キミに溺れて窒息死 * 1

(小平太視点)



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よっ、と勢いをつけて木の窪みにひっかけた足に力を込める。勢いをつければこちらのもの。グンッと一気に体を引き上げた。
一気に視界が開けて、落ちないように、と足場を確認。風が気持ちいい。
たまにこうして、どうしようもない気持ちに駆られて木の上に這い上がる。

高校生にもなって、女の子が。

…とはよく言われたものだ。自分の身長より高い位置に立ちすうっと空気を吸い込む。ここから見える景色と澄んだ空気がたまらなく心地いい。
遠くのほうで、多目的室集合ー、と声が響いた。
ああ、オリエンテーリングか。なんか出るの面倒だな。このままここにいたらばれないかもしれない。
授業ではないから出なくても問題ないかな、と一人結論をつける。

昔から女の子らしいことが嫌いで、正直制服のスカートも勘弁して欲しいくらいだ。スカートだけなのはなんだか嫌でいつも下にジャージをはいている。なので現在のこの状況でも公害にはならないと思う。
別に男になりたいという願望があるわけじゃない。女の子らしいことが苦手なだけだ。女の子らしいって言うのはふわふわした子に似合う言葉で、自分のように男子並みに上背のある、ましてや授業サボって木登りに興じる女に使う言葉ではない、と思う。
ふっと頭の片隅にまさしくふわふわという単語がぴったりな幼馴染が浮かんでくる。ちょっとドジというか鈍くさいというか不運というか、それでもどこか憎めなくて、あの笑顔が甘い甘い砂糖菓子のような。すごく守ってあげたい女の子だ。

「こへーたー」

ああ、なんか幻聴まで聞こえてきた。伊作が私を呼んでいる気がする。
ふっと視線を彷徨わせれば視界の端に見慣れた茶髪を発見した。あのふわふわは。
幻聴じゃなかった、と口元がほころぶ。
伊作はちょっと癖のある亜麻栗色の髪をポニーテールに結んでいる。それがほわほわと揺れていてまた可愛い。
校則の緩いこの学校では制服のリボンを替えたり中にはブラウスを色つきのものに変えてきたり、なんて子もいるのに伊作のそれは入学当初から変わらない。学校指定のブラウスにリボン、変わったのはカーディガンくらいでそれも指定の黒から落ち着いたグレーのに変わったことくらいだろう。…あと、スカートの丈が少し短くなっているが、自分も人のことは言えないので黙っておこう。
以前一回りは大きいであろうカーディガンに、サイズ合ってないんじゃないのか?と尋ねたら、そういうほうが可愛いんだよ、と笑った。ダボっとしたカーディガンからちらりと覗くミニスカート、まぁ、確かに可愛い。


「伊作、ここだ」

木の上に身をおいたまま、でも葉っぱの陰に隠れて姿が見えないだろうと身をかがめた。
声に気が付いたんだろう。あ、いた、と伊作が短く紡いだ。

「よく登れるねぇ」

すごいや、と笑顔。
伊作は、女の子なんだから、とか、はしたないからやめなさい、とか絶対言わない。女の子らしくを押し付けない。中身も外見も正反対なのに、この年まで友達をやってこれたのは伊作のこういう部分がすごく気にいたからだと思う。
かく言う伊作も骨格マニアでけして女の子らしい趣味とはいえないが。まぁ、女の子な部分もたくさんあるが。

「オリエンテーリングじゃないのか?」

自分は現在進行形でサボる気満々なのでいいが。
心配して声をかければ伊作の眉間に僅かに皺がよる。
あ、怒らせた?

「だから、小平太を探しに来たんじゃないか」
「そうか」
「そうだよ」

このままだと行く行かないの押し問答になってしまう。
さて、どうしたものか。
うーん、と唸ると下から、行こうよ、と声が被さる。
自分が行かなければ伊作も行かないんだろう。さすがにそれは伊作に悪いか。降りる、と言葉を投げればそれはそれは嬉しそうな顔を向けてくれた。気をつけて降りてね、と身を案じてくれる。

「いつものことだからそれは大丈夫」

きっぱりと告げた。
木登りなんて日常茶飯事だ。降りるときはたいてい飛び降りる。2階よりも低い位置のそこから降りるのは造作もない。
バランスを取るために添えていた幹から手を離して、さあ降りるぞ!と意気込んだ刹那、左足が滑った。
前に倒れるのは問題ない。前だったら咄嗟に何かしら反応できるものだ。けれど事もあろうか後ろに重心が崩れた。後ろはヤバイ。
うまく反応できず、後ろ足に引きずられるように背中から地面に吸い込まれていく。
こういうときは頭を守るんだっけ?
スローモーションに離れていく木と空の蒼さにそんなことを思う。
地面が土でよかった。落ちてもそんなに痛い思いはしないだろう。

