キミに溺れて窒息死 * 2 (小平太視点) ---------------- 「そういえば、名前も聞いてなかったね」 お礼は言ったけどさぁ、と伊作は昼飯のメロンパンに手をかける。 伊作の前にはクリームパンとチョココロネとヨーグルト、ポッキーが広がっている。対する自分の前には大きめのお弁当。栄養面的には自分のほうが良いに決まっているのに伊作のそれはいかにも女子高校生という感じで可愛らしくてたまらないと思う。 「誰の話?」 出し巻き卵を食べる。 もぐもぐ。 「この前の、下敷きになった人だよ」 伊作が盛大な溜息を吐く。 ああ、そういえばそうだったなぁと思う。 不思議な男だった。下敷きにしたにもかかわらずそれを咎めるでもなくこちらの心配をしてくる。原因になった木登りも咎めず逆に気をつけろといわれた。なんとも不思議なやつだった。 襟章から一年生なのはわかっている。でもあんな顔のやつは知らない。少なくともこのクラスにはいない。所属している体育委員会にもいなかった、はず。多分。 伊作はメロンパンからチョココロネに移っている。喋ってるのに食べるのが早い。 「うーん、僕は男友達いないしなぁ。保健委員会にもいなかったかなぁ」 「伊作は男友達なんていなくていいよ」 「うん、そうだねぇ…って、そうじゃなくて!ちゃんとお礼言おうよ」 「礼ならその場で言ったぞ」 言った。ちゃんと言った。覚えてる。言ったんだから問題ない。 だから大丈夫、と伊作に向き直ると、彼女の眉間には深く皺が刻まれていた。これは不機嫌モードだ。ああ、まずいな。何か問題発言したらしい。 「そうかもだけど。あのあと具合悪くして病院行ったかもしれないでしょ?怪我してすぐって痛くないものだし」 「保健室には来なかったのか?」 あの日の放課後、伊作は保健室の当番だった。本当に具合が悪かったらまずはそこに行くだろう。 「ううん、来てない」 なら大丈夫だったんじゃないのか?と心の中で文句を言う。 伊作はスラリと伸びた足を綺麗に組み替えた。丈の短くなったスカートに紺のハイソックスがよく映えている。 ああ、伊作はかわいいなぁ。女の子らしくていいなぁ。こんな子が会いに行ったらあの感情表現の乏しい不思議な男も笑ったりするんだろうか。 伊作は昔からよくもてていたと思う。男みたいな自分と違って少女時代からそれはもう可愛らしかった。それ故に変な男に絡まれたり露出狂に遭遇したりと、まぁ色々あった。そのたびに猫目の大きな瞳からぼろぼろと涙を流すもんだから、ああ、守ってやらないと、と変な使命感に駆られて今日まで至る。彼女の可愛さも自分の使命感もいまだに健在だ。 それに引き換え自分はどうだろう、と自分の人生を振り返る。 髪は母親に「女の子なんだからこのくらいは」と言われ、伸ばしたままになっている。長さ的には伊作と変わらないだろう。でも手入れもろくに出来てないし、伸ばしてたのだって半分くらいは切りに行くのが面倒だったのもある。何よりも美容院というものがムズ痒い。 制服に関しても対照的だ。伊作はダボっとしたカーディガンに丈の短いスカート、学校指定のリボンは緩めに結ばれている。私は相変わらずスカートの下にジャージ、リボンは外してブラウスの上からこれまたジャージを羽織っている。ちなみに足が縺れるのでスカート丈は短めにしているけれど、上下がジャージなので女の子らしさは欠片もない。 あの男も伊作のような可愛らしい女の子が好きなんだろうか。 「…私も伊作みたいにしようかな」 ポツリと零すと目の前の伊作がものすごく嬉しそうな顔をしていた。 え?え?なんだ、この生き生きとした顔は。 「やっと小平太が目覚めてくれたよー。手始めに髪整えよう、ジャージも脱ごう!」 「え?は?なに?」 「小平太は目も大きいし、モデルさんみたいに背も高いし、素材が良いのにもったいないって思ってたんだよね」 言葉を紡ぎながらガサガサと愛用のバックからポーチやら櫛やら色々出してくる。