ワンクッションという名の注意書き。

*これの続きです。
*にょたパロです。
*長こへです。
*非常に中途半端です。


大丈夫な方は下スクロールでお願いします。
後味の保障は出来ません。


























ふっと仰ぎ見た空は、真夏のプールを思わせるくらいきれいな青を広げている。常なら気持ち良いと思うその色でさえ、今の小平太にとってはいっそ憎憎しい。空とは対照的に、小平太の心はひどく落ち込んでいた。

まだ明るいのに、帰路についてるなんてすごく変な感じだった。一週間前なら放課後は体育館に一直線だったのに、なにやってるんだろうと思う。重くなるばかりの気持ちを吐き出すように溜息をついた。
部活だけじゃない。あの日から、体育だって休んでいた。けれど、休みたくて休んでるわけじゃない。むしろ体を動かしたくてうずうずしてるくらいで、今だって走り出したい衝動を抑えてるのに必死だった。





もやもやした思いを腹の奥に抱えながら、冷たいアスファルトを踏みしめるように歩く。慣れ親しんだ駅までの道のりは、心なしか重く、長く感じた。

女なら誰でも経験する月に一度の面倒なアレが来なくなってから、少なくとも一ヶ月と二週間以上は経っていた。いつもなら面倒くさいくらいしか感じなかったそれを、ここまで待ち望む日が来るとは夢にも思わなかった。
はぁ、と短く息を吐く。いい加減、このループから抜け出したい。それだけを、切実に願っていた。


ドラックストアで買った箱は、一週間たった今も開封できないまま、鞄の底にひっそりと沈んでいる。

「ちゃんと、調べたほうがいい」
伊作だけでなく、文次郎にまでそう言われてしまった。いつまでも考え込んでないで、さっさと試して結果を見たほうがいいってことは、小平太自身もよくわかっていた。恐怖の一分を乗り越えれば、一発でわかる。さっさと済ませてしまえば、袋小路でぐるぐるすることもなくなる。打開策を考えることだって、出来るかもしれない。
それでも、「明日には来るんじゃないか」と神頼み的な希望を抱いてしまうのも確かで、どうにも一歩が踏み出せなかった。

だって、怖いじゃんか。
らしくもなく、そんなことを思う。

後ろ暗いことがなければ、んなわけないだろ、ってさくっと済ますことだってできた。躊躇うことなんてなかった。けど、現実は違う。身に覚えがありすぎて、もしもの可能性が大きすぎて、できれば迫る現実から目を背けたかった。…いや、まだ可能性の段階だけれど。

十七年の短い人生の中で、こんなにも恐怖心を抱いたことなんて一度もなかった。
身長が腰丈しかなかった幼いころ、近所の小学生に囲まれたときも、足を滑らせてベランダから落ちたときも、試合で競ってるときも、こんな風に怖いと思ったことはなかった。長次と長次の後ろにあった天井を眺めたあのときですら、怖いなんて感じなかった。なのに今は、言いようのない不安が全身を覆って、真っ暗闇な世界に放り込まれたみたいに右も左もわからなかった。
正体の掴めない何かが背後から手を伸ばしてるみたいで、嫌な感じが背中の辺りをぞわりと撫でる。それを振り払いたくてしょうがないのに、空気みたいなそれはどれだけもがいても消えてくれなかった。



伊作に言われて、はじめて気がついたことがある。
あのとき、ちゃんと避妊してたかどうかだ。

呆れられるとわかっていたから伊作にだっていえなかったけれど、長次に抱かれたあの日のことはほとんど覚えていなかった。最初から最後まで全部が夢見心地で、記憶と呼べるようなものはほとんど残っていない。思い出せるのは、長次の部屋の天井と照明、最初に見上げた長次の顔くらいで、他のことはぼんやりとしか頭に残っていなかった。それでさえ、どこか他人事のような記憶で、今更ながら、何やってたんだろう。と痛みを訴えはじめたこめかみをぐっと押さえる。

長次の顔が近かったこと。そのくらいしか覚えていないなんて、なんて馬鹿なんだろうと思う。肝心な部分の記憶がすっぽり抜けていて、まさかなぁ。と思いつつも、否定する材料のほうが少ない現実に、両手を挙げて降参するしかなかった。

「小平太、」

背後から声とともに右腕をつかまれて、口から心臓が飛び出るかと思うくらいにびっくりした。ひぃっと肩が大きく跳ねる。
聞き覚えのある声。自分よりもずっと大きな手。長い指。見なくたってわかる。これは、この手は。

蝋人形のように、固まって動けなかった。そんな小平太を促すように、また「こへいた、」と名を呼ばれる。腕を引かれる。
観念するしかなかった。油の差してない自転車みたいに鈍い動きで、ゆっくりと振り返る。掴まれた腕の先には、やっぱり長次がいた。