ドスン!と鈍い音を立てて地面に落ちた、と思う。
ん?その割りに痛くない?というか、痛くない?…それに地面特有の冷たさも土の香りもしない。かわりに妙な暖かさがある。
あれ?と思い顔を上げる。

すぐそばに頭があった。
視界を掠めた茶髪に、まさか伊作の上に落ちたのか?と不安がよぎったが、別の方向からかけてくる伊作を捕らえて、ああ別人だ、伊作をつぶさなくてよかった、と思う。
ん?ならこいつは誰だ?

「すまない、大丈夫か?」

木のそばは木陰だ。昼寝か何かをしてたんだろう、と思う。
ああ、ここは風も気持ちいいし昼寝にはもってこいだろう。植木が陰になっていて実に見つかりにくそうだ。いいなぁ、次にふけるときはここで昼寝をしよう!
…じゃない。
脱線しかけた思考を引き戻す。

よく見ると茶髪は男だった。
木から落ちた私はこいつの腹に乗り上げる形で着地したらしい。
いまだに乗り上げたままだったことに気が付き急いでそいつの腹から退いた。
光に透ける茶色の髪に細い輪郭。頬に薄い傷跡があって、一瞬自分が落ちたせいかと慌てたが、どうやら古傷らしい。投げ出された手は自分より大きい。指がほっそりと長いのに節ばってて、男なんだなぁと思う。

「小平太!大丈夫!?」

駆け寄って来た伊作に、私は大丈夫、と短く告げた。
私はこいつのおかげで平気だったが、こいつはどうだろう。そこそこの高さから重力に引かれて落ちてきた自分。衝撃はすごかったんじゃないか?
いまだに横たわっている体を揺すってみる。

「おい、お前。平気か?」
「お前って…ちょっと小平太。先輩だったらどうするのさ」

こんなに大きい人だもの、先輩だよ、きっと。
落っこちた本人よりも青い顔をしてそう呟く伊作に、見ろ、と詰襟あたりを指す。学年章が付いている。こいつは一年だ。
平均的男子と同じくらいは上背のある自分よりも大きい気がする。私も上背はあるにしても、男子に比べたら横はない。だからだろうか、先輩に見える、といった伊作の言葉にも素直にうなづけた。

「頭打ったのかな…」

保健室につれてく?ああでも僕たちじゃ無理か!先生呼ぶ?
伊作が右往左往していると、う、と短く声を上げてその男は何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。
本当に、今起きた!とでも言うかのように。

「おい、大丈夫か?」
「…平気だ」
「平気なわけないだろう、あの高さから私は落ちたんだぞ」

自分が落ちた木を指差す。
男は一瞬だけ木に視線を向けたが、別に思うことがあったのかすぐに視線を彷徨わせる。近くに落ちていた妙に分厚い本を拾い上げた。ハードカバー?っていうんだっけ?私は読んだことがないが、以前伊作がそんな感じの本を嬉しそうに眺めていたな、と思い出す。
パンパンと本についた土を払い落としていた。

「なら、お前のほうが平気じゃないだろう」

落ちたのはそっちだ。
さも当然のように淡々と。

「私は大丈夫だ。突然落ちてきてすまない」

助かった、ありがとう。
短く告げると、表情はそのままに、そうか、と短く言った。
人を見る力はそこそこあると思うのに、目の前のこの男は表情が乏しくてなんだかつかめない。伊作のように怖いという感情は抱かないが。

「…なぜ、木に?」

ああ、来た。この台詞。
こういう場合は十中八九、女の子だろう、そんなことするな、とかいうありがちな言葉を投げられるのだ。
私はそれが大嫌いだ。
男に出来て自分に出来ない。男女で当たり前に引かれる境界線が嫌で嫌でたまらなくて、そういう類の台詞を吐かれる度になんとも形容しがたい鬱蒼とした気分に陥るのだ。男女平等じゃないのか!と叫びだしたくなる。

「木の上は気持ちいいからだ」

何か文句あるか!といった態度で言い切った。
そばに居た伊作が私と男を心配そうに見つめる。
男は僅かに顔を綻ばせた。本当に少しだけ。そしてその大きな手のひらで動物にするそれのように軽く頭をなでた。

「…次は気をつけろ」

その低音が心地よく響いた。






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2010/9/5


title:確かに恋だった

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