震えた声」の続き





季節は夏へと向かっていた。
日も長くなったというのに朝晩は少し冷える。湯冷めしないように、と小平太に声をかけると長次は自分の布団へと潜った。
小平太に背中を向け瞼を閉じた瞬間、ちょっと話がしたいと何時になく真剣な小平太の声色が耳に届く。

寝るまでのちょっとしたお喋りの時間。今でこそ滅多にないが、低学年だった頃は良く興じていた。主に小平太が委員会でこんなことがあったあんなことをしたと面白おかしく語り、長次は大抵聞き役だった。
だから小平太の「話がしたい」は大概他愛もない笑い話だ。
なのに、耳奥に入り込んだ声色はいつもの明るさを潜めていて、長次は体温が下がるのを感じた。

体を反転させると少し離れた場所に敷かれた布団の中、鼻の辺りまで掛け布団を引き上げた小平太の目と搗ち合う。その瞳は揺れる水面のような脆さを孕んでいた。
長次はなるべく平静を装い、慎重に言葉を選ぶ。

「何の話を…?」
「話っていうか、話じゃないんだけど。でも長次としか出来ないことだ」

小平太にしては珍しく歯切れが悪い物言いだった。
長次と小平太にしか出来ないこと。それは一体なんだろう。
考えても考えても小平太の言わんとする事がわからなかった。喉の奥が焼け付いたみたいに熱くて、言葉が出てきそうもない。

「ここにいたという証を残そうと思うんだ」

そう呟いた小平太は、布団からゆっくりと起き上がった。
一歩、二歩、三歩と歩みを進めてくる。
狭い部屋だからたいした距離ではないが、部屋の端と端に敷かれた布団の距離は、長次にも小平太にもとても遠いものだった。見た目の問題ではなく、心の問題だった。

枕元に正座をすると、小平太の手が長次の頬を撫でる。小平太の手は日頃の鍛錬や委員会での塹壕掘り、バレーなどで少しささくれ立っていた。忍びの卵として演習をこなしている自分の手も所々傷があるし、それが当然だとわかっていても痛々しいなと思った。
カサカサの皮膚が輪郭をなぞる。
小平太が何をしたいのか、何を思っているのか、長次にはさっぱりわからなかった。わからなかったが、この細やかな肌の触れ合いに跳ねる心臓を押さえ切れなかった。

頬にあった手が髪へと移動する。
サラサラと撫でて、時折弄ぶ。普段の何気ない戯れ合いの動作と同じなのに、小平太の双眸は酷く悲しげで、平素とは違うんだと訴えているようだった。
その目に耐え切れず、長次は小平太の手を掴む。小平太の肩が大きく跳ねた。

「…長次が、私の事を嫌っているのはわかってるんだ」
「嫌ってなどいない」
「でも、好きじゃ」

ないだろう、と言った彼の声は震えていた。
俯いてしまって、表情さえ窺えない。

以前、好きか嫌いかと問われ「嫌いじゃない」と逃げの姿勢を見せたのは紛れもなく長次自身だった。
小平太が好きだ。すごくすごく好きだ。大好きだ。大切にしたいと思っている。
けれど自分が小平太に寄せる想いは、友愛ではなく恋心だ。どうしようもなく欲情に駆られ、想像の中で彼を犯した夜は数え切れない。けれど、それは長次だけの想いだ。
小平太が自分に向ける「好き」は、そんな想いをちっとも孕んでいない。友愛だ。友情だ。
そんな彼の気持ちを裏切りたくなくて、どうしても好きだとは言えなかった。言ってしまえば小平太の純粋な気持ちまで踏みにじってしまうようで、怖くて怖くて言えなかった。
涙を流した次の日、小平太はケロッとした顔で「おはよう」なんて言うもんだから、こんなにも傷ついているなんて思ってもみなかった。

「…長次が嫌いでもいいんだ。私が好きなんだと、それだけ覚えていてくれればいい」

普段と違う弱弱しい声色。
胸がどんどん苦しくなっていった。

掴んだ小平太の手が、どんどん冷えていく。
普段は自分のほうが体温が低い。子供体温なんだと笑う小平太は、真冬だってポカポカと温かかった。
なのに今は酷く冷たい。夏なのに。

「小平太」

心配になり、両の手で小平太の手を握った。
こうして体温が少しでも小平太に移ればいい。自分は冷えたってかまわない。けれど小平太が冷たいのは嫌だ。
ちょっとでも温まればと擦るのに、小平太のそれは冷たいままだった。

布団に一つ二つと大きな染みを作る。
ああ、また泣かせてしまった。
小平太には笑っててほしいのに、どうしてそれが出来ないんだろう。心臓がギリギリと痛む。

「もう、こんなことは言わない。今夜だけの我侭だと思って聞いてほしい」

涙に混じった声色は聞くのも切ないくらいだった。

「わかった、なんでもきく」

だから頼む。泣き止んでくれ。
もう小平太の泣き顔なんか見たくなかった。理由の中心にいるのが自分なら尚更だった。

「抱いてくれ」

静寂な世界で、小平太の言葉だけが響く。
抱きしめろ、という意味なのか。
言葉の持つ別の意味が頭を過ぎって、どうしていいのかわからなくなる。身動きが取れなくて、視線だけを馬鹿みたいに彷徨わせた。

「一回、一回だけでいいんだ。頼む」
「意味が、よくわからない」
「じゃあ、はっきりいう」

長次と、交わりたいんだ。

掴んでいる小平太の手が更に冷たくなる。
これは夢か、幻か。
放たれた言葉に現実感など感じられない。けれど掌の内側から伝わってくる冷えた感覚に、これは現実なんだと思い知った。

抱くというのは、そういう意味なのか。
一晩でいいとは、どういうことなんだろうか。
そもそも、ここに居た証とは?

小平太の考えが読めない。
何を思って、何を考えているのか。

肩を震わせながら、嗚咽を混じらせ小平太が言葉を繋ぐ。

「長次が好きなんだ…」

握った指先。
小平太と同じくらい、長次の手も冷えていた。







冷たい指先
(ほんとうはずっと待ってた)






****************
2010/9/6



緊張すると、手が冷えるって話。

恋愛傾向:
長次は逃げる派
小平太は追いかける派



title:確かに恋だった



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