キミに溺れて窒息死 * 5

(長次視点)



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銀色の無機質なそれを穴に差し込んだ。中で噛み合ったのを確認して右側に回す。ガチャンと音を立てると鍵はあっさりと開いた。
図書室の奥にあるカウンターを目指して足を進める。
デスク状になっているカウンター内側、定位置に鍵を引っ掛けると重苦しい黒の学生服を脱いだ。


図書室の静けさは非常に心地がよい。
元来本好きなのも高じて四年連で続図書委員を務めている。中学よりも広い図書室だがその分埃もまた多い。学生服につくのは面倒だとセーターを持参し始めたのはいつからだったろうか。
茶色のセーターを見つめる。
本日手元に戻ってきたそれはいつもと違う石鹸の香りがした。まさか丁寧に洗濯までして返してくれるとは思わなかった。
セーターに袖を通すと、体育館に面した窓を開け放つ。澄んだ空気が心地よかった。

七松小平太を初めて見たのはこの図書室の窓からだった。部活に励む彼女の一生懸命な姿と、休憩時間に談笑する彼女の笑顔が妙に印象的で気が付けば目で追うようになっていた。背が高い女子だなと思ったが、彼女の所属しているバレー部の女子は揃いも揃って高身長だったのを思い出し、そういうものかと一人納得した。そのうち何度か廊下ですれ違った彼女は常にジャージを穿いていた。最初のうちは寒いからかと思ったが、夏になっても変わらず穿き続けてるので不思議に思ったが、常に走りまわってる彼女を見て、単に利便性なのか、と一人結論を出した。
別に特別可愛いわけではない。日に焼けた肌は小麦色だし、例えば仙蔵のように美人と言うわけではない。けれど向日葵が咲いたようなあの笑顔は確実に周りを幸せにし、そして自分を引き込んでいった。
特別な理由があったわけではない。
けれど、小平太がとても気になったのは確かだ。


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夏休み前に借りた本を冬の寒さが身に凍みる頃合になっても一向に返しに来る様子のない文次郎に、実力行使とばかりに教室まで出向いたのはつい先日だ。念の為に言っておくがそれまでに文明の機器を利用して何度となく催促した。そのたびに奴は、ちゃんと返すとお決まりの台詞を吐いては裏切ってきた。
さすがにこのままではまずい。本は文次郎のためだけにあるんじゃない、他に借りたがっている人間だっているのだ。
意を決して潜った教室の先にはお目当ての人間はいなかった。はて、クラスを間違えたかと思ったが代わりに扉の前に来た背の高い女子が席を外してるんだ、と教えてくれた。
青みの強い黒髪で頭の上に大きなお団子を作った彼女の顔を見る。なんだか何処かで見たことがあるような気がする。けれど思い出せない。どこだろう、どこだっけ。そんな疑問だけが頭の中をグルグルする。けれどここで「何処かでお会いしませんでしたか?」と問うのもなんだかナンパをしているようで嫌だったから、疑問は疑問のまま胸のうちに留めておくことにした。

そして最初の目的へと戻る。文句を言いたくとも本人がいないなら仕方ない。また出直そう。
そう思い教室に戻ろうとした瞬間。

「なあ、大丈夫だったか?怪我してなかった?」

彼女が言葉を投げてきた。
怪我?怪我とは何だ?怪我をするような状況下で彼女と会ったのか?
―――答えは否だ。
少なくとも目の前の彼女とは遭遇していない、はずだ。



怪我と言えば…と思考を巡らす。
学年合同のオリエンテーリングがあった日のことを思い出した。
オリエンテーリングとは名ばかりで、先生方の有難い言葉を頂戴するだけの授業だ。それが終われば自習と言う名の自由時間へと早変わる。暇つぶしにと借りたばかりの英字だらけの古びた本を脇に抱えて目的地へと向かっていた。
多目的室まではニ階の渡り廊下を使っていく。渡り廊下からは中庭がよく見えた。なんとなくでその窓から下を覗くと、中庭の大木の枝に腰を下ろす影が見えた。
スカートの裾からジャージが見えた。ああ、あの子は。
認識した瞬間、足が動いていた。