つーか、そんな小さいかばんにどれだけ詰まってるんだ。 目の前に手のひらくらいの大きさの鏡を置いた。頭の天辺で適当に結んでいたゴム紐を抜くと彼女の細い指が髪を梳く。白くて細い指だ。手だって私より一回りも小さい。 「小平太、カーディガン持ってる?」 「ジャージならある」 「ジャージじゃあちょっとなぁ」 あれ?さっきまで不思議な男の話をしていたはずなのに。何故こうなった? 伊作の手は相変わらず忙しなく動いていて、あっという間に綺麗なお団子を形作った。器用だなぁと思う。 「ジャージは脱ごうよ」 僕が脱がす、と言わんばかりの勢いに、それはちょっとなぁと思い慌てて足から抜いた。 「ちょっと立ってみて?」 伊作の手が腰に伸びてきて少しギョッとした。 適当にウエスト部分を織り込んで短くしていたスカートを戻していく。綺麗に整えてから、綺麗な細い指が一つ二つとスカートを折っていく。 スカートの長さを調節したいらしい。 あーでもないこーでもないと唸っている。そうか、世の女子は毎朝こんなことをしてるのか、なんか面倒だな。 「小平太は足綺麗だから見せたほうが良いよー」 綺麗なのは伊作の足だろうが、とはいわないでおいた。 上着代わりにしていたジャージは寒いので脱がないでおく。だってカーディガンなんて持っていない。 伊作が、今度は服も見に行こう、と嬉しそうに言うので、そうだなぁ、と暈して返した。伊作が嬉しそうにしているから、嫌だなんて野暮なことは言わない。そういえば、伊作とは女の子らしい会話なんてしたことがなかった。伊作からも、もちろん私からもない。 もしかしたら伊作はずっとこんな会話を望んでたのかなぁ。でも伊作は他の女友達とこういうことをしてたし、それで満足してるかと思ったんだ。伊作が喜んでくれるならこういうのも悪くないのかもしれない。 伊作の着せ替え人形になって数分、張り切って色々するもんだから、変化を感じ取ったクラスの女子達が屯って来た。伊作の手は髪から制服、そして今は顔に移っている。 わー、かわいい。元が整ってるもんねぇ。なんて女子の声が聞こえてくる。正直目を瞑った状態なので何がなんだかわからない。ただ、声の感じと気配でこっちに向かっていっているんだろうとわかる。 「できたよ」 目を開けて、と伊作に促され鏡を覗き込んでみる。 誰だ、コレは。 目をぱちくりさせていると伊作が、お化粧だよ、と笑った。 そうか、コレが化粧か。世の女子はこんなことを毎日しているのか、すごいな。すごいというか、元の顔がないんじゃないか?と思ってしまう。 「七松が色気づきやがった」 対角線上にいるクラスの、ええと、誰だっけ?わからないけど、そいつが薄ら寒い笑を浮かべながら揶揄している。 誰だろう、が前面に出ていたんだろうか。伊作がこっそりと、入学したばっかの頃に小平太が殴った人、と教えてくれた。 そうそう、そんなこともあった。伊作はやんわりと何度も何度も断ってたのにしつこく言い寄ってたから、いいかげんにしろ!って一発殴った奴だ。しかもパーじゃなくてグーで。更に言うと朝の昇降口でだ。人の行きかうそんな場所でそんなことをしたら当然のことだがちょっとした騒ぎになったし噂だって流れた。暴力女がどうとかではなく、どちらかというと、女に殴られた腰抜け優男、みたいな噂だった気がする。 結構騒がれたが自分としては悪い事をしたと思ってなかったのでさして気にも留めていなかったが。 そいつはちょっとキモくね?と嫌な笑を浮かべている。 なんだ、あいつは。ろくに交流もないクラスメイトのことなんてほっとけば良いのに。もしかして殴られたことを根に持ってるのか。だとしたら男の風上にもおけないな。 …とはいえ、この自分は自分でもちょっとらしくなくてちょっとキモいなぁと思ったばかりなので、奴の戯言は右から左に流しておく。相手にするだけ無駄だ。 また喧嘩をすると思ったのだろうか。伊作が不安げに見詰めてきた。 