「…な、なに?」
「……避けてるだろう」

俺のこと。と、ずばりと突きつけられて、言葉に詰まった。疑問に思ってるのではなく、確信してるといった長次の双眸は強く、全く揺るがない。


長次の事を避けていたのは事実だった。文次郎に、長次のことを知られたくなくて、手っ取り早い方法として、会わなければいいと徹底的に避けまくっていたのだ。
中学時代から知り合いらしい二人がどれだけの仲なのか、聞いたことも聞かされたこともないから実際のところはさっぱりわからない。それでも、あの文次郎のことだ。話もよく聞かず、全面的に長次を悪者にして詰め寄るくらいはしそうだと、背筋が寒くなる。
それに、自分のことでいっぱいいっぱいで、長次の顔を見たら全部ぶちまけてしまいそうで、怖くて会えなかったのも少しはある。まだ確定してない事実は言いたくない。
長次にだけは、心配も、迷惑もかけたくない。だから、会いたくなかった。

「そ、そんなこと、ない…ないぞ…」

これまた、ぎしぎし音が鳴るんじゃないかってくらいぎこちない声が出る。おまけに、まっすぐに射抜く長次の目に耐えられなくて、うっかり視線までそらしてしまった。

馬鹿か、わたしは。これじゃあ、「嘘です」って言ってるようなもんじゃないか。

長次もそう取ったようで、眉間に刻まれたしわが深くなる。腕を掴んだ指が、ぎゅうっと強くなる。

「…嫌いになったか」

長次の言葉に、はっとした。自分のことで頭がいっぱいで、長次がどう思うかまで頭が回っていなかった。長次がそんな風に捕らえる可能性を欠片も考えてなかっただけに、体の芯がすうっと冷えていく。
とっさに、「ちがう!」と大きく声を張り上げた。

ちがう。そうじゃない。そんなわけない。
けど、本当のことも言い出せない。

どう言い訳していいのかもわからず、口を開いたものの、そこから言葉が出ることはなかった。

ドラックストアの一件のときにも感じたけれど、本当にとっさの言い訳が下手だと痛感した。嘘がつけない。といえばまだ聞こえは良いけれど、本当のところはただの馬鹿正直なんだと思う。相手のことを想うなら、傷つけない嘘くらいつければ良いのに、どうしてもそれができない。何を言っても白々しく聞こえそうで、言葉は全く出てこなかった。

長次が一回、息を吐く。

「なら、なぜ避ける?」

腕の拘束が、さらにきつくなる。ぎゅうっと握りこまれて、ぐらぐらと心が揺らいだ。

「嫌いになったなら、そう言え」

でなければ、諦めがつかない。
最後の方は尻すぼみだった。絞り出すようなその声に、真綿で首を絞められるみたいに苦しくなる。

そんなわけないだろ。嫌いになんて、なるわけないじゃないか。むしろ、好きすぎてどうしていいかわからなくなるくらいなのに。

でも、喉の奥に焼け付いてしまったみたいに、言葉は出てこなかった。





『小平太だけの問題じゃないだろ』

相手にもちゃんと話せ、と文次郎には念を押されていた。確かにそうかもしれない。二人でしでかしたことなんだから、長次にだって言うべきなのかもしれない。長次だって、知るべきかもしれない。

けど、もし、もしも、万が一、出来ていたとしたら。そう思うと、一気に冷えた空気に襲われた。

そうなったら確実に、長次に迷惑をかけることになる。優しい長次はきっと、責任を感じて心を痛めるだろう。何度も何度も謝って、もしかしたら一生をかけて償うとか言うかもしれない。長次にはこれから無限大の可能性がある。夢だってあるかもしれない。それ全部を、自分のせいで捨てるようなことになってしまったら。それは、いやだ。絶対に、そんなこと、してほしくない。強くそう思った。

けど、もし本当に出来てたら?
自分ひとりでどうするつもりなんだ?

親のすねをかじってるただの学生の分際で、どうにかできる問題じゃないこともわかっていた。もしそうなったら文次郎に問われたみたいに、「相手は?」という話になるのだって目に見えている。そして、文次郎のときみたいに、はぐらかしてすむわけないこともわかってる。追求されて、最終的には長次にだって、迷惑をかけることになる。何も知らずに、急にそんなことになったら、どれだけ長次の負担になるか。そんなことは小平太にだって察しはついた。

「……ちょうじ、」

滲み出した視界に、まとまらない思考。
言うべきか、言わぬべきか。言ってしまいたい、でも言いたくない。

相反する気持ちが幾度となく襲ってくる。どうしよう。どうしたらいいんだろう。わからない。わからないけれど、自分ひとりで抱えるのは、もう限界だった。

「…わたし、」
「はっきり言ってくれ」
「……こない、んだ」
「…え?」

脈絡のない小平太の言葉に、困惑してるのが触れた皮膚ごしに伝わってきた。どちらかといえば、直感で生きる小平太に、気の聞いた言葉選びなんて出来ない。どう伝えればいいのかもわからず、出てくる言葉だけをそのまま口にする。

