もう勘弁してくれ。

カーテンを引かれ薄暗くなった部屋で、ぼんやり浮かぶテレビ画面の光を感じながら、あまりの居心地の悪さに長次は心の底からそう思う。
長次がいるのは正真正銘紛れもない自分の家の自分の部屋で、肌になじむほど慣れた親しんだ空間だ。毎日寝起きして、課題をこなして、大好きな本を読む。自分のプライベートが詰まった場所である。なのに、耳を塞いで抱え込んだ自身の膝に突っ伏したい、……いや、いっそ布団に潜りこんで団子になるか、はたまた脱兎の勢いで部屋から逃げ出したい。そんな気持ちでいっぱいで、この苦行の元凶ともいえる幼馴染を一ミリも見れないまま、こっそりと奥歯を噛んだ。




事の発端は三十分ほど前だ。放課後の図書委員の勤めをこなし、本日発売の新書を買って意気揚々と帰宅すると、なぜか玄関前に小平太がいたのだ。

まだ自宅に戻ってないのか、足元には愛用のエナメルバック。そして小平太自身も、学校指定の制服を纏ったままの姿だった。
ちょうど衣替えの季節を迎え、夏仕様に変わった紺襟のセーラーは、白く眩しい。そして、頼りないなあと思う。薄くなった布地の部分から、うっかり透けてしまいそうな、そんな錯覚が腹のあたりにゴロゴロとしていて、自分のブレザーを頭のてっぺんからかぶせたい。そんな衝動に駆られる。

「長次、おそい!」

すごく待ったんだぞー、と、ヒマワリの種を頬張るハムスターのように頬を膨らませて、小平太が拗ねる。その姿のどれだけ愛らしいことか。けれど、ちょっと待て。ここは私の家だし、私とお前はただの幼馴染という間柄だ。そんなこと言われる筋合いはこれっぽっちもない。
心の中でもっともらしい毒を吐きつつ、特別っぽい小平太の言葉に自然と心が躍る。口元が緩む。


仲のいい近所の友達だった小平太に、淡い恋心を抱き始めたのはいつの頃からか。
一人の女の子として意識し始めたきっかけすら忘れてしまうほど、もう随分と長いこと恋焦がれている気がする。

じゃじゃ馬っぷりも、女とは思えないほどの豪快さも、幼稚園の黄色い帽子をかぶっていた頃から少しも変わっていない。けれど、年齢を重ねるととも、時折垣間見えるようになった女の子らしさの見える仕草だとか、女性らしく曲線を描き始めた体のラインだとか、いつの間にか逆転した身長差だとか。それらに、こちらがどれほど心を乱されているのか、小平太はきっと知らないし、気づく素振りもない。そして、こちらも一生教える気などない。
保守的すぎるとなじられようと、変に気持ちを吐露してぎくしゃくするよりも、苦しくても今の位置をキープできた方が、数倍いい。今のままが、いい。

このままで十分だと自分で自分に暗示をかけ、傍若無人な幼馴染の世話を焼くいい友人の顔を貼りつける。そうして仕方ないというスタンスを取りつつ、長次は本日も小平太を部屋に招くのだった。



こうやって小平太を部屋にあげるのは、なにも今回ばかりではない。それこそ中学の頃は勉強から逃げまくりの小平太を捕まえては、自室で強制的に受験勉強させたものだった。
今だってテスト期間が近づけは自然と部屋に呼ぶ回数は増えるし、そんなことはなくても、ゲームしようだとか、CD貸してくれだとか、なんやかんや理由をつけて小平太が部屋に訪れることも多い。アポイントもなしに突然、しかも、ノックもなしに。そうして小平太は好き勝手に長次の部屋に乱入し、居座り、嵐のように帰っていく。それが常だった。だから、見られて困るようなものは当然置いていないし、小平太がいて都合が悪いということもない。はずだった。今日までは。