中庭にそっと潜り込むと変な動作にならないよう気をつけて木の側に寄った。彼女の背後、近づき過ぎないその位置に腰を下ろすとごろりと寝転がる。ふと目を開ければ視界の端に木の緑に混じって黒い髪を捉え、このままでは平常心でいられそうにない、と持参していた古書を適当なところで開いて顔の上に乗せた。
声をかけようとか話がしたいとか、そんなことは思わなかった。明るい彼女と無口でボキャブラリーの欠ける自分では住む世界が違うと割り切っていたからだ。ただこうして彼女と同じ景色を見れたらそれで良い。それだけで十分満足だった。

どのくらい時間が経ったんだろうか。小平太を呼ぶ声が耳に入った。彼女の声も聞こえる。
ああ、授業に戻るのか。まぁそれが学生の本分というものだから当たり前なんだが。
俺もそろそろ戻るか、そう思い至った時だった。

わぁっ!という声と共に腹の辺りに衝撃が走った。顔に乗せていたはずの本が消えて、変わりにふさふさしたものが頬を掠める。
なんだ、なにが起こったんだ。
ぱっと目を開ければそこには思い焦がれた彼女がいた。状況がつかめなくて急いで身を起こすと不自然にならないように、平静を装いながら持ち物である本を探す。本は意外とあっさり見つかった。

「おい、大丈夫か?」

話を聞けば彼女は木から足を滑らせたらしい。
ああ、自分が居て良かったと安堵する。背中から地面に落ちては、いくら運動神経の良い彼女とはいえ無傷というわけにはいかなかっただろう。
こんなチャンスは滅多にない、と常日頃からの疑問がうっかり口から飛び出ていた。目の前の彼女は盛大に顔を顰めている。
失敗したな、と思った。今日ほど言葉の引き出しが少ないことを呪った日はない。どうしたものかと思いを走らせていると彼女は声を張った。

「木の上は気持ちいいからだ」

視線を僅かに木に向ける。
身長よりも高いこの木から見える彼女の世界はどんなものなんだろう。ニ階の狭い窓から覗くよりずっとすっと開けた世界なのだろう。これが彼女の世界。
純粋に見てみたいと思った。同じものを見て、感じたいと思った。そんなことが出来たらどれだけ素晴らしいか。でもそれは結局自分の独りよがりなんだと気づき、心が冷えるのを感じた。
自分より少し低い頭に手を置くとそっと撫でる。

「…次は気をつけろ」

自分に言えるのはこのくらいだった。


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そして小平太の顔を思い描く。そういえば、このお団子少女は小平太に似ている気がする。声も。でも小平太はこんな顔だっただろうか。纏う雰囲気も違えばトレードマークのジャージも穿いていない。
うんうん悩んでいると、お団子少女の脇からひょっこりと茶髪少女が現れた。彼女は見たことがある。確か小平太と常に居る子だ。…ということは。
お団子少女に向き直る。
ああ、この子は小平太だ。

あまりの変貌振りに度肝を抜かれた。もちろん顔には出さないが。
化粧をしたといっていたが、きついアイラインを引いてるわけでも色の濃い口紅をしているわけでもない。控えめに塗られたマスカラに軽く桃色のリップ、そして綺麗に結わえたお団子があるだけだ。ほんのちょっとの変化なのに女の子とはこうも変わるものなのか。
普段の小平太だって十分に可愛い。けれど、目の前に居る小平太はもっと可愛いと思った。
普段はジャージに覆われている太股が露になっていて正直目のやり場に困る。日に当たっている手や顔より幾段か白いそこはほっそりとしていて、健康な高校男子としてはあらぬ妄想をしてしまう。もう少しスカートを長くしてくれ!と思わずには居られない。

零れ落ちるんじゃないかという大きい瞳に映った自分の姿で我に返った。

何を見つめているんだ、俺は。
まずいなと思い、この間のような失敗がないように慎重に言葉を捜す。

「寒そうだな」

出た言葉は何の面白みも持たなかった。
けれどそう思ったのは本当で。この寒空に彼女は薄っぺらいジャージを羽織っただけだった。
確か今日は持ってきてたはず、と気が付き、小平太に少し待つように促した。
早足でロッカーに向かう。この時間さえもなんだか惜しい。目的のものを引っつかむと来た道を引き返す。そして律儀にも扉の前で待っていてくれた彼女にこのセーターを差し出したのだ。


まったく、恋と言うのは人を変えるものだと思う。
俺は確実に七松小平太に恋をしていた。





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2010/9/5

長次がストーカーくさい。
(すみません)


title:確かに恋だった


→6

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