないで!俺の安眠のために!そんな願いを乗せて。ところが孫兵から飛び出したのは、「大丈夫です。」という力強い言葉と、まっすぐにこちらを射抜く力強い視線だった。
「お疲れなのは、竹谷先輩も同じでしょう?」
なんとかして回避したいのに、孫兵は頑として譲らなかった。このまま帰れと言いつけても、返ってくる言葉は目に見えている。だったら、と懐に腕を突っ込んで、孫兵の前に紙の束を差し出す。孫兵は目を丸くして、それを凝視した。
懐に入れていたのは、予算案用の資料だ。今までの生き物たちの購入記録や、かかった経費諸々の請求書、領収書、動物たちの使用歴やら、必要そうなものをすべて一纏めにしていたのだ。委員会室で睨めっこするつもりで持っていたけれど、それをする前に迷子探しが始まり、適当に放っておくこともできず、しょうがなく持ち歩く羽目になっていた。それが今役立つとは。
「悪いが、孫兵はこれを置いてきてくれないか?」
「え、でも、」
「持ったまんまだと、なんか無くしそうで怖いからさ。俺の部屋、…ええと、そうだな。机の上に放っておいてくれていいから!長屋遠くて悪ぃけど!な?たのむ!」
よろしく!と孫兵の白い指に、無理やり紙の束を握らせる。こっちは任せろとばかりに虫壷を揺らすと、ようやく孫兵の表情が緩んだ。
「まったく、しようがない先輩ですね…」
「悪かったなあ!」
「では、こちらは責任を持ってお届けしますね」
そうして、「おやすみなさい。」と下げた頭をひと撫でして、孫兵と別れたのだ。
そもそもこの選択がまずかった。なんで部屋に行かせたんだろう、と今更のように思う。委員会室と言っておけばよかった。いや、そもそも、そんなこと頼むべきじゃなかった。叱り付けてでも、一直線に自室に帰すべきだったのだ。俺のあほ!ばかやろう!なにやってんだよ!頭の中で幾度も自分を張り倒しても、気持ちはまったく晴れなかった。
孫兵と分かれた後、俺はまっすぐに飼育小屋へと向かった。所定の位置に壷を置き、生き餌を与える。腹を空かせて物言いたげな視線を差してくる狼たちには、飼い葉を与えた。そうして生き物たちの餌やりを済まし、入念に飼育小屋をチェックしたあと、がちゃんと錠を落とした。
空を見上げると、月が随分と高い位置まで昇っていた。ふうっと息を吐く。途端に腹の虫が大合唱をはじめ、どんだけ気い張ってたんだよ!と自分で自分にツッコミを入れる。そういえば、昼飯を最後にずっと走り通しだったことを思い出し、ますます胃がぎゅうっと切なくなった。
早く、食堂に行こう。倦怠感と強い疲労で、鉛のように重くなっている四肢を、何とか前に動かす。近道だと裏庭を突っ切ると、きゃっきゃと高い声と水の撥ねる音が耳をを掠めた。湯汲みの時間ってことは、食堂閉まってんじゃね!?と、最悪の事態がずどんと落ちてきて、血がさあっと下がる思いだった。そこからは猛ダッシュだった。
不幸中の幸いというべきか、食堂はまだ開いていた。中には数名の生徒が残っていて、その中には自家製の手作り豆腐を、それはそれは蕩けそうに頬張る兵助の姿もあった。けれど、肝心のおばちゃんの姿が見当たらない。
「おばちゃんなら、明日の仕込みに出かけちゃったぞ」
――――終わった。
兵助に告げられた死刑宣告とも取れるそれに、俺は膝から崩れるしかなかった。
こんなになるまで動き回って、飯逃すとか!ひどい!ひどすぎる!!どんな罰だよ!ちきしょう!!