ごめん、ちょうじ、ごめん。わたし、どうしたらいいか。ぜんぶ、わたしのせいなんだ。わたしがわるいんだ。ごめん。ごめん。

あの雨の日、何も考えずのうのうと服を脱いだ自分。なんて馬鹿だったんだろうと、今更のように思った。
あの時、「怖くないのか」と言ったのは、きっと長次の優しさだった。普通のおんなのこが持つ、普通の感覚ならきっと「こわい」と言う場面だった。そう言うべきだった。そしたら長次は、「もう馬鹿なことはするな」って叱ってくれて、それで終わったのかもしれない。何もなかったかもしれない。なのに、それを見事に踏みにじってしまった。長次のせいいっぱいの牽制をスルーしてしまった。
今ならわかる。長次は自分が襲ってしまったと、ひどく気にしていたけれど、本当のところは違う。わたしが煽って、長次をけしかけたんだ。全部全部、わたしが悪いんだ。

他の言葉を忘れてしまったみたいに、「ごめん」だけを繰り返す。そんな小平太の肩を、長次がやんわりと包んだ。

「落ち着いて、順を追って話せ」

久しぶりに聞いた優しい声色は、じんわりと心に染みわたった。

「こないって、何のことだ?」
「………」

消え入りそうな声で、「…せいり、が、」と引っ張り出す。
もっと、オブラートに包んだ言い方が出来ればよかったのに。普段からそんな気遣いはスズメの涙ほども出来ない小平太に、そんな芸当は試験で満点を取るよりも困難だった。

言葉に張りついた裏の意味を、しっかりと汲み取ったらしい。長次が息を飲んだのがわかった。

思い当たる節はあるからなぁ、と視線をつま先へと落とす。
長次の第一声が、怖かった。

追い詰められたときこそ、人間の本性が現れると言う。
もし、長次の口から、こちらの不安を全否定するような言葉が出てきたら、どうしよう。どうしたらいいんだろう。嘘だろう。とか、ふざけるな。とか。試すようなことをするのは大っ嫌いで、長次もそれをわかっているはずなのに、そんな風に疑われたら二歩足で立っていられるかどうかでさえ危うい。おまけに、堕ろすだろう?なんて言われたら、それこそ立ち直れないだろうと思った。無責任に、産んでほしい。なんて言われたって困るけれど、結論を押し付けるようなことはしてほしくなかった。

長次がひどく動揺していることが、繋がった腕越しに伝わってくる。すっかり言葉を失った長次に、申し訳なさでいっぱいになった。

「でも、わかんない。周期なんて、ちゃんと覚えてないからさ。ただの、気のせい、かも」

だから、長次は気にするな。
そう言う前に、ぎゅうっと長次に抱きくるめられてしまった。びっくりするくらい強い腕が背中に回る。

おい待て。なにするんだ。ここは公道で、通学路で、住宅街で。いつ誰が通るか、わからないんだぞ。誰に見られるかもわからないのに。なのに、こんな、こんな。

そう思うのに、言いたいことはいくらだってあるのに、ぴったりくっついた長次の腕の中は心地よくて、突っぱねるような言葉は、白い息とともに消えてしまった。

「大丈夫か?」
「……なにが?」

その問いに長次は答えてくれなかった。かわりに、自分が巻いていたマフラーを、小平太の首にぐるぐると巻きつける。しまいには自分の着ていたコートまで肩にかける始末だった。意図が読めなくて、「ちょうじ?」と見上げる。一瞬だけ目が合って、それからまた、ぎゅうっと引き寄せられてしまった。

北風がぴゅうっと吹いて、スカートがパタパタと揺れた。
長次のマフラーも、コートも、小平太の体に掛けられている。制服姿の長次は想像しただけでも寒そうで、馬鹿だなぁと思った。

馬鹿だなぁ、長次。わたし、ちゃんとコート着てるのに。これじゃあ、長次が寒いだろ。風邪ひいちゃうだろ。

そう思ったのに、長次が耳元で、「体を冷やすのは、毒だから、」なんていうもんだから、何も言えなくなってしまった。

「一人で悩ませて、すまなかった」

自分よりもずっと大きな手のひらで、背中をやわく撫でられる。耳元からダイレクトに伝わる声は、やわらかくてあたたかかった。
じわじわと熱いものがせりあがって来て、生温かいものが頬を伝った。そこで初めて、泣いてることに気がついた。

本当は、ずっとずっと、不安だった。でも、不安だなんてことは口が裂けてもいえなくて、悟られたくなくて、平気平気って笑ってるのはずっと辛かった。平気なわけない。怖くないわけない。ずっと、押しつぶされそうだったんだ。

「ちゃんと、二人で考えよう。二人にとって、一番いい方法を、」

長次の言葉に、冷え切っていた体がちょっとづつ体温を取り戻す。真っ暗だった世界に、光が燈ったみたいだった。













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2010/12/16


リクエスト内容
「彼女とは健全なお付き合いをさせていただいています」の続き



リクエスト、ありがとうございました!




title:確かに恋だった



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