「言わせておけば良いよ」 そういえばお弁当が途中だったと思い出し席に座りなおす。 「小平太、いいの?」 「なにが?」 「好き勝手言わせて」 気に食わないと伊作は頬を膨らませる。 ああ、伊作は優しいなぁ。うん、すごく優しい。優しくて可愛い。 「小平太はすっごい可愛いんだから。自信もってね!」 別に気にしてないけど、伊作の気持ちは有難いので素直にお礼を述べた。伊作は可愛いだけじゃなくてものすごい友達想いだ。すごく優しい子なのだ。自慢の友達だと思う。 大好きだなぁ、抱きしめたいなぁ、と思い飛びつこうとした瞬間、ガラリッと乾いた音が室内に響いた。 「…潮江文次郎はいるか」 現れたその姿は見間違うことはない。昼食開始当初話題に挙がったあの人物だ。 こうして人のあふれる場所にいると余計にわかる。すごい長身だ。頭一個分くらい違うんじゃないだろうか。何食ったらそんなでかく育つんだろうか。 「文次郎ならいないぞ。多分、委員会とかだと思う」 「…なら伝言を頼む」 「わかった」 内容は簡単だった。図書室の本を返せ、それだけだ。どうやら延滞しまくってるらしい。 ということはこの男は図書委員なのか。そういえばあの時も分厚い本を持っていたなぁと思う。 文次郎とは掃除班が一緒だった。妙に馬が合ってそこそこ仲良くやっていると思う。テストのたびにやれ勉強しろ、この点数は何だ、と一頻り怒鳴られるが良い奴なんだろう。それにしても延滞とは。図書委員自ら出向いてくるって事は相当長いこと借りっぱなしなのか。しょうがないやつだなぁ。 ああ、そういえば、と伊作との会話を思い出す。こいつを下敷きにしたんだった。体は大丈夫だったんだろうか。 「なあ、大丈夫だったか?怪我してなかった?」 「…なんのことだ?」 「何って、ほら、前に木の下でさぁ」 上から落っこちただろ、と話しても彼には何の事だかさっぱりわからないらしい。目の前に本人がいるのに何でわからないんだ! ああでもないこうでもないと覚束ない説明に業を煮やした伊作が、覚えてませんか?と私の後ろからひょっこりと姿を現した。 伊作の姿に合点がいったのか、ああ、と呟く。なんだ、私じゃわからなくて伊作ならわかるのか。伊作が可愛いから覚えていたのか。なんだか腹立たしい。 「…雰囲気が、違うからわからなかった」 「あ、今お化粧してるからだと思います。でもそこまでバッチリしてないんだけど」 「そうなのか」 正面から見据えられて正直ドキッとした。大体にして見下げられると言うことがほとんどないので変な感じがする。どきっていうかビックリっていうかむず痒いっていうかなんというか。よくわからないけど。 「寒そうだな」 服を指差されて、伊作に弄られたままだったなぁと思い出す。スカートの長さは朝から大して変わってないが、ジャージを取られてしまったので足元がスースーしてたまらない。太ももが露になってる短いスカートは男子の目から見たらそりゃあ寒かろう。実際問題寒いし、世の女子は強いなぁと感心すらしてしまう。やっぱりジャージ穿こうかなぁ。 「ちょっと待ってろ」 目の前の男は踵を返すと何処かへ行ってしまった。 待ってろってどういうことだ。何を待つんだ。 しばらくすると男は戻ってきた。手にしたブラウンのセーターを私の前に突き出して、洗ったばかりだから、とそれはそれは消え入りそうな声で言った。我ながらよく聞き取ったと思う。視力もそうだが耳だって別に悪くはない。伊作だって多分そうだ。遊びに行く部屋で流す音楽はいつだって小さめなのだから。なのにこの男の声はどうも伊作には届いてないらしい。会話を続けると伊作が不思議そうに首を捻った。 「えー、貸してくれるのか?使っちゃっていいの?」 「委員会でしか使ってないし、今日はないから問題ない」 「ありがとう」 にっと笑って男の腕からセーターだけ頂くと、タイミングを見計らったように予鈴が鳴った。 了 ------------- 2010/9/5 title:確かに恋だった →3 back |