玄関の戸を開くと、小平太は一直線に長次の部屋に向かう。それを見届けてから、長次は客人をもてなすためのお茶を用意すべく、台所へと足を進めた。
若者が好むような炭酸飲料の類は、冷蔵庫のラインナップに存在しない。なので、いつも通りの緑茶を、二つの湯呑に注ぐ。それらを煎餅を持った菓子皿と一緒に盆の上に並べ、階段を上がった。

長次の部屋は二階の角部屋になる。家の一番奥と言ってもいい。短い廊下を進んで突き当たった扉の前、自分の部屋なのになんだか腑に落ちないと思いつつ念のためノックをすると、中から威勢のいい「どうぞー!」が返ってくる。


まったく、どっちの部屋なのかわからないな。

小さく溜息を吐くと、長次は小平太の待つ部屋へと足を踏み入れた。






「…………なんだ、これは」

扉を開くと、なぜか部屋の中は真っ暗だった。いや、真っ暗と呼ぶには語弊がある。正確には、薄暗かった。
家の北側に面した長次の部屋は、お世辞にも日当たりがいいとは言えない。けれど、それを差し引いたとしてもなんだか薄暗かった。

ちらりと視線だけで窓を見やれば、ご丁寧にぴっちりと引かれたカーテンが視界に入る。無論、明かりもついていない。自然と眉間に皺が寄る。相手の姿が見えないほどの暗がりではないけれど、決して過ごしやすい環境とは言えないし、目が悪くなりそうだ。
盆を手にしたまま、片手で蛍光灯のスイッチに手を伸ばすと、小平太から制止の声が上がった。

「だめだめ! 今からビデオ観るんだから!」

ああ。だからこの暗さなのか。と、合点がいったものの、だったら自分の家で観なさい、という言葉もせりあがってくる。それを言葉にする前に小平太が、こちらを見ないまま「わたしの部屋、テレビないし、居間じゃ観れないからさー」と呟いた。

このままお茶の乗った盆を足元に置くのは危険と判断し、学習机に預けると、テレビの前で荷物を広げる小平太の傍に寄る。
ぺたりと床に座る小平太の足元には、やたらと大きい茶色の紙袋があった。どうやらこの中に目的のDVDが入っているらしい。近所のレンタルショップで何かしら借りてきたのかと思ったのに、まったく予想外で一体何を観るんだろうと興味半分恐怖半分である。それでも家で録画した番組か、はたまたバレーの試合の録画だろうと勝手にあたりをつけ、小平太の背後にあるベッドに腰を落ち着けた。

「ねえねえ、長次ー」
「……なんだ」

ふさふさと揺れるポニーテールをぼんやりと見つめながら、生返事を返す。

「長次は、巨乳とスレンダーと、どっちが好き?」

 小平太から飛び出した爆弾発言に、うっかりベッドから滑り落ちてしまった。咄嗟に手を着くことすらできず、まるで漫画かコントのように、顔面から床に激突する。目の前にいくつかの星が散る。そんな痛みに悶絶しつつ、けれど、そんな痛みなどどうでもいいと思えるほど、小平太の質問の方が衝撃的だった。

「………………よく、聞こえなかったんだが、」

空耳であることを願いつつ、床に突っ伏したまま問う。
頼む。頼むから、私の聞き違いであって欲しい。いや、聞き違いであってください。お願いします。
心中で床に頭がつくほどの土下座を繰り返す。しかしながら、切に願った長次の願いは、悲しいほど無残に打ち砕かれてしまった。

「だーかーらー。巨乳とスレンダーだって。長次はどっちが好み?」
「…………」
「じゃあ、女子高生と女教師とナースだったら?」
「…………」
「あ、もしかしてシチュエーションとかにこだわる方? ドラマ仕立ての方が好き? てか、やっぱノーマルにホテルがいいのかな。寝取り系とか痴漢ものとかもあるけど」

拘束系は苦手っぽいよなー、と聞いてくる小平太の声は大変可愛らしい。可愛らしいけれど、その質問内容はちっとも可愛くなかった。
だんだんと怪しげな単語が入り始めた小平太の質問に、嫌な汗が浮かぶ。「どう? どんなのが好き?」と迫られても、まったくと言っていいほど答えられないし、答えたくもない。

「…………お前は一体、なんの話をしてるんだ……」

返ってくる答えを何となく予想しつつ、こちらの勘違いであってほしい。そんな願いを込めて、小平太に投げかける。

「長次が好きなアダルトビデオの傾向聞いてるんだけど」

 ガンッ!