「………、雷蔵、は…?」
ふと一つの可能性を思い出し、藁にもすがる思いでその名を口を呟く。菩薩のように広い心をもつ、あの友人のこと。雷蔵なら気を利かせて、定食の一つや二つキープしておいてくれるんじゃないか。そうだ!そうに違いない!本人の姿はこれっぽっちも見えなかったけど、俺はそう思ったのだ。
ところがどっこい、期待を込めて見つめた先の兵助は深い、それはふかーい溜息を吐いた後、
「そのつもりだったみたいだけど、焼肉定食と肉じゃが定食で迷ってるうちに、売り切れちゃったんだよ。」
と、それはそれは丁寧に説明してくれた。その語尾は僅かに尻窄まりで、刺さる視線も哀れみが含まれている気がして、今度こそ俺は倒れるしかないと思った。
「まあそう落ち込むな。豆腐なら分けてやるから」
「豆腐じゃ腹膨らまねぇだろ!!」
「そういうと思って、おばちゃんに握り飯頼んどいたよ」
ほら。と兵助が白い皿を差し出す。
「感謝しろよ?」
照れたように小さく笑う兵助に、意外な兵助の気遣いに、不本意ながら胸がきゅうっとなって、俺は思わず飛びついてしまった。腰に手を回して、この恩は忘れねえ!と叫ぶと、兵助は「大袈裟なやつだなあ」と背を撫でた。テーブルの隅、地獄の会計委員長が額に青筋立てつつ某予算会議を彷彿させるかのような鬼の形相でにらんでいたけれど、飯にありつける幸せに浸たる俺の視界には、一ミリも入らなかった。
感動に浸ったのはほんのちょっとの間で、「汚いし、なんか臭い。」と心底いやそうな顔で鼻をつまむ兵助に、「先に風呂行って来い」と食堂から追い出されてしまった。汚いのは地べたを這いずってたからで、臭いのは多分飼育小屋で擦り寄ってきた動物から移ったものだろう。ひっでえと思いつつ、さっぱりしたいという気持ちもあったので、大人しく着替えを取りに長屋へと向かった。
俺の部屋は、雷蔵の部屋の隣にある。
真っ暗な廊下を、忍者の卵とは思えぬぞんざいな足取りで進む。こんなに足音立てて、木下先生が見てたら力いっぱい拳骨で殴られるだろうし、三郎あたりだったら一週間はこけ下ろされそうな気がするけれど、そんなことに構ってられなかった。早くさっぱりして、つやつやとしたあの白米にかぶりつきたい!その一心で前へ前へ進む。
ふと、黒であるはずの正面に、白い何かが浮き出ていて足が止まってしまった。よくよく見れば、それは人の背中だった。しかもよく知る人物。委員会の後輩で、あの萌黄の装束は…。
「…孫兵?」
背後から声をかけると、薄っぺらな孫兵の背中が面白いくらいに跳ね上がった。ばっと勢いよく振りむいた頬が薔薇色に染まっていて、こっちのほうがぎょっとしてしまう。真白い肌が、耳まで赤く火照っている。やけに焦ったように整った唇から綴られる「せんぱい、」が、いやに色気を帯びていて、ずんと心臓が重くなった。
「え、…えと、どうした?俺の部屋、わかんないってこと、ないよな?」
孫兵の腕の中には、渡した資料がそのまま残っていた。あれからまっすぐここに来たはずなのに、これはどういうことだろう。別れてから、それなりに時間もたっているというのに。
そんな疑問は、目と鼻の先にあるクラスメイトの部屋から漂う濃厚な空気で、わかってしまった。蒲団の波打つ音、声を抑えていても漏れる二人分の荒い息遣い、液と液が混ざり合う音。控えめだけれど、黒だけに包まれた世界でそれははっきりと浮き上がっていた。
はーはー、なるほど。届ける途中で、夜伽の現場に遭遇したわけか。
それで一歩も動けなくなっちゃったのか、と息を吐く。どんなに大人びて見えても、孫兵はまだ齢十二の子供だ。生々しい情事、ましてやよく知った人物二人のものだと気づいて狼狽えているのが、手に取るようにわかってしまった。
「た、…たけや、せんぱ」
「あー、これやっぱ俺が持ってくわ!ありがとう!わるかったな!」
畳み掛けるようにすばやく孫兵から紙の束を奪うと、俺は本日二回目のダッシュで部屋へと逃げ込んだ。
覚悟はまだいらない(下)へ
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2011/5/17
title:確かに恋だった
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