後頭部から鈍器でも振り下ろされたかのような衝撃に、またしても床に沈む。うつ伏せに床に倒れたまま、今度こそ起き上がれなかった。

本当にお前はなにを言ってるんだ! ふざけるな!
そんな怒声の代わりに、不恰好な笑いが零れる。口角が引き攣る。

なにが悲しくて好きな女に自分の性的趣向を暴露せねばならないのか。罰ゲームじゃあるまいし、絶対にごめんだ。

だんまりを決め込んだ長次に、小平太はやれやれと溜息を吐くと。

「もー。言わないならこっちで勝手に決めるからなー。後で文句言うなよー」
と言って、いつの間にか積み上げていたDVDの山を物色し始めてしまった。

暗がりのせいでタイトルははっきりと見えない。けれど、小平太の手にするパッケージには、不審な写真と文字が並んでいるような気がする。肌蹴ているというか、乱れているというか、ほぼ着ていないというべきか。裸に近そうな格好の女優が、グラビアよりもずっと過激なポーズで表紙を飾っている。その様相は、どこからどうみても十八歳未満お断りの大人のビデオだ。そこに先ほどまでの会話が一本の糸になって結びつく。

「…………ちょっと待て。まさか、観たいビデオというのは、」
「うん、アダルトビデオだけど」

ゴンッ!!

本日三度目の強打である。額がものすごく痛い。痛いけれど、今はそんなものどうでもいい。そう思えるほど、長次の心は焦りでいっぱいだった。
そんな長次の気持ちに気がついていないのか、はたまたわかっていて知らんぷりしているのか、小平太は呑気に「言わないなら適当に選ぶね。」と言って、プレイヤーにセットし始める。

いやいやいやいや、ちょっと待て! やめろ! 早まるな!

このままだと、二人でAV鑑賞に突入である。それだけは勘弁してくれと慌てて立ち上がる。

「観るなら一人で観ろ」

男同士ならいざ知らず、なにが悲しくて女と、それも片想いの相手とそんなものを観なければならないのか。
そこまで鑑賞を所望するなら、部屋くらいいくらでも明け渡してやる。貸してやる。好きなだけこの部屋で観るがいい。そのかわり、私のことは解放してくれ。
そう願うのに、まったく譲る気がないのか、小平太はそれを許してくれなかった。

「えー、長次も一緒に観ようよー」
「絶対に、嫌だ」

いやだ。の部分を一字ずつ切って強調する。なのに、小平太にはまったく通じないらしい。逆に「……絶対、だめか?」と、上目遣いで制服の裾をきつく掴んでくる始末だ。

昔から、この手の我慢比べで、小平太に勝てたためしはなかった。
幼稚園の頃、お昼寝前に読んでもらう絵本を選ぶ時も、どっちが先に滑り台をやるか喧嘩になった時も、常に勝者は小平太で、長次は連敗記録を伸ばしてばかりだったことを思い出す。そして小平太がダメ押しの「……わたし、長次と一緒がいい。」を繰り出してくる。

そのおねだりと、捨てられた子犬のような視線。それに弱いと知っていて、わざとやっているんだろう! 絶対に!

頭では分かっているのに、わかっていてもやっぱり突っぱねることができない自分に笑うしかない。
そうして本日も、長次は両手を上げて小平太に屈するのだった。





後編

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2013